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SERIES 03 ある家族の肖像 -息子を失った母が求めたもの
渥美 京子
第1回 止まったままの誕生日

 仕事熱心な若者が、ある日突然この世を去った。最愛の息子を亡くした母は、なぜ息子は命を落とさなければならなかったのかと問い、裁判をはじめる。互いを思いやる家族の絆は、彼の死によって途切れてしまうのか。

 台風4号が去った6月12日、梅雨空の湿った東京の空気とは正反対に、北海道旭川は青空がのぞき、さわやかな風が吹き抜けていた。この季節の旭川の気温は、東京と比べ平均して8度前後は低い。町のいたるところに、自生したルピナスが水色とピンクの花を咲かせ、東京ではすでに開花の季節が終わり、枯れてしまったマーガレットが咲き乱れる。
 ようやく初夏を迎えたその旭川市内で、石井淳子(60)は、マンションの部屋中に置かれた息子・偉(いさむ)の写真を見つめて、微笑みを浮かべながらつぶやいた。
「今日はあの子の37歳の誕生日。もう、立派な中年よね。でも、中年になったあの子の顔がイメージできなくて、私の中では29歳で止まったままなの」
 築20年になる3LDKのマンションのリビングには、偉が幼い頃から青年になってまでの何枚もの写真が所狭しと飾られている。淳子は偉が好きだったというエビスの黒ビールを2つのグラスに注ぎ、ひとつを写真の前におき、もうひとつを自分が飲んだ。

 南に面したリビングからは函館本線が見下ろせる。ゴトンゴトンと音がすると、淳子はそちらに顔を向けた。
「あの子はいつも札幌から函館本線に乗ってうちに帰ってきた。だから、電車が通るたび、偉が乗っているような気がしてならないの」
 線路に沿って石狩川の支流である忠別川が流れる。十キロほど川を下ったあたりに広がる小高い丘に、灰色に塗りつぶされたような一角がある。目をこらすと、墓標が点々とみえる。淳子の息子はそこで眠っている。

 偉は8年前、29歳でこの世を去った。死因はくも膜下出血。誰もが予想もしない突然の死だった。リクルート(本社・東京都中央区)に勤務し、編集者として仕事をしていた偉。趣味が豊富で、友人も多い、心優しき多才な29歳。上司や同僚をはじめ、彼を知る誰もがその死を悼んだ。「なぜ、あんないい奴が」と涙を流した者は数えきれない。

 偉が亡くなって2年半後、淳子は息子がくも膜下出血で死亡したのは過重労働が原因だったとして、リクルートを相手に約8900万円の損害賠償を求め、東京地裁に裁判を起こした。
 お金の問題ではなかった。淳子は言う。
「あの子は、遠く離れた東京でどんな暮らしや仕事をしていたのか。なぜ、29歳という若さで死ななくてはならなかったのか、それが知りたかった。裁判という手段をとらなければ、知る手立てがなかった」
 一方、リクルート側は、偉の死は「腎臓の持病の合併症が原因で、業務と死亡との間に因果関係はない」と主張し、両者は対立していた。
 そして2004年1月、東京地裁(芝田俊文裁判長)で和解が成立した。リクルートの法的責任は前提とせず、原告に対して1200万円の和解金を支払うことで合意するに至った。裁判に先立ち、淳子は偉の死は労災であると中央労働基準監督署に労災申請をしたが、却下されている。その後、労働保険審査会に再審査請求を行っているが、まだ審理の結着はついていない。だが、裁判という形ではひとつのピリオドが打たれた。

 偉は、母にも誰にも一言も残さず、逝ってしまった。なぜ、彼は29歳で死ななくてはいけなかったのか。その死を彼の家族はどう受け止めたのか。

 119番通報・・・1996年8月25日
 その年の夏は猛暑だった。気温は連日、摂氏35度を超え、熱帯夜が続く。
 1996年8月25日、日曜日午前10時、東京消防庁に119番通報が入った。
「頭が割れるように痛い、吐気も強いので救急車をお願いします」
 通報者は男性で、品川区南大井3丁目にある電話からかけている。1分後、大井消防署の救急車が出動する。現場についたのは10時4分。
 救急隊員が電話の発信元である集合住宅2階の206号室のドアをあけると、30歳前後とみられる男性がひとりで入口に立っていた。吐気と嘔吐を訴える。すぐ、救急措置を始める。
 意識は「清明」
 呼吸は16回/分
 脈拍72回/分
 タンカに乗せて救急車に運び込み、現場を出たのが10時13分。救急を受け入れている大森駅近くのM総合病院に到着したのは10時16分だった。

 救急隊から救急患者が運ばれるとの一報を受けたM病院では、当直の若いA医師が待機していた。救急隊員から説明を受け、すぐに診察にとりかかる。
 突然の頭痛と嘔吐を訴えるほか、外傷はない。すでに意識はもうろうとしている。脳血管疾患が疑われた。頭部CTをとると、やはりくも膜下出血が認められ、脳動脈瘤の破裂が原因と思われた。

 一方、病院の事務室では、事務スタッフで当直をしていたTが、運ばれてきた男性の家族に連絡をとろうとしていた。住んでいたマンションは単身用のワンルームマンションらしく、同居の家族はいない。すでに男性の意識はなく、どこに知らせればいいのかわからない。手がかりをもとめ、所持していた財布をあけてみると、クレジットカードが入っていた。そこで、カード会社に電話をかけると、カードを作った際の保証人は実家の母親となっており、連絡先もわかるという。だが、カード会社はこのような場合でも、家族の連絡先などの個人情報を教えることはできない。カード会社から家族に連絡をとってもらうことにした。

 その頃、ひとり暮らしの石井淳子は朝の片付けも終わり、一息ついたところだった。旭川駅から歩いて約15分に位置する自宅マンションは5階建てで、淳子の部屋は4階にある。窓の外は青空が広がっている。正午にスタートする北海道マラソンのテレビ中継をみるか、それとも天気がいいので散歩がてらデパートに買い物に行こうか迷っていた。
 時計の針がまもなく正午を指そうというとき、リビングにおいてある電話が鳴った。友だちからのお茶の誘いかな、と受話器をとった。
「カード会社の者です。息子さんが怪我をされたようなので、病院に電話をしてください」
〈はて、なんでカード会社が・・・〉
 と首をかしげつつ、電話を切り、すぐに教えられた病院に電話をした。
「息子が怪我をして、そちらにお世話になっているといわれたのですが」
 と伝えると、事務室のTが電話口に出た。
「当直の事務の者です。怪我ではなく、くも膜下出血だと思います。今日、こちらに来られますか?」
 くも膜下出血については多少の知識がある。瞬間的に、
〈ああ、やっぱり、過労で倒れたんだ。ずっと、心配していたのに、やっぱりオーバーヒートしたか〉
 と漠然と抱いていた不安が現実のものになったと思った。だが、自分でも不思議なほど、冷静だった。
「わかりました。できるだけ、早く、うかがいます。さっそく航空券を手配しますが、北海道は今、観光シーズンで満席かもしれません。空席が取れ次第、そちらに向います」
 と答える。
 病院は羽田空港から近く、タクシーを使った方がわかりやすいことなどを教えられ、メモをとり、受話器をおいた。

 航空会社に電話をすると、予想したとおり、旭川から羽田に向かう飛行機は夜まで満席だった。10数人がキャンセル待ちをしているという。千歳空港にも電話をかけた。旭川から千歳空港へは函館本線で約2時間。千歳発なら便数も多い。遠回りしてでも、今日中に東京にかけつけたい。だが、千歳ではキャンセル待ちが100人を超えていた。
〈千歳に回り、キャンセル待ちしても乗れる可能性は低い。旭川空港で待つしかない〉
 ボストンバッグに洗面用具や着替えをつめ、空港に向かうことにした。
 でかける前、下の階に住む友人に電話をかけた。
「しばらく留守をすると思うので、よろしくお願いします」
 わけを話すと、空港まで車で送ってくれた。
 旭川空港は観光客でごった返していた。すべての便が満席なのは電話で確認していたので、全日空とJAS(当時)のカウンターでキャンセル待ちの手続きをする。事情を話し、早い便に乗れないものかと尋ねたが、「ご事情はわかりますが、規則でお待ちいただくしかありません」と言われる。時刻はまもなく午後2時になろうとしていたが、当分、自分の順番は回ってきそうにない。
「お昼食べてないでしょ。何かお腹に入れよう」
 と友人が言う。
「食べたくない」
「ともかく、食べなきゃだめ。サンドイッチなら食べられるでしょ」
 レストランに入り、無理やりサンドイッチを口に押し込む。
 飛行機に乗れるまでついているから、という友人を「私は大丈夫だから」と帰し、時をすごす。
〈後遺症が残るかもしれない、リハビリも時間がかかるだろう。けれど、あの子は必ず、社会復帰する。それまで、そばについていてやろう〉
 急性期の症状が落ち着いた後で、予想される光景が頭の中をかけめぐる。死ぬということは考えてもいなかった。
 見晴しのよい待合室からは、大雪連峰が鮮やかに見え、静かで穏やかな風景が広がっている。
〈こんなに天気がいい、平和そのものの日でも人は死んでゆくのか〉
 ほんの一瞬、諦観に似た感情が、風が吹くように流れた。
 午後5時、キャンセル待ちで自分の番号が読み上げられた。人波に吸い込まれるように、淳子は搭乗口に向かった。

(敬称略、つづく)

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PROFILE

渥美 京子

1958年静岡県生まれ。電子部品メーカー勤務ののち労働問題の専門出版社で編集記者を経て91年からフリー。社会問題・老人介護・医療・食など幅広い分野でルポを発表。2003年、血友病をかかえながら、パン業界に革命を起こした銀嶺食品・大橋雄二氏を描いた『パンを耕した男』(コモンズ刊)を出版。共著に『大失業時代』(集英社文庫、1994年)、『看護婦の世界』(宝島文庫、1999年)、『介護のしごと』(旬報社、2000年)など。

世界はいまどう動いているか

『パンを耕した男』
(コモンズ)

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