風
 
 
 
 
 
 
[知ることの価値と楽しさを求める人のために 連想出版がつくるWEB マガジン
Series短歌でよむ日常
語りだすオブジェ 松村 由利子
05/10/31

第15回 鏡

冷蔵庫、ネクタイ、フランスパン……。日々の暮らしの中、あまりにも近くにありすぎて、ふだんは目にとめることもないもの。歌人がそんな存在に光をあてると、日常のオブジェは生き生きと語りだす。「もの」を通して情感が立ちのぼる。なにげない存在を通して見た短歌の世界を歌人がつづる。

 中学生のころ、怪奇小説やSF作品に熱中した。江戸川乱歩や夢野久作、レイ・ブラッドベリ、ジャック・フィニィ・・・。思春期の閉塞感から逃れ、非現実世界に遊ぼうとしたのかもしれない。読み漁った中に、鏡を扱った怖い短編があった。
 作者は忘れたのだが、一人の男が内側が鏡でできた球体を作り、その中に入ったところ、気がふれてしまったというストーリーだった。鏡に映った自分の顔がどこから始まってどこで終わるのか、また終わらないのか、想像するとぞくぞくした。球体に入るには扉が必要だから、内部はひとつながりになった鏡面ではないはずだが、想像上の完全な球体の鏡は私を怯えさせた。

何も写さぬ一瞬などもあらんかと一枚の鏡拭きつつ怖る

富小路 禎子

 鏡は怖い。見ていないときには、全く別の世界を映し出しているのではないか。この歌の作者は、手鏡だろうか、姿見だろうか、鏡を磨いている。そして、自分の顔を映す鏡を覗き込みながら、もしかして何も映さない瞬間が存在するのではないかと恐ろしく思う。「一枚の鏡」は八音だから字余りだが、余計なものを除き、くっきりとした印象で一首をまとめるのに役立っている。これが例えば「何も写さぬ一瞬などもあらんかと形見の鏡拭きつつ怖る」だと、怖さが半減する。どの鏡も普遍的に持っている怖さとして表現するには、「一枚の鏡」という表現が必要だった。
 富小路禎子は旧華族の家に生まれた。没落した家を支えて働き、生涯、独身を通した。「幻のほうが濃く、現し身のほうが淡い」と独特な想像世界を詠った歌人である。この鏡の歌の収められた歌集『白暁』には、「未婚の吾の夫のにあらずや海に向き白き墓碑ありて薄日あたれる」という作品もある。実際には存在するはずのない夫の墓は、最初から失われていた夫の存在であり、あったかもしれない世界の象徴だろう。鏡には、そんな平行世界が無数に映るのだ。幻想の世界は作者にとって恐ろしくはなかった。本当に怖いのは、「何も写さぬ」底知れぬ無の世界だったのだろう。

君と君が鏡を挟んで向かい合う朝、永遠に少し近づく

松村 正直

 恋人が泊まった翌朝の風景である。いつもは自分の姿しか映さない鏡が、彼女の姿を映し出す。朝の光の中で、いとおしい顔が二つ向き合っていて、嬉しさも二倍に感じられるようだ。このまま、このいとおしさが永続しますように。二人の関係がずっと続きますように・・・。
 素直に詠われたようで、なかなか細部にまで神経のゆき届いた巧い歌だ。まず「君と君が」と始めることで、読む者を「え?」と引きつけるところが憎い。「朝」というのもいい。もしかしたら、前の晩にも彼女は、シャワーを浴びた後で髪を梳かしながら鏡を覗いたかもしれないが、それはそれ。後朝という言葉もあるように、「朝」は恋人同士が一夜を共にしたことを表す。そして、二人の関係がこれからずっと続いてほしい作者の気持ちを考えれば、当然ここは夜でなく「朝」でなければいけない。一日はまだ始まったばかりなのだ。そして、「永遠に少し近づく」の「少し」の慎ましさを思うとき、改めて「ああ、これは新婚の歌ではなく、若い恋人の歌なのだなあ」としみじみするのであった。

詩歌とは真夏の鏡、火の額を押し当てて立つ暮るる世界に

佐佐木 幸綱

 作者が俵万智の師であり、早稲田大学教授であることを知る人も多いだろう。代々歌人の家に生まれた人で、祖父は佐佐木信綱である。学生時代に父の死をきっかけに短歌を本格的に始めた。ふつう短歌を作り始めるきっかけは、恋する気持ちを何とか形にしたくて、とか、好きな短歌作品に出合って、なんていうことが多いのだが、これほど自覚的に向き合って短歌を作り始める人もないだろう。
「詩歌とは真夏の鏡」という詠い出しの何と魅力的なことか。意味はよく分からないながらも、ぐっと引き付けられる。「火の額」で、作者が額を火照らせた熱情あふれる青年であることが分かる。青年は自らの熱を持て余し、それを冷やそうと鏡に押し当てているのだ。暑い盛りの夕暮れだが、鏡面はひんやりと冷たい。それはあたかも、狂乱する熱い現実世界を、曇りなく映し出す使命を帯びているようだ。そう考えると、詩歌こそ、真夏の鏡ではないのか、いや、少なくとも自分の作る詩歌は真夏の鏡のような存在でありたい・・・。
 この歌を発表したとき、佐佐木幸綱は35歳。後に第三歌集『夏の鏡』に収録される作品である。第二歌集のタイトルが『直立せよ一行の詩』であったことを考えても、彼がこの時期、「詩歌」とは何か、深く考えていたことが分かる。
『夏の鏡』の刊行されたのは1976年だから、当時詠われた「暮るる世界」は、いま同じ言葉で喚起されるイメージとはだいぶ異なるに違いない。けれども、テロや戦争の絶えない現実を思うとき、「暮るる世界」は閉塞感を伴って私たちに迫ってくる。優れた歌は古びることなく、新しい意味を獲得して生き残ってゆくのだ。

BACK NUMBER
PROFILE

松村 由利子

歌人。
1960年生まれ。
94年、「白木蓮の卵」で短歌研究新人賞を受賞。
98年、『薄荷色の朝に』を出版。
新聞社勤務。

薄荷色の朝に

『白暁』
富小路禎子著
新星書房

駅へ

『駅へ』
松村正直著
ながらみ書房

夏の鏡

『夏の鏡』
佐佐木幸綱著
青土社