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[知ることの価値と楽しさを求める人のために 連想出版がつくるWEB マガジン
SERIES 02 解体・新書
岩本 宣明
第4回 世界は面白い~入門書斯くかくあるべし

 テレビが非常に大きな影響力を持つに至った現代社会というのは、夜中に一人でいてもあんまり寂しくないといった悲しいメリットはいくつかあるものの、かなり困った知的状況を作り出している。その原因の一つは、テレビでは教養が豊かであるよりも、人気がある人や話し上手な人が出演者として珍重されることにある。出演者に求められるのは、情報の正しさではなく、分かりやすさと受け容れられやすさである。だから、嘘でも間違いでも誤解でも、分かりやすけりゃよいということになるし、そんな人たちが井戸端会議で話しているような無茶苦茶な情報を振りまいているので、それに影響を受ける人たちは、どんどん馬鹿になっていってしまう、ということが起こっている。いや、私だけは馬鹿ではないと言っているのではなく、多分、私も、テレビっ子なので、自分があまり詳しくないことについては、知らず知らずのうちに間違った情報を鵜呑みにして、日々馬鹿になっていっているのだろうな、と凄く不安に思うのである。
 日本のテレビで宗教の問題が扱われるときには、とくにそうした状況が顕著に現れる。出演者の大多数は、宗教を知らない人である。知らないだけではなく、知りもしないのに馬鹿にしていたり憎んでいたり、といった人たちが、宗教や宗教家のあるべき姿を、厚顔にも訳知り立てで語る。ちょっと考えれば分かることだけれども、例えばそれは、楽器を触ったことはおろか音楽を聴いたこともない人が、音楽や音楽家のあるべき姿について語っているのと同じことである。それが、まかり通っているのが、テレビと宗教の関係であり、結果、宗教はみんないんちきか、でなければ、あってもなくてもよい無害なものでなければならず、宗教家は聖人君子かまたは詐欺師でなければならない、ということになってしまい、それがさも教養人の常識であるかのようにお茶の間に流布されている。なんとまあ、困った状況ではあるまいか。
 テレビばかり見ていて知らないうちに馬鹿の仲間入りしないためには、たまには本も読まねばなるまい。ま、本にもひどいものはあるけれど、活字はテレビほど無批判に受容できる媒体ではないので、すこしはましだと信じたい。

「私は宗教は信じない」とか、「神様は信じていない」と思っている人は多いと思われるけれども、そんなことは大抵ない。例えば、哲学者の西田幾多郎という人は、ちょっと真面目にものを考えてみれば、およそ、宗教的でないというような人はこの世には存在しない、というような意味のことを言っている。つまり、人間である限り、宗教的であらざるを得ない、というのが、宗教を真面目に考えている人々の共通した意見である。宗教と宗教的ということの違いは、特定宗教と宗教的な現象の違いというようなことである。西田の本はどれも難しいのだけれど、そこら辺りのことを面白くかつ分かりやすく語っている入門書ならある。『宗教学講義/いったい教授と女生徒のあいだに何が起こったのか』(植島啓司著、ちくま新書)がそれだ。入門書といっても破天荒な入門書で、戯曲の体裁で綴られた女子大生と教授の軽妙な会話を楽しむうちに、宗教とは何か、人が教団に入信するわけ、カルトとはどういう集団か、といったことが説明される仕掛けとなっている。「宗教とは物質的秩序を超越するような関心の現れ」「宗教とはいわゆる人間性の枠をはみ出ようともがく内的力のこと」など、宗教の様々な定義も提示されるのだけれど、定義を言うだけでなく、それがどういうことなのかを、色恋とかコマーシャルなど、身近な例をとって、説明しないふりをしながら、いつのまにか説明している。もし、あなたが、運命的な出会いとか、不思議な縁とかを、信じたり、そういう考えを受け容れたりしているとすれば、立派に宗教的です、というようなことである。
 この本の素晴らしいところは、宗教現象にアプローチするのに、信仰体験に基いたり、哲学的手法を用いたり、歴史を遡ったりということはおいて、とにかく、宗教現象の面白さに焦点を絞って、それを「講義」としているところだ。入門書とは、とかく、歴史や体系といったものを重視しがちで、面白いと感じる前にうんざりしてしまいがちなものが多いが、これは違う。まず、その世界の面白さを教えてくれる。これこそ入門書のあるべき姿だと、私は思う。

 そういうすぐれた入門書は新書には少なくない(多くもないと思いますが)。生物や生物の進化に多少でも興味のある人には『進化とはなんだろうか』(長谷川眞理子著、岩波ジュニア新書)がお勧めだ。ジュニア向けの入門書だが、これ一冊を読めば進化の全体像は余すところなく学ぶことができるし、何より、生物の多様性を具体的に紹介しながら、進化を説明する行動生態学者の記述は、エキサイティングでもある。なぜ果物は甘いのか、果物の種はつるんとしているのか、同じ環境に棲息しているのに同種の雄と雌で形態に差があるのはなぜか、というようなことが、進化という事実を通して鮮やかに説明されていく。これも、まず、面白さから教えてくれているという点で優れている。
 数学嫌いの人は、『無限のなかの数学』(志賀浩二著、岩波新書)、『数学入門』(上下巻、遠山啓著、岩波新書)、『数学の考え方』(矢野健太郎著、講談社現代新書)を読んでみたい。いずれも、数学の難しさではなく、面白さを、あの手この手で教えてくれる。読んだあとに全部忘れてもよい。読んでいる間だけでも、数学の不思議と魅力の虜になれる。小川洋子が書いた昨年のベストセラー小説『博士の愛した数式』の魅力は、数学の面白さがストーリーのフリカケになっているところだけれども、こんな優れた入門書がネタ本になっているのではないかと、想像するのである。

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PROFILE

岩本 宣明

1961年生まれ。毎日新聞社会部記者などを経て93年文筆家として独立。同年、現代劇戯曲『新聞記者』で菊池寛ドラマ賞受賞。

主な著作:

新宿・リトルバンコク

宗教学講座 ちくま新書

『宗教学講義』
植島啓司著
ちくま新書

進化とはなんだろうか 岩波ジュニア新書

『進化とはなんだろうか』
長谷川眞理子著
岩波ジュニア新書

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