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Series ノンフィクション
ある家族の肖像 渥美 京子
05/08/15

第12回 証人尋問

仕事熱心な若者が、ある日突然この世を去った。最愛の息子を亡くした母は、なぜ息子は命を落とさなければならなかったのかと問い、裁判をはじめる。互いを思いやる家族の絆は、彼の死によって途切れてしまうのか。

証言を拒否するリクルート社員

 裁判は、原告側にとって厳しい状況のもとスタートした。過労死をめぐる判断は労働時間の長さや不規則な勤務形態、精神的な重圧などが重視される。だが、原告側にはそれを立証するに足りるデータがない。石井偉(いさむ)が使用していたはずの手帳4年分も出てこないというなかで、リクルート側から出されている勤務に関する資料だけで「業務の過重性」を読み取るのは難しく、原告に有利に働くと思われる証拠は乏しかった。
 過労死が認められた過去の判例をみると、長時間労働をしていたことを示す客観的資料がなくとも、同じような仕事をしていた者の証言などがあれば、それが大きな鍵を握ることがある。だが証人探しは困難をきわめた。
 原告側の玉木一成弁護士たちは、現役のリクルート社員と連絡をとり、協力を求めたが、会うことさえ拒否され続けた。かろうじて面談に応じてくれた数名も、「社内的な立場があるので、表立って話すことはできない」と匿名が条件だった。
 すでに同社を退職した者であっても、一部の理解者を除き、裁判への協力は得にくかった。リクルートの社員は、会社を辞めた後も、リクルート社やそのグループ会社とつながりを持って仕事をしている者が多い。このため、自らの立場を不利にしかねない行動はとりがたい。日本的労使慣行のもとでは、「退職したら会社と縁が切れる」というのが一般の風潮だが、リクルートの社員は退職後も会社とつながり続ける者が少なくない。
 さらに付け加えると、偉と同じ仕事をしていた同僚はいない。偉の上司だったMは証言の中で、
「石井君のほかに編集業務を任せられる人はいましたか」
 という被告側弁護士の問いに
「いなかったですね」
 と答えている。
 他に仕事内容を把握する者がいないため、「疲れて休みたいと思っても、自分のピンチヒッターがいない」という状況下に偉がいたことが、容易に想像される。
 劣勢をくつがえすためには、できる限り証拠を集めて提出し、リクルートから提出させた資料も徹底的に分析しながら、証人尋問で労働実態をひとつひとつ解き明かしていくなかで、真実を明らかにするしかない。原告側はそう方針を決めた。

いよいよ本番

 裁判というのは、膨大な書類のやりとりと時間を費やす作業である。映画やテレビドラマでみかける裁判シーンは、法廷の証言台にたった証人と弁護士を主役としたやりとりであるが、実際の裁判全体の流れからみると、それはほんの一部にすぎない。
 1999年の提訴から約2年間、裁判官と原告、被告の三者がひとつの丸テーブルを囲んで話し合う「ラウンド・テーブル方式」と呼ばれる話し合いが10回にわたり開かれた。これは裁判をできるだけ迅速かつスムーズに進めるための方法で、裁判長をはさみ、原告と被告間での書類のやりとりが大部分を占める。
 ようやく証人尋問が始まったのは2001年5月。1人目は『デジタルB-ing』での上司M。そして翌6月に『週刊B-ing』時代の上司Tと決まった。2人とも被告側が選んだ証人だが、これは
「仕事の全容を知っているのは会社ですから(まず、会社が証人を立てるべき)」という裁判長の言葉で決まった。
 そのときの思いを淳子は手紙にこうつづっている。

〈いよいよ本番。いままで、息子の仕事内容をほとんど知ることができませんでした。これでやっと、仕事の内容を知ることができるかもしれません。何を聞かされるかはわかりません。でも、心を澄ませて、耳を傾けたいと思っています。あの子の生きた軌跡を垣間見て、なぞらえることが出来るかどうか。気老いて、取り残されて、でも、生きて行かねばならない母親の、たったひとつの、でも切実な望みにどのような答えが示されるのでしょうか〉

自己弁明に終始するも、ほころびが

 5月10日午後1時30分、第2回口頭弁論が開かれ、被告側証人として『デジタルB-ing』時代の上司Mが証言台に立った。妹のまどかも北海道から3歳と1歳の子どもを連れて上京し、初めて傍聴席に座った。2人の子どもは知人に紹介された都内の保育所に預かってもらった。
 Mは1996年4月、商品プロデュース事業部企画室にできたインターネット企画グループのマネジャーとなり、『デジタルB-ing』の編集長も勤めていた。偉はMをトップとする同グループ在籍中に亡くなった。
 ちなみにMは、今では国内最大の就職、転職サイトとなった『リクナビ』を軌道に載せた立役者でもある。その運営マネジメントは社内外で評価され、2003年には社団法人日本広告主協会のWeb広告研究会による「第一回Webクリエーション・アウォード Web人賞」を受賞している。
 Mと偉が席を共にした時間は4ヵ月に満たない。だが、原告側弁護団はこの4ヵ月にかなりの疲労が蓄積されたとみていた。
 尋問は被告代理人を勤める弁護士による主尋問から始まった。Mは自身の経歴確認に続いて、ウェブサイト『デジタルB-ing』の立ち上げ作業と仕事内容を次のように証言した。

〈当社の場合は求人広告ですから、どの読者さんと言いますか、どのターゲットに対して訴求をしていくのかという、ターゲット決めをまずして、それからどういう方法で広告を集めていくのかというような、営業手法、販売手法ですとか、価格決定、それから媒体のネーミング、それから販売促進のツール作成、それから新しいメディアですと、営業マンの方に勉強会とかをしていかなければならないので、そういったことをまとめて立ち上げ作業というふうに呼んでおります〉

 技術系スタッフが多いなかで、編集技術を持つ偉に求められたもののひとつは、コンテンツの充実であったという。だが、Mの証言は、偉が配属されたときにはすでに準備が終わり、軌道に乗った時期でもあり、過重な仕事はなかったという内容に終始した。それどころか、深夜まで仕事をしていたのは業務命令ではなく、〈(仕事の)完成度に対するこだわりが長時間労働に結びついた〉など、偉の個人的資質に問題があった、ととれるような証言が続いた。

原告側代理人、小池純一弁護士

 次に短い休憩をはさみ、原告側代理人の小池純一弁護士による反対尋問にうつる。弁護士1年目でこの事件を手がけることになった小池弁護士は、偉が生きていれば同じ年齢にあたる。どこかで偉と母の淳子に共感を寄せているように見えた。直前まで証人尋問の準備をしたという彼は、やや青ざめた顔に眼光鋭く、鬼気とした気迫が傍聴席まで漂ってきた。
 小池弁護士は安全配慮義務に焦点をあてた。会社は社員の健康に配慮して働かせる義務がある。
 偉は亡くなる年の春、腎臓の病気で通院し、血尿が出るなど体調を崩していた。さらに亡くなる数日前に会った友人の多くが「顔色が悪かった」「頭が痛いと言っていた」と証言している。ところが、Mは、偉の健康診断データも「知らない」、通院の事実も「聞いていない」。友人たちが体調の変化に気づいた時期についても
「普段どおりだと思いました」
 と証言する。
 一方で、7月中旬から、Mは長期勤続社員に与えられる「ステップ休暇制度」を利用して、2週間の休みをとっている。以下、小池弁護士とのやりとりを再現する。
-どこか旅行されましたか?
〈覚えていないです〉
-海外でしたか?
〈覚えていないです。何年前にどこに行ったかなんか覚えてないです〉
-海外だったか国内だったかも覚えていないですか?
〈覚えていないですね〉
 わずか5年前のことだ。2週間の休暇はめったにとれるものではなく、しかもその数週間後に部下が死んでいるのだ。果たして、本当に忘れるものだろうか。何かを隠し、会社側に都合のよいことだけを述べようとする姿勢が垣間見えた瞬間だった。だが、はっきりしたことがひとつあった。7月中旬から2週間、偉は上司不在で仕事量が増えていたということだ。
 午後1時30分から3時間近くにわたる証人尋問は、偉をめぐるいくつかの事実の断片のみを家族に伝え幕を閉じた。

 それにしても、息子を亡くし50代半ばをすぎた母親にとって、裁判はあまりにも苛酷だ。Mの話は聞きようによっては「無理な仕事は要求していなかったし、過重業務もない。労働時間が長かったのは、本人が好き勝手にやっていただけ」と受け取れる。それどころかMは裁判長を前に
〈石井君の好きだった上司やリクルートを相手にこのようなこと(裁判)になって、彼(偉)も悲しんでいると思う〉
 とさえ言い放った。それを聞いたまどかは憤りがこみ上げた。
「兄は、気持ちをどう語られても、もう一言の反論も、同意もできないのに卑怯だ」

(敬称略、つづく)

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PROFILE

渥美 京子

1958年静岡県生まれ。電子部品メーカー勤務ののち労働問題の専門出版社で編集記者を経て91年からフリー。社会問題・老人介護・医療・食など幅広い分野でルポを発表。2003年、血友病をかかえながら、パン業界に革命を起こした銀嶺食品・大橋雄二氏を描いた『パンを耕した男』(コモンズ刊)を出版。共著に『大失業時代』(集英社文庫、1994年)、『看護婦の世界』(宝島文庫、1999年)、『介護のしごと』(旬報社、2000年)など。

世界はいまどう動いているか

『パンを耕した男』
(コモンズ)

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