生き別れせし子がどこかにゐるやうに日傘をさして陸橋わたる
花山多佳子
いつもの自分と少しだけ異なるような気分で日傘をさしていると、あれこれと夢想が広がる。レースがいっぱい付いた日傘なのだろうか。何だか貴婦人にでもなったような気分だ。そう言えば、昔「少女小説」というジャンルがあった。生き別れになった姉妹(特に双子)や母子の話がなぜか多かった。お金持ちの家に生まれたにもかかわらず、ふとした出来事によって貧しい夫婦に育てられ、長じて本当の両親にめぐり合う--といった妙な話である。私はそんなものよりも怪盗ルパンや名探偵ホームズのシリーズの方が好きだったのだが、母がなつかしがって図書館で借りてきていたのを読むものがなくて仕方なく読んだりしていた。この歌の作者もそんな空想をしたのか、ちゃんと自分の子どもがいるにもかかわらず、「どこかに生き別れになった私の子どもがいるのかもしれないわねえ」などと思いながら歩いている。陸橋という、ちょっと不思議な空間を歩いている状況もうまく作用しているだろう。ふだんと違う高さから行き交う車や人の流れを眺めていると、自分のいる世界とは別の世界があるように思える瞬間がある。しかし、大事なポイントは「日傘をさして」。日傘なしには、こんな空想は生まれなかったに違いない。
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