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現役日系人将校が投げかけたイラク戦争の是非 現役日系人将校が投げかけたイラク戦争の是非(2)
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4.意見が二分した日系社会
5. 二重裁判の禁止―憲法が争点に
6.一般市民から遠い軍の存在とイラクの地
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意見が二分した日系社会
 日系人という存在でもあるワタダ中尉の一件は、復員・退役軍人らが多いアメリカの日系人社会のなかにも波紋を呼び起こした。とくに彼の主張に対しては、保守派とリベラルな層で分かれる日系人社会の間では完全に意見が分かれた。
  日系市民協会(JACL)は、07年8月18日の全国会議でワタダ中尉の裁判を公正に行う旨を求める決議案を出すまでは、二分する論争に対し、一切の意見を発しない姿勢を貫いていた。第二次世界大戦に日系人部隊の第442連隊戦闘団(*1)に従軍した日系二世のポール・ホソダさんは、「ワタダ中尉が意見を持つことは自由」としながらも、最高司令官にあたる大統領への批判は将校として許されないと強調。「将校としての責任を宣誓した以上、上官からの命令を拒否することは、職務違反にあたる」と語った。
  そのほかの否定的な意見として、「開戦後に入隊したのに、なぜ今になってイラク戦争を批判するのか」、「部下を見捨てる行為は将校として恥ずべき行為」といった声もあがった。アメリカ西海岸の日系新聞社には、朝鮮戦争に従軍した復員、退役軍人を中心とする日系人グループから、ワタダ中尉を批判する文章が寄せられた。
公判で基地の前でワタダ中尉支持を訴えるシャロン・サカハラさん
  一方、ワタダ中尉の賛同者たちは、将校でありながら戦争反対の声を上げ、立ち上がった行動と勇気に同調する。そしてワタダ中尉の意見陳述を許さない軍法会議に対し、裁判の公平性を強く求めた。
  日系三世のジェームズ・アリマさんは、状況を深く理解する前に従軍したベトナム戦争の時の自らの経験に重ね合わせ、ワタダ中尉がイラク戦争の違法性に気が付き、一将校として態度を示したことに共感を示す。「(ワタダ中尉の)主張を頭ごなしに否定してはいけない。賛否は別にして、彼の意見、取った行動を尊重すべき」と語り、法廷での言論の自由を奪った軍に苦言を呈している。
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二重裁判の禁止―憲法が争点に
  一度審理無効となった裁判だが、軍側は即座に2度目の軍法会議を開くことを発表し、7月23日の開廷を決定した。しかし、ここで「一事不再理の原則(*2)」を規定するアメリカ憲法第5条が問題となり、各メディアは憲法の専門家の言葉を引用し、憲法違反の是非を議論した。
  争点は、この軍法会議の進め方が、市民裁判における二重裁判を禁止する米国憲法に違反するか、ということだった。アメリカ軍の軍人は入隊後、「Uniform Code of Military Justice(UCMJ)」という軍事司法統一法典の下で行動する事になる。軍人が犯した犯罪は、この法律によって軍法会議にかけられるもので、ワタダ中尉もまた、UCMJを元に起訴されていた。
シアトル・ダウンタウンでワタダ中尉に関する情報提供を行なうナディーン・シロマさん(左)
  ワタダ中尉は憲法第5条を盾に軍法会議の無効を主張する。開廷日は一旦延期されたが、軍側は最終的にこの主張を退ける形で、10月9日を開廷日に決定した。これを受け、ワタダ中尉はついに、タコマ市の連邦地方裁判所に憲法違反の申し立てを行った。この結果、同裁判所のベンジャミン・セトル判事は10月5日、審議の期間中の軍法会議開廷を延期する命令を下した。
  連邦裁判所が軍の裁判に介入するという、あまり例を見ない事態となったが、さらに11月8日、同裁判所は、「一事不再理の原則」や「言論の自由」に抵触することを理由に、この軍法会議自体を無効と裁定した。この結果、軍法会議の開廷は上訴がない限り、差し止められた形となった。軍側はこの裁定を不服とし、直後にセトル判事に更なる説明を求める抗議文を発表した。
  ワタダ中尉本人は3年間の兵役義務を2006年12月で満了しているが、軍法会議の開廷もあって、フォートルイス基地に留まっている。
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一般市民から遠い軍の存在とイラクの地
  以上が、ワタダ中尉の軍法会議の流れだが、この裁判は、結局のところ、「一事不再理の原則」という裁判を進める上での法律論で終局を迎え、ワタダ中尉が「裁かれることに対して恐れはない」として、訴えていたイラク戦争の不当性については、正面から議論されることはなかった。そのため世論の注目が徐々に薄れていったことは否めない。
  しかし、このワタダ論争が発したものはと聞かれれば、それは決して小さなものではない。愛国心、テロとの戦争という言葉に踊らされたアメリカ市民が、賛否両論あれ、改めてイラク戦争の意味について考え、見つめ直すきっかけとなったのではないか。
イラクから帰還し、今は反戦活動に参加する元アメリカ兵たち
  前述のように、ワタダ中尉自身は、国際法に則った戦争は認めており、さらに反戦派の人間ではない。それでも各反戦団体は、イラク戦争反対という理由から、ワタダ中尉の支援を行ってきた。その一人、マイク・タガワさんは「最も重要なことはこの戦争が不当だということ。これに反対するために我々は団結しなければならない」と話す。
  それは、ワタダ中尉が公判前に語っていた、「自分ができるのはこの戦争を人々に伝え、気づかせること。戦争を止めるのは、市民一人ひとりの行動によるもの」という言葉につながる。
シアトルの道路を埋めた10月27日の反戦デモ行進
  10月27日、米連邦上院議会がイラク開戦を容認する法案を可決してから4年目にあたるこの日、アメリカ各地で数万人規模の反戦デモ集会が行なわれ、シアトルでも数千人が参加し、若者が先頭に立ち反戦の声をあげた。
  時を同じくして、ワタダ中尉擁護派が11月から毎月第1、第3土曜日に、彼の名誉ある除隊や、軍法会議開廷の完全な中止を訴える運動を各地で開始した(www.thankyoult.org)。シアトルではマイノリティー女性団体に所属する日系三世のナディーン・シロマさんらがこれを組織し、ワタダ論争を忘れかけていく現状に疑問を投げかけている。「この裁判はまだ解決していません。人々が忘れる前にもう一度、この問題を伝える必要があります」、参加者の一人はこう語る。
10月27日の反戦デモに参加するマイク・タガワさん(右)らワタダ中尉擁護派
    少し時間を戻してみると、ワタダ中尉の第1回目の軍法会議に立ち会った、ドキュメンタリー映画監督の藤本幸久さんの話が思い出される。彼は帰還兵、遺族らイラク戦争に関係した、アメリカ市民に焦点を充てたドキュメンタリー映画の取材撮影を進めていた。市民の下にはブッシュ大統領の声明などは届いてくるが、実際に戦地に赴いた生の声は届いてこない。まして、ワタダ中尉に関する情報は日本にほとんど伝わっていないという。
  藤本さんはこうも話す。「海外で戦える軍隊を持つべきか、戦争を経験していない若い日本人が判断しなければならない時が来る。そのときのためにも、アメリカの若い兵士の経験に耳を傾けなければならない」
  「戦争を経験している」目が語り、「相手兵士のみならず、一般市民をも殺してしまった」心が苦しむ彼らから学ぶべきことは多いはずだ。
  最近になり、テロ対策特別措置法とイラク復興支援特別措置法で海外任務に就いた自衛官の自殺者数が日本のメディアで報じられた。この事実が何を意味するのか、現時点では分からない。だが日本はイラク開戦に際し、真っ先に賛同の手を挙げた国として、その事実と責任を持ち続ける必要がある。
  今後日本が協力したイラク戦争とは何かを、今一度振りかえるべきだろう。そして、そこにこそ、ワタダ論争の意義が見えてくると思いたい。




(*1)第442連隊戦闘団:
 第二次世界大戦時に米国陸軍で編成された日系アメリカ人部隊。ハワイ諸島の日系人と米国本土の強制収容所内の日系人志願兵で構成された。欧州戦線で枢軸国軍相手に激闘を繰り広げ、のべ死傷率は314%に達した。米国史上もっとも多くの勲章を受けた部隊として知られる。同時に太平洋戦線では軍事諜報部(MIS)に所属した二世兵士が英、日バイリンガルを生かして活躍、戦後は通訳などを務め、日本復興に貢献を果たした。

(*2)一事不再理の原則:
 一度裁判によって審理し、判決が言い渡された場合、その一件については訴追することができないというもの。
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