白い大きな紙。それは、何でも描ける、果てしない可能性の象徴のようだ。しかし、ちょっとでも何か描いてしまうと、もう後戻りはできない。そのことを私は、5歳の秋に学んだ。
3歳から5歳までの2年間、父の仕事の関係で米ボストンに住んでいた。5歳になって間もなく日本に帰国し、幼稚園に入った。お絵かきの時間になり、クレヨンで楽しく絵を描いていた時だ。はっと気づいた。たくさんの子が、私の画用紙を覗き込んでいる。何だろう。何かヘンなものでも描いたかな。その時の焦りは、今もよく覚えている。自分の描いたものをしげしげと点検し、5歳の私は「やや! いかん」と思った。幼稚園児にとっては、絵も文字も同じようなものである。私はアルファベットで自分の名前を書き込んでいたのだ。
異文化ということをその時の自分が理解していたのかどうかは分からないが、アルファベットを何とかしようと思い至ったのは確かだ。内心の動揺を悟られまいと、私はクレヨンでローマ字の上に線を描き加え、いびつな花を描いていった。「コレは花なんだから。わたしは最初から花を描こうとしてたんだから」と、口には出さないが、周囲の子どもたちに伝わるように、落ち着いているふうを装いつつどんどん花を描いていった。お絵かきの時間が終わるまで、随分と長かった。
「YURIKO MATSUMURA」に描き加える形で妙な花が並んだ絵は、小学校時代まで母が保存しており、私は何度かそれを見た。よく「子どもは真っ白な紙のようなものだ」と言うが、人生の早い段階で人はもう白紙ではいられないことを思う。真新しいタイツを椅子の釘に引っかけて破いたり、ぶらんこに乗っていて順番を待っている子にぶつかって怪我させてしまったり、幼稚園時代の私は既に「絶望」や「罪業」ということを知っていた。
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松村 由利子
歌人。
1960年生まれ。
94年、「白木蓮の卵」で短歌研究新人賞を受賞。
98年、『薄荷色の朝に』を出版。2005年11月、第二歌集『鳥女』出版。
新聞社勤務。

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