もちろん、そういう人もいますし、そうでない人もいます。洗練されたユーザーは、すでにこうした能力を持ち、検索と一定の距離感を置いて付き合っていると思います。しかし、そこの能力にも非常に大きな差が生まれつつある。テキサス州のテキサス大学アーリントン校の22歳の大学院生のエピソードを本でも紹介しましたが、グーグルだけ使えばいいんだという若者が増えている。確かに、学術情報の検索はとくに面倒です。グーグルはインタフェースが単純だから、すぐに結果を知ろうとするとグーグルに流れてしまう。しかし、単一のキーワードで検索しただけでは、「知」というものは完成しない。グーグルが1位にランクした論文よりも、200位の論文のほうがひょっとすると画期的なアイデアの萌芽を含んでいるかもしれない。学問とはそうした世界なのに、検索するツールがグーグルだけというのは危険ですよね。
それに、特に誰も考えたことがない未知の領域に挑む場合には、こうした検索の仕方はまったく力を発揮しないのだと思います。頭の中に閃きを作るための時間や、それを様々な周辺情報から頭の中で構造化していく時間が必要なわけです。今回取材しているなかで、その辺りを危惧する声が最も多かったですね。「若い世代は、グーグルを使うためのハウツーは知っているが、グーグルとの付き合い方を知らない」と。もちろんそうした人ばかりではないとは思いますが、ある種の“真理”が、そこにはあるのではないかと思いました。
グーグルときちんと付き合っていく知恵というのが必要で、それを議論したり伝えたりする場が必要ではないか。“検索評論家”と言いますか、「この検索結果はどうか、倫理的に問題はないか」などということを考えて、言う人が必要になってくる時代が来る気がします。歴史の浅い技術なので、技術と社会や文化の問題との整合性をどうつけるのか、これからの積み上げが重要です。 |