キューバは、日本では、サルサ音楽や整った医療と教育の国というイメージが大きいかもしれません。しかし、市民の政治的な自由という点では、この国は、ラテンアメリカの中で、まだいかなる形でも政権批判がほとんど許されていない唯一の国といっても過言ではないと思います。
2006年、フィデル・カストロの引退に伴い、弟のラウル・カストロが、キューバ共和国国家評議会議長を引き継いだとき、世界は、キューバの人権状況が少しでもよくなるのではと期待しました。
しかし、ラウル・カストロの支配に移ってからも、刑事訴追や長期・短期の身柄拘束、嫌がらせ、雇用機会を剥奪、移動の自由の制限など様々な手段を使いながら、カストロ政権の政治的見解を国民に押し付けるやり方は続いています。
HRWは、2009年、ラウル・カストロ政権も、基本的な自由を行使した人びとを投獄し続けている実態を明らかにした報告書「新しいカストロ、同じキューバ」(123ページ)を発表しました。(
プレスリリースの日本語訳はこちらからご覧いただけます)
この報告書では、ラウル・カストロ政権が、刑法の「危険」条項違反での処罰に急激に依存を強めている実態を明らかにしています。刑法の「危険」条項とは、個人が犯罪をおかしていなくても「将来犯罪を行う可能性がある」という疑いに基づいて、当局に個人を投獄することを許す犯罪です。キューバの社会主義規範と対立する行為を「危険」と定義するこの「危険」犯罪条項は、刑事司法を政治弾圧に使うための道具となっています。そして、人権活動家、ジャーナリスト、その他市民運動団体のメンバーたちが、適正手続きを無視された裁判に次々とかけられています。
この報告書では、キューバへの事実調査ミッションと60を超える念入りな聞き取り調査に基づいて、HRWは、基本的人権を行使したために「危険」条項に違反とされて投獄された、40を超える事件を取りまとめています。
例えば、ラモン・ベラスケス・トランゾ(Ramon Velasquez Toranzo)は、人権保護と政治犯の釈放を求めてキューバ全域で平和行進をした人物ですが、2007年1月に「危険」条項違反とされ、逮捕されて懲役3年の刑に処されました。
また、2006年に「危険」条項違反を問われ、懲役4年の刑に処された政治家アレクサンダー・サントス・フェルナンデス(Alexander Santos Hernandez)は、HRWに「[警察に]午前5時50分、家で寝ていた時に逮捕されて、その日の朝の8時30分には、すでに刑を宣告されてたんですよ」と語りました。サントスは弁護士を付けることを認められず、しかも下された判決は、裁判が行われる2日前の日付となっていました。
米国政府は、こうしたキューバに対し、広範囲な禁輸措置で圧力をかけて改革を求める政策をとってきました。しかし、HRWはこの禁輸措置は、キューバ国民全体に厳しい困窮をもたらし、キューバにおける人権状況を改善することは全く出来なかったという点で、代償が大きい失策であったという立場をとっています。米国政府の対応は、キューバの人権状況改善のために米国と協同できる可能性のあった国々を逆に遠ざけ、キューバよりもむしろ米国を孤立化させてしまいました。HRWは、オバマ政権に対し、「『6ヵ月以内に速やかかつ無条件の全政治囚釈放』という要求を、EU、カナダ、ラテンアメリカの各国と協力してキューバに求めるべき」と提言しています。