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[知ることの価値と楽しさを求める人のために 連想出版がつくるWEB マガジン
SERIES 02 解体・新書
岩本 宣明
第10回 門外漢

 出版業界は構造不況だというのに、最近では(「最近では」というのは、今に始まったことではないことを、さも新しい出来事であるかのようにカムフラージュする用語として、最近では用いられているので、注意してください)、ネコも杓子も本を書く。有名人ならイタリアでスパゲティを三皿食べただけで、体験談を本にできる。それじゃ、売れるわけはなく、それが構造不況の一因だと言いたいところだが、案外面白くて売れてたりする。文章だって手馴れていて悪くないものもある。困ったものである。
 いや別に、本が売れず(最近では書いてもいませんが)、無名であることを僻んでいるわけではない。僻みもあるが、もっと構造的で深刻な問題に困っているのである。書店に素人が書いた本が溢れることによって、人気作家ならいざ知らず、私のように、細々と文章を書いて売ることを生業にしている陽炎の如き存在のものどもの生活の糧は、確実に侵食されてしまうからなのである。タレントさんもお医者さんも弁護士さんも、学者さんもテレビに出るだけにして、本は書かないでと、心の中で叫び続けている私である。

 もともと新書は、その道の専門家が学問の世界に蓄積された人類の財産たる知の泉の一端を、門外漢の人々にわかりやすく教授することを目的に作られたものだが、最近では(しつこくて申し訳ありません)、門外漢が筆を執っている新書も散見され、それが案外慧眼であったりして、とても興味深い。

 前回の「ヒーローは誰だ」に紹介した『信長と十字架/「天下布武」の真実を追う』(立花京子著、集英社新書)などは、その典型である。立花氏は元は数学者だったそうである。その後、戦国史に打ち込んでこられたということなので門外漢と言っては失礼だが、<信長は、武器や金銀などイエズス会の支援を受けて天下統一の事業に乗り出したが、自ら神となろうとした傲慢からイエズス会に見捨てられ、その巧妙な陰謀によって本能寺で謀殺された>とする奇想天外、大胆にして痛快な新説は、先人が積み重ねてきた学説に囚われざるを得ない学会本流の人々の発想からは、決して生まれることはなかったのではなかろうか。

 世に不倫の専門家がいるのかどうか知らないが、『不倫のリーガル・レッスン』(日野いつみ著、新潮新書)は、なぜ人は不倫しちゃうのかとか、不倫の魅力とか、楽しみ方とか、そういうことではなくて、宴の後の冷酷な現実を報告する恐ろしい本だ。法律家(不倫の門外漢かどうかは、人によるのかもしれませんが)の目から見た不倫は、甘味とは程遠い別のものだ。不倫が原因で結婚生活を破綻させると高額な慰謝料を請求される。こじれたら家裁の調停・裁判と、精神的時間的な苦痛がともなう事後処理が待っている。費用もバカにならない。読めば読むほど、不倫の恐ろしさが身にしみる。不倫に走る前にコストパフォーマンスを冷静に考えてみては、と弁護士である著者は親切にも忠告してくれているのだが、だからと言ってやめられないのが人間の愚ではあろう。
 医療を巡る問題については、門外漢の視点は特に重要である。医療従事者の関心は、技術の発展に向けられがちで、技術の発展を少しでも否定的にとらえる視点は潜在的に排除されることが多いからだ。

『臓器は「商品」か/移植される心』(出口顕著、講談社現代新書)は、現代医療の中心課題の一つである臓器移植についての文化人類学者の考察である。著者は「商品と記号」という、文化人類学的な視点を提供して、臓器移植という事体を考える。「商品」とは金銭などで代替可能なモノであり、「記号」とは他のものに代替のきかない意味を内包したモノである。同じロレックスであっても、父の形見であれば、それはその人にとって「商品」ではなく「記号」となる。臓器移植を推進する思想は、臓器を「商品」として扱うが、生身の人間にとって臓器は「記号」であり、「商品」と納得することは難しい。その辺りに、臓器移植が孕む困難の原因があるのではないか、と著者は指摘するのだが、これも、古漬けのように医療の論理に漬かってしまっている医療の専門家からは、生まれるはずもない発想であろう。

『神、この人間的なもの/宗教をめぐる精神科医の対話』(なだいなだ著、岩波新書)は、精神科医が宗教を考える。宗教的事象を精神医学的観点からのみ考察して、それを科学的事実であるかのように認定する言質は危険だが、二人の精神科医による対話には、そのような危険性は感じられない。宗教学的視点では大きな位置を占めてはいない、何かを信じずにはおれない人間の側に焦点をあて、宗教を人間の営みとする視点から、深い思索が続けられる。二人は、人はどのような契機で宗教に入信するのか、なぜある特定の宗教を選択するのか、といった問題を、丁寧に意外性をもって語る。例えば、入信する契機は、親の信仰を受け継ぐ習慣型や、勧誘による折伏型が多く、多くの人がイメージしている困難や絶望を契機としている人はそれほど多くないことや、宗派や教義はさほど重要ではなく、ある宗教や宗派を選択する基準は尊敬できる人がいるとか、一緒にいて楽しいなどといった人間関係が実は重視されている、などといったことである。

 ある専門分野のことについて専門以外の人が、たいしたこともない自分の経験だけを頼りに、思い付きを好き放題に殴り書いているような門外漢の書はゴミとしかいいようがないが、別の専門分野で知の集積がありその分野独特の思考方法を身につけた人がその視点から、別の分野のことについて行った丁寧な思索には、傾聴に値する論が少なくない。新書にもそのような本は多いのである。
 養老本の人気の秘密も、そんなところにあるのではなかろうかと、私は思う。

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PROFILE

岩本 宣明

1961年生まれ。毎日新聞社会部記者などを経て93年文筆家として独立。同年、現代劇戯曲『新聞記者』で菊池寛ドラマ賞受賞。

主な著作:

新宿・リトルバンコク

不倫のリーガル・レッスン

『不倫のリーガル・レッスン』
日野いつみ著
新潮新書

臓器は「商品」か

『臓器は「商品」か』
出口顯著
講談社現代新書

神、この人間的なもの

『神、この人間的なもの』
なだいなだ著
岩波新書

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