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13年目にして認められた過労死― 仕事の犠牲になった息子のために母は闘い続けた (2)
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3.「自由な働き方」という名の長時間労働に歯止めを
4.今も第2、第3の偉が出る危険な状況が…
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「自由な働き方」という名の長時間労働に歯止めを
  判決とその意味について考えてみたい。
 まず注目したいことは、被告である国の「リクルートは『社員皆経営者主義』を社訓とし、自由な社風であった」という主張とそれに対する裁判所の見解である。
 この主張をもう少しわかりやすく言い換えるとすれば〈経営者と労働者という対立は、もはやない。一人ひとりが経営者的意識を持ちつつ、自由に働き、その範囲で自己責任を問う。ゆえに残業を強制させるといったことはありえず、労災ということにはならない〉ということになるだろうか。
 しかし、裁判所はこの主張を受け入れず、業務実態を踏まえた上で、リクルートにおける労働には社員を過労死させる危険が内在しており、それが現実化したために偉が亡くなった、と判断した。「自由な働き方」「自己責任」などの言葉が盛んにもてはやされる風潮のなか、本質を見ることの大切さを考えさせられる。
 もうひとつは、「リクルート社がタイムカード上の労働時間を過少申告させる実態があった」と認定した上で、「タイムカードの記載以外にも、休日出勤や平日の持ち帰り仕事を自宅でこなしていたと推認でき、業務は過重だった」と認めたことだ。
 判決では、偉が亡くなる直前1ヵ月の労働時間を39時間、6ヵ月平均でも月56時間と認定した。これは、行政が基準とする平均月80時間をかなり下回る。しかし、労働時間を過少申告させ、いわゆるサービス残業や持ち帰り仕事をさせていた社内実態があると認め、『週刊B-ing』編集部、『Digital B-ing』編集部を通じて、業務が過重だったとして偉の死を過労死であると判断した。
 タイムカードで記録されていない労働時間についても、本人がこなしていた仕事の成果を分析した上での判断は、労働行政に一石を投じたといえる。
 さらに、くも膜下出血と長期休暇の関連についても興味深い判断を示した。偉は発症直前に10日間にわたる夏休みをとっている。これについて被告は「十分な休養ができたはず」と業務が原因ではないと主張した。しかし、判決はこれを否定し、偉が発症の4週間ほど前から頭痛などを友人に訴えていたことに着目し、「(頭痛などは)くも膜下出血の前駆症状というのが自然である。過重労働によって前駆症状を発症するに至っていた偉が、10日間にわたる夏期休暇等によっても回復することがなかったとしても不自然とは言えない」とした。
 また、偉は腎機能に軽い持病があったため、被告は「亡くなったのは持病が原因」と主張してきたが、「血圧も、脂質も、治療を要する程度には至っていない。脳・心臓疾患により(病院を)受診したり、受診の指示を受けたりした形跡はなく、日常業務を支障なくこなしていた」と認定した上で「リクルート社における特に過重な業務の遂行により、自然の経過を超えて急激に悪化した」と判断した。
 さまざまな持病を抱えている労働者は多いが、たとえ何らかの持病があっても「過重な業務がなければ悪化しなかった」とした判決の意味は重い。

母 淳子さん
 判決の日、司法記者クラブでの記者会見を済ませ、裁判所を出た時には時計の針は午後5時を回っていた。雨はすでにあがっていた。淳子に判決の瞬間の感想を聞いた。
「私の人生を振り返ると、悪い予感が当たってしまうことが多かったの。希望すればするほど、思いは実現しない。そんなことの繰り返しだった。だから、最初は主文を聞いても、『ほんと? いや、ぬか喜びしちゃいけない』と言い聞かせたていたのよ」
 幼い頃の両親の離婚、貧しい暮らし、義父の暴力、夫との離婚、そして最後に息子の死。かつて淳子から聞いた話を私は胸の中で反芻する。
〈つらいことがたくさんあった。でも、二人の子どもを育てさせてもらい、本当に豊かな時間を過ごすことができた。だから、つらいこともあったけれど、幸せな人生だったと思っていたの。偉が死ぬ前まではね…〉
 ああ、人生はなぜ、かくも不公平なのか、と思わざるを得ない。

 私は家路に、そして淳子とまどかは投宿先のホテルに向かうために、霞ヶ関から同じ地下鉄に乗った。通勤ラッシュのピークには、ほんの少し早い時間帯。ドアのそばに立ちながら、穏やかな会話のひとときが流れる。緊張から解き放たれたせいか、淳子もまどかも顔に疲労の色が見える。ふと、軽い気持ちで私は翌日にインタビューする予定のタレント、柳浩太郎さん(23歳)のことを話題にした。
 柳さんは、18歳のときに交通事故に遭い、脳挫傷とくも膜下出血の大けがを負った。3週間の意識不明を経て一命をとりとめたものの、記憶障害や麻痺が残っていることに絶望した日もある。しかし、家族や仲間の支えを得てリハビリに耐え芸能界に復帰した。今も障害を抱えつつ、前を向いて生きている。
 私はたぶん「若いのに頑張って生きている人たちがいる」というようなことを伝えようとしたのだと思う。ところが、淳子からは意外な言葉が返ってきた。
「病院に運びこまれたのは日曜だったから、スタッフが手薄だった。すぐ適切な手当をしてもらっていたら、偉も助かっていたかもしれない。障害が残っても、どんな形でもいいから生きていてほしかった」
 そんなつもりで話題をふったわけではなかったが、不用意であったとすぐに後悔した。勝訴という喜びの日にも、母の心は悲しみにおおわれている。時計の針は決して13年前には戻らないことを改めて知った。
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今も第2、第3の偉が出る危険な状況が…
 忘れてはならないことがある。
 母と息子の13年が伝える悲しい出来事から何を学ぶのか。過労のために身体や精神を病む人の数は増え続けている。過労死(脳・心臓疾患)の労災申請は938件で前年度に比べ69件(7.9%)増加した(平成18年度)。このうち、労災が認められたのは355件と半分以下。それでも前年比25件(7.6%)増えている。また精神障害等による労災申請は819件で、前年に比べ163件(24.8%)も増えた。うち請求が認められたのは205件で、前年比78件(61.4%)増となっている。
 いずれにしても、この数字は氷山の一角にすぎない。ましてや裁判を起こす人間はほんの一握りである。偉の死の背後から見えてくるものは、今も長時間労働や不規則な勤務を強いられている膨大な人びとの姿だ。抱え切れないほどの仕事と責任を背負い、相談する相手もなく一人悶々と追いつめられている者たちがいる。
 過労死をはじめ数多くの労災裁判を手がけてきた玉木弁護士はこう述べる。
「一方に、家さえ持てず貧困に苦しむ人たちがいる。奴隷以下の条件で働かされている人たちも少なくない。そして、正社員はぎりぎりの状態で長時間働かされる。ここ数年、過労死に加え、精神的な疾患を発症して相談にくる人が非常に増えている。今の社会、そして会社のあり様は根本的にどこか間違っている」
主任の玉木一成弁護士
 判決についてこうも加える。
「病気で医者にかかっていたわけでもなく、夏休み以外は休みをとることもなく、ふつうに生活し、仕事をこなしていた29歳の青年が突然に亡くなる。勤務実態をみれば、労働時間は長く、徹夜勤務の日もある。家に持ち帰って仕事もしていた。しかも責任の重い仕事を一人で背負っていた。となれば、業務が過重だった以外に原因はみつからない。しかし、こんな当たり前のことが認められるまでに亡くなってから13年もかかるとはどういうことか」
 今回の判決は、言うまでもなく国に対する処分取り消しを求めたものであり、リクルートの責任を追及してはいない。しかし、判決の中身をみれば、問題とされるべきは、会社のあり様そのものといえる。「人材」を商品として「人材紹介」を行なっている大企業のリクルート自らが、社員を死に追い込む働き方をさせていたという実態。
 さらには、偉が倒れる直前まで所属していたのが、ウェブ制作部門ということも象徴的である。情報発信の主軸を雑誌からインターネットに移行し、今なお業界の最先端をいくリクルートだが、その立ち上げ時期において、長時間で深夜に至る孤独な作業から身体を壊し死んでいった青年がいたことを忘れるわけにはいかない。
 判決は、リクルートの社員に対する安全配慮義務のあり方を問い直すものにもなっている。同時に、これに似たような実態が日本中で繰り広げられていることだろう。でなければ、自殺者が年間に3万人を超える理由が説明できない。その意味でも、この判決が社会に投げかける意義は大きい。
 なお、国は控訴期限が迫った4月7日、判決を不服として控訴し、舞台は高裁に移された。弁護士から、被告が控訴したと連絡を受けた時、淳子とまどかはこう言葉を交わした。
「ぼけるな、ってことかもね」
「そうねお母さん、孫の成長を楽しみに余生を過ごすにはまだ早すぎるってことかな。でも、あんまりがんばりすぎないでね」
 淳子に穏やかな日々が訪れるのは、まだ少し先のことになりそうだ。

(敬称略、おわり)
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PROFILE

渥美 京子

1958年静岡県生まれ。大学卒業後、電子部品メーカー社員を経て、法律系の出版社に勤務。7年半の編集記者生活を経てフリーランスのノンフィクションライターに。労働、食、医療、看護などをテーマに取材活動を続ける。主著に『パンを耕した男』(コモンズ)。「ある家族の肖像」をベースにしたノンフィクションを今秋、コモンズより単行本として上梓する。
 
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