以上が、ワタダ中尉の軍法会議の流れだが、この裁判は、結局のところ、「一事不再理の原則」という裁判を進める上での法律論で終局を迎え、ワタダ中尉が「裁かれることに対して恐れはない」として、訴えていたイラク戦争の不当性については、正面から議論されることはなかった。そのため世論の注目が徐々に薄れていったことは否めない。
しかし、このワタダ論争が発したものはと聞かれれば、それは決して小さなものではない。愛国心、テロとの戦争という言葉に踊らされたアメリカ市民が、賛否両論あれ、改めてイラク戦争の意味について考え、見つめ直すきっかけとなったのではないか。
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イラクから帰還し、今は反戦活動に参加する元アメリカ兵たち |
前述のように、ワタダ中尉自身は、国際法に則った戦争は認めており、さらに反戦派の人間ではない。それでも各反戦団体は、イラク戦争反対という理由から、ワタダ中尉の支援を行ってきた。その一人、マイク・タガワさんは「最も重要なことはこの戦争が不当だということ。これに反対するために我々は団結しなければならない」と話す。
それは、ワタダ中尉が公判前に語っていた、「自分ができるのはこの戦争を人々に伝え、気づかせること。戦争を止めるのは、市民一人ひとりの行動によるもの」という言葉につながる。
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シアトルの道路を埋めた10月27日の反戦デモ行進 |
10月27日、米連邦上院議会がイラク開戦を容認する法案を可決してから4年目にあたるこの日、アメリカ各地で数万人規模の反戦デモ集会が行なわれ、シアトルでも数千人が参加し、若者が先頭に立ち反戦の声をあげた。
時を同じくして、ワタダ中尉擁護派が11月から毎月第1、第3土曜日に、彼の名誉ある除隊や、軍法会議開廷の完全な中止を訴える運動を各地で開始した(
www.thankyoult.org)。シアトルではマイノリティー女性団体に所属する日系三世のナディーン・シロマさんらがこれを組織し、ワタダ論争を忘れかけていく現状に疑問を投げかけている。「この裁判はまだ解決していません。人々が忘れる前にもう一度、この問題を伝える必要があります」、参加者の一人はこう語る。
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10月27日の反戦デモに参加するマイク・タガワさん(右)らワタダ中尉擁護派 |
少し時間を戻してみると、ワタダ中尉の第1回目の軍法会議に立ち会った、ドキュメンタリー映画監督の藤本幸久さんの話が思い出される。彼は帰還兵、遺族らイラク戦争に関係した、アメリカ市民に焦点を充てたドキュメンタリー映画の取材撮影を進めていた。市民の下にはブッシュ大統領の声明などは届いてくるが、実際に戦地に赴いた生の声は届いてこない。まして、ワタダ中尉に関する情報は日本にほとんど伝わっていないという。
藤本さんはこうも話す。「海外で戦える軍隊を持つべきか、戦争を経験していない若い日本人が判断しなければならない時が来る。そのときのためにも、アメリカの若い兵士の経験に耳を傾けなければならない」
「戦争を経験している」目が語り、「相手兵士のみならず、一般市民をも殺してしまった」心が苦しむ彼らから学ぶべきことは多いはずだ。
最近になり、テロ対策特別措置法とイラク復興支援特別措置法で海外任務に就いた自衛官の自殺者数が日本のメディアで報じられた。この事実が何を意味するのか、現時点では分からない。だが日本はイラク開戦に際し、真っ先に賛同の手を挙げた国として、その事実と責任を持ち続ける必要がある。
今後日本が協力したイラク戦争とは何かを、今一度振りかえるべきだろう。そして、そこにこそ、ワタダ論争の意義が見えてくると思いたい。