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検索の世界を牛耳るグーグルの野望とは?―巨大企業をとらえたNHKスペシャル、担当ディレクターが明かす (3)
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5. 情報は提供しているからこそ享受できる
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情報は提供しているからこそ享受できる
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グーグルの登場によって便利な社会になっているのか、それともグーグルの戦略に取り込まれているのか、どちらの要素が強いのでしょうか?
岡田
 率直に言って両面あると思います。マリッサ・メイヤー副社長が語った話で最も印象的だったのは、「検索したという事実はネットを通じていろいろな方向へ波及することを自覚した方がいい」ということです。自分が何を検索したかということはサーバに記録されて、これから先、何十年、何百年と残っていく。だけど、それだけ情報を提供する代償として、便利なサービスを享受できる、そういう“情報の輪”とでもいいますか、そういった相互の関係が成立しているということなのです。だからこそ、その情報の輪に自分も組み込まれていることを認識することが重要なのだと思います。
――
こちらが情報を与えているからこそ、情報をもらっているという意識をもつことが大事ですね。しかし、こうしたことはユーザー個々人が意識するしかないのでしょうか。
岡田
 現状としてはそうだと思います。検索をみる見方、つまり「検索リテラシー」といった能力が問われているのだと思います。検索結果をどう見るか、といいった視点を持てるかどうかで、その情報の受け取り方が変わるからです。ユーザーが情報を与えているからこそ、その結果、こんな情報が得られるのだという、検索との付き合い方を学ばないといけないですよね。
――
自分が探してきたつもりが、本当はただ与えられているに過ぎないんだということに気付かないユーザーも多いでしょうね。
岡田
  もちろん、そういう人もいますし、そうでない人もいます。洗練されたユーザーは、すでにこうした能力を持ち、検索と一定の距離感を置いて付き合っていると思います。しかし、そこの能力にも非常に大きな差が生まれつつある。テキサス州のテキサス大学アーリントン校の22歳の大学院生のエピソードを本でも紹介しましたが、グーグルだけ使えばいいんだという若者が増えている。確かに、学術情報の検索はとくに面倒です。グーグルはインタフェースが単純だから、すぐに結果を知ろうとするとグーグルに流れてしまう。しかし、単一のキーワードで検索しただけでは、「知」というものは完成しない。グーグルが1位にランクした論文よりも、200位の論文のほうがひょっとすると画期的なアイデアの萌芽を含んでいるかもしれない。学問とはそうした世界なのに、検索するツールがグーグルだけというのは危険ですよね。
  それに、特に誰も考えたことがない未知の領域に挑む場合には、こうした検索の仕方はまったく力を発揮しないのだと思います。頭の中に閃きを作るための時間や、それを様々な周辺情報から頭の中で構造化していく時間が必要なわけです。今回取材しているなかで、その辺りを危惧する声が最も多かったですね。「若い世代は、グーグルを使うためのハウツーは知っているが、グーグルとの付き合い方を知らない」と。もちろんそうした人ばかりではないとは思いますが、ある種の“真理”が、そこにはあるのではないかと思いました。
  グーグルときちんと付き合っていく知恵というのが必要で、それを議論したり伝えたりする場が必要ではないか。“検索評論家”と言いますか、「この検索結果はどうか、倫理的に問題はないか」などということを考えて、言う人が必要になってくる時代が来る気がします。歴史の浅い技術なので、技術と社会や文化の問題との整合性をどうつけるのか、これからの積み上げが重要です。
――
検索ということで言えば、検索は結局は言葉ですよね。言葉で検索し、検索結果も言葉によって左右される。そう言う意味では、検索されやすい言葉とか、言葉の並びとかが考えられるようになっていくのでしょうか。
岡田
  すでにアメリカ社会では、その問題が指摘され始めています。ニューヨーク・タイムズだったと思うのですが、記者が「この記事はグーグルのために書く」と言って、SEO的にグーグル・ランキングの上位になりやすいようにわざと記事を書いたのです。同じフレーズやキーワードを散らばらせ、検索されるキーワードを含むわかりやすいタイトルをつけました。しかし、この記事は、「上位にくるように書いたが、記事としては決して面白くない」と結んでいるんですね。グーグル・ニュースに対しての批判が含まれているのだと思いますが、グーグルのアルゴリズムと良い記事とが必ずしも連動するものではないということです。
――
その差はなかなか埋まらなさそうですね。
岡田
  むしろ、私たちが取材したSEO会社・ブルースクレイ社などでは「人間が読める言語と検索エンジンが読める言語は違う」とハッキリ言っています。検索エンジンが読める言語で書かないと意味がないということで、そう言う書き方が蔓延するかもしれません。ある種文体が変わってしまうことすら起こるかもしれません。雑誌には雑誌の、新聞には新聞の書き方があるように、
  これは新しいメディアが登場した時の必然といってもいいかもしれませんが...検索エンジンで上位にくる文章を書かないといけないという時代が訪れるのかもしれません。
――
しかし、人間に読ませるために文体を変えるのではなく、機械に読ませるためだということに気持ち悪さがある気がします。
岡田
  グーグルは、いずれ近い将来(既に今もそうなっていますが)、人間が見きれないほどの情報が世の中に出回るという予測でビジネスモデルを考えています。情報が人間の処理能力を圧倒的に凌駕すると。だから機械で処理する方がいいんだという論理なのです。エリック・シュミットCEOが「これからは、情報をどうやって注意をひくものにするかという時代に突入します」と言いましたが、つまり注意を引いたもの勝ち。うけない情報は眠っていくだけになると。そして、実際その通りになりつつありますね。ですから、機械が選んだものを私たちが読むという時代が訪れようとしているわけです。しかし、機械に選ばせるプログラムを組むのは意図をもった人間です。グーグルの社員だけがその点をどこまで責任を持って行うのか、そして私たち自身はその点をどう考慮に入れて使うかでしょう。
――
グーグルの“折返し地点”というか、このビジネスの分岐点は見えてきましたか?
岡田
人類はどこへ向かうのか
  いいえ、まだまだ“折返し地点”は見えていないと思います。広告市場の全体は今のグーグルの収益の10倍以上は軽くあります。グーグルの方法がすべてのメディアで通用するようになり、ネットが他のメディアをすべて取り込んでいけば、なかなかグーグルは折り返し地点に達することはないと思います。しかし、その前にプライバシーや公平性の議論は今後ますます増えると思いますし、それがグーグルのアキレス腱になるのかもしれません。そのあたりはわかりません。
  いずれにせよ、だからこそ、私たちの情報や検索との付き合い方が大事だと思うのですが、この問題の不思議なことは、使っているユーザーが、サービスを自分で選択し検索語を考えているせいか、100%主観でやっているという意識が強いことだと思います。ある種のフィルターをかけて抽出された情報にのっているという意識が非常に薄いのが特徴です。「自分は使いこなしている」という強い確信をもっているのです。しかしここに、盲信が入っていないと言い切れるだけの距離感は常に持っている必要があると私は思います。それから、番組終了後に寄せられた感想のなかで「自分はグーグルを使ってないから大丈夫」というものが多かったことにも驚かされました。グーグルを使っていないということで他人事になってしまうのですね。グーグルに限らず、日本で強いヤフージャパンやMSNなど、どの検索エンジンも、もっと言えばあらゆる商用サイトがみんな情報を記録し、操作し、ユーザーに効率良く広告や商品を提供しようとしていることは同じなのです。
  確かにこうしたサービスはとても便利です。ただ、そこで得られた情報があくまでもそれぞれの会社が考えたアルゴリズムのもとで“担保された公平さ”でしかないわけです。ですから、今後ますますバックヤードで何が起きているかということ、それを意識して使うことが重要になってくると思います。
写真提供/岡田 朋敏 さん
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