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13年目にして認められた過労死― 仕事の犠牲になった息子のために母は闘い続けた (2)
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5.スタンドからの温かい眼差し
6.力を出し切った互角の勝負に喝采
7.野球部最後の夏?の涙
8.勉強もスポーツもできる実力が相手
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スタンドからの温かい眼差し
 この試合から一日おいた16日、雨で順延になった深浦対川内戦が行われることになっていた。すでに、深浦の選手と監督らは前日から弘前に移動し、宿をとり16日の第1試合に備えた。ところが、東北地方に停滞する梅雨前線の影響で、やっと晴れたかと思うと雨と風が繰り返す天気だった。15日もとくに弘前地区は前夜から激しく降り、またも弘前会場の試合は順延になってしまった。
 しかし、幸いなことに他の三球場では試合をすることができたので、本来日程が重なり観戦できないはずだった青森球場での田名部高校大畑校舎の試合を観ることができた。急遽、私は弘前から車で青森に移動した。大畑は下北半島の太平洋岸に位置する全校113人の学校で、平成26年度末で閉校となることがすでに決まっていた。野球部員は11人。この学校も深浦同様に小高いところに校舎と広いグラウンドを持つ、閉じてしまうには惜しいような環境に恵まれていた。
 3年生一人をのぞいてあとは1、2年生でつくる大畑が対戦するのは28人の部員数をもつ柏木農業で、コールドゲームも予想され、大畑がどこまで食らいつくかといったところが見所だった。一塁側大畑の応援席には、約2時間半をかけて全校をあげて生徒が応援にかけつけた。ある女子生徒に学校について尋ねると「ちっちゃい学校ですから」と謙遜する。しかし、ある年配の先生は「うちは温かみのある学校で、生徒は素直でひとなつっこく、忍耐力があります」と、グラウンドの生徒たちに温かいまなざしを送っていた。
 試合の方は、大畑は初回こそ得点を許さなかったが、2回からは毎回加点され、4回表の柏木の攻撃が終わった段階で10対0と一方的な展開となった。なんとか一矢報いたいところの大畑はその裏、先頭打者が敵のエラーで出塁後、手堅くバントで送り、1死2塁として、3番津島がセンター前に安打1、3塁とチャンスを広げた。ここで津島が2塁へ盗塁を試み、キャッチャーが2塁に送球する間に3塁走者がホームをついて1点を返した。
盛り上がる大畑・スタンド
 しかし、反撃もここまで。5回表にさらに5点を追加され、その裏は走者を出したものの得点にいたらず、大畑は15-1で5回コールド負けを喫した。今年度から大畑の監督をつとめた瓜田敦也氏は、「1点取れてメンタル的には少しは進歩したと思います。もう一回一からやり直します」と、静かに決意を語っていた。
 生徒たちは、大半が涙を浮かべ、ある2年生は「3年生は最後だというのに、何もできなくて」と、うなだれていた。

 今別、大畑と二つの分校が敗退し、翌17日は分校同士の戦いが行われる。必ず一つは勝ち上がるが、もう一つは敗退する。川内校舎は、まさかりのような形をした下北半島が囲む陸奥湾の沿岸に位置する旧川内町(現在のむつ市)にある。ホタテの養殖などで知られる穏やかな陸奥湾沿いを走る国道338号から少し内陸に入ると、川内校舎の建物がある。
 南に海を見下ろすこの学校も、他の分校同様に素晴らしい立地にあり、分校とはおもえないほどグラウンドも広い。かつてはこの学校もずいぶんと多くの生徒でにぎわったのだろう。地元川内のほか、半島西はずれの脇野沢からも通う生徒がいるが、バス代だけでも1ヵ月約2万7000円もかかる。6月に私が川内校舎を訪れた際、半田監督は「例年より戦力が上回っているが、プレッシャーに弱いところがある」と、期待を込めていた。
 16日、青森市では試合が大畑の試合が終わった頃、深浦ナインは弘前市内で練習をしたあとふたたび弘前の宿に戻り午後はゲームをしたり、リラックスして過ごした。選手たちの表情を見る限りそれほど緊張した様子や、焦る様子はなかったが、あとできくところによると、なかには気分がかなり高まっていたものもいたようだ。
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力を出し切った互角の勝負に喝采
 翌17日はすっかり晴れ上がり、風もなく絶好の野球日和となった。弘前の球場には、深浦からバス二台で全校生徒や保護者がかけつけた。本来の試合日より2日も延びたことで、一時は学校行事との関係で全校応援もあきらめたが、なんとかやりくりしほとんどの教職員と生徒がスタンドにやってきた。だが、仕事の予定が立たず、グラウンドでの息子の姿を見ることができなかったナインの保護者もいた。
試合前に体をほぐす川内ナイン
 予想通り、試合は拮抗した展開となったが、先制したのは川内だった。2回裏、先頭打者がライト線に落ちる安打で出塁、これをバントで送り、ピッチャー強襲の安打が出て1、3塁となり、続く一塁ゴロの間に三塁から返って1点となり、さらに二死1、2塁。ここで8番打者がレフト前に安打。深浦のレフト長尾は思いきり突っ込みショートバウンドでこれを好捕、追加点を阻んだ。
 川内は4回にも3本の安打を深浦の投手兼平に浴びせ1点を追加した。これに対して深浦打線は川内の先発田沢から4回まで6三振を奪われるなど、バットがあわなかったが、5回ようやく四球で出た田畑直樹が盗塁しチャンスをつくった。続く小山がバントを成功させ、1死3塁で神馬がセンター前に安打しようやく1点を返した。
全校生徒がかけつけた深浦応援席
 スタンドに駆けつけた選手の保護者からは「頼むぞー」「どきどきしてくるー」といった声があがる。試合はますます熱を帯びてくる。スタンドを比較すれば30人ほどが応援する川内側に比べて1塁深浦側では生徒、職員、保護者ら100人が声援を送っている。
 さらに深浦はつづく6回、川内2番目の投手蛸島に3安打を浴びせて加点2-2の同点とした。ここからはシーソーゲームとなる。その裏今度は川内が一死1、3塁で1塁走者が盗塁の間に3塁走者が本塁をついた。前年、深浦が青森北を攻めたのと同じパターンで点を奪われてしまった。
 川内はこれで3点となり一歩リード。すると7回の表、深浦は2本の安打に相手のエラーも絡んで2点を追加し、4-3と、この試合初めてリードを奪った。追う立場となった川内だがすかさずその裏、先頭打者が三塁打、続いて二塁打と長打攻勢であっさり4-4に追いつく。地方大会の予選、それも分校同士の戦いだが、持てる力を互いに出し合う見応えのある試合展開になった。
 午前中とはいえ、久しぶりに太陽が煌々と照りつけるなかで、グラウンドだけでなくベンチに差し込む日差しも強かったのだろう。途中、深浦のベンチから「氷を持ってきて!」とスタンドに声がかかった。どうやら選手の一人が軽い熱中症になったようだ。
 8回は、両チームとも三者凡退。そして最終回、深浦は死球でまず小山が出塁、これをしっかり送って、続く9番山本の3塁ゴロがサードの悪送球を誘い、山本の盗塁もあって1死2、3塁のチャンスを迎える。ここで1番佐藤がセンターに打ち上げた。これが犠牲フライとなり3塁から小山が返って土壇場で1点をリードした。
校歌をうたう深浦ナイン
 その裏、川内は先頭打者がイレギュラーバウンドとなる幸運な安打で出塁。続く打者はバントを失敗し一死となるが、2番酒井がレフト前に放ち1死1、2塁。同点、そして逆転の走者が出た。深浦側スタンドからは「あー、こわくなってきた」とか「アウトとれー」といった、悲痛な声援が飛び出す。学生服姿の応援団長は必死に声をふりしぼる。これまでにない声が響く。
9回2死までもつれたシーソーゲームをしめすスコアボード
 勝つも負けるもまさに紙一重のところに両チームはいた。ここで川内の3番田沢のあたりはショートゴロ。これをショートが2塁に送り封殺。2死1、3塁で迎える打者は4番。スタンドも固唾を飲んで見守ったが、兼平が投げる6球目はピッチャーゴロとなってゲームは終わった。深浦が辛くも5-4で逃げ切った。
 互角の勝負だったが、スタンドも選手も対照的なのはいうまでもない。川内の主将で投手の蛸島は自分が打ち込まれたことを涙ながらに悔やんでいた。また、半田監督はがっくり肩を落として「メンタルな部分の弱さがでてしまった」と、静かに話していた。一方、深浦の平山監督は「疲れたー、がまん大会でした。最後の川内のバッターのあたりも芯でとらえられていればセンター前でしたから」と、選手たちがねばり強く戦い抜いたことをほめた。
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野球部最後の夏?の涙
 勝った深浦ナインが喜びと安堵の気持ちに浸っている頃、青森市営球場では分校のなかの一つ、七戸高校八甲田校舎の試合がはじまった。八甲田校舎は平成23年3月で閉校することが決まっていて、在校しているのは今年度は2、3年生だけの49人と参加校中もっとも小規模だ。このうち野球部員は登録上は10人を超えているが、実際に毎日のように練習に来るのは4人の3年生だけだ。
 八甲田という名前からは、あの八甲田山を思い浮かべてしまうので、山間に学校があるのかと想像したが、実際は畑と田んぼのなかにのんびりと校舎は建っている。私がこの6月に訪れたときは、土曜日の午前中で、炎天下のなかたった4人だけが、櫻井宗徳監督と一緒に練習を続けていた。
 この学校の施設も実に広々としている。外野は青々とした芝で覆われ、グラウンドと隣地の境のフェンスには、大きく「一」「球」「入」「魂」と書かれたボードが4枚掲げられている。ダイヤモンドの脇には陸上のトラックもあり、とにかく広々している。
 この夏は、ふだん練習をする部員だけでは足りないので、春の大会に続いてバレー部などから“助っ人”を借りて試合にのぞむことになっていた。3年生が卒業すれば2年生だけとなって来年は大会には出られない、つまりこの夏が八甲田野球部にとって最後になる可能性は高かった。
 こういう状態だから、よほど組み合わせがよくなければ勝利は望めない。まして今回の相手は伝統のある黒石商業。おそらくコールドゲームと予想された。すでに開始された青森市営球場にいる県高野連の渡辺学理事長に問い合わせると、「3回まで終わって3対1と、八甲田結構がんばってますよ」という。
 間に合わないかもしれないが、深浦ナインに勝利の感想を聞き終えた私は、弘前から青森市営球場へと車を走らせた。少しでも早くと東北自動車道に乗り、ほとんど行き交う車もないほど快適な高速道をとばし、青森中央インターで降り市内へ向かった。約1時間後、海沿いの合浦公園の一角にある市営球場につくと、毎年のことながら焼きそばやアイスクリームを売る屋台が出店し、試合観戦をピクニック気分で楽しむ一般市民の野球ファンの姿でにぎわっている。
 その近くで、肩を抱き合っておいおいと選手が泣いている。八甲田の選手たちだった。試合はちょうど終わったばかりで、残念ながら八甲田は4回に2点、5回に5を黒石に奪われ、8-0で7回コールド負けを喫してしまった。
 いつも練習していた4人のなかの一人が、「ほんとに助っ人ありがとう」と、仲間の手を握っている。助っ人がいなければ自分たちは試合すらできなかったという感謝の気持ちが言葉になったのだろう。別の一人は「最後なんで、9回までできなかったのは悔しいけれど・・・でも、思い切りできたし楽しかった」と、泣きながら言った。
涙ながらに讃えあう八甲田の選手
 しばらくの間、いつもの4人を中心に涙ながらに、互いに慰め合ったりした彼らは、弱小校の最後の夏ということもあって、地元のメディアの取材をいくつも受けていた。それが一段落すると、木陰でおもいおもい弁当を広げた。そこにはもう暗い雰囲気はなかった。 一方、野球の監督は初めてだという櫻井氏は「最後まで、9回までやらせてほしかったな」と、コールドゲームに無念さを募らせていた。「何もできなくて・・・」と、山本規雄部長は歯がゆさを示し、「最後まで集中力をきらさないで点を取ろうという気力は見えた」と、選手たちの努力を認めた。
 八甲田は3年生が去ると、全校生徒のうち男子は9人だけになる。在校生男子が全員野球部に入ればなんとかチームはできるが、そんなことが可能かどうか、この先生徒たちが決めることになる。
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勉強もスポーツもできる実力が相手
 こうして、大会に出場した5つの「校舎」(分校)のうち4校が初戦で姿を消した。唯一残ったのは、かつて記録的大敗の歴史をもつ深浦である。次の試合は2日後の19日に予定された。相手は八戸北高校。八戸市内にある県内でも有数の進学校で、一学年普通科6クラスで編成され全校生徒は約720人、このうち野球部は44人。今年のチームはレギュラーがすべて3年生だ。野球関係者の誰がみても、まず深浦に勝ち目はないと見られた。しかし「絶対に勝てないかといえばそんなことはないという力の差だと思う」と言ったのは渡辺理事長だった。
 翌18日、再び弘前は雨となって19日からの試合がまた順延となった。そこで両チームとも19日は、弘前市内にある弘前南高校の室内練習場を使わせてもらって練習をした。午前中が深浦で、昼からは入れ違いで八戸北の生徒たちがやってきた。体格もいいし、動作もきびきびしている。この八戸北を率いる工藤恭一監督に部員たちのことをいろいろ尋ねると、「彼らはよくやりますよ、練習してからも遅くまで勉強しますし」と、感心していた。野球と勉強を両立できる能力がある生徒たちだった。
 一方深浦は、ここへ来てちょっと心配だったのが初戦で投げた兼平の様子だった。肩を痛めているらしく、少し神経質な顔をしていた。しかし、全体として選手に疲れは見えず、平山監督から「考えてやらないと勝てないよ!」と、ときに喝を入れられ、最後の調整をはかっていた。
 そして翌20日。今度は一転して朝から弘前の空は晴れ上がった。午前9時を過ぎると、応援の保護者たちの姿が見えはじめた。この日は応援は自由参加だったが、バスを一台手配して応援団をはじめ生徒、職員ら初戦と変わらぬほど多くが三塁側深浦の応援席を埋めた。
 球場入りした平山監督は、「八戸北は進学校だし、頭のいい子と勝負になる。3、4点とられるのは仕方がない。相手を焦らせて、がまんしてもつれて、延長にまでいけば・・・」と、試合の流れを予想した。一方、八戸北の工藤監督は前日の深浦ナインの練習を目の当たりにして、「なめたらいけない」と、言い聞かせていた。
 試合直前に私は、球場外にいた八戸北の一年生部員数人に「深浦ってどんなチームだと思う? どんな印象がある?」と、きいてみた。すると、一人は、「分校だから弱い」と、率直に答える。すると、別の部員は「でも、油断しちゃいけないと監督も言ってました」と、釘をさした。もう一人は「相手のピッチャーは球は速くないがカーブが得意だからコンパクトにバットを握っていくことが大事」と、分析する。
 ついでに、球場で案内をする弘前市内の野球部の生徒に深浦という町にについてきいたところ、「よくわからない」という答えが返ってきた。同じ県内でも都市部の生徒から見るとその存在は薄いようだった。
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