1997年当時、イサイアス大統領は1993年の独立を実現した人物として絶大な人気を誇っていました。確かに、メディアの取材は自由に出来る訳ではありませんでしたが、その年の5月に民主的な憲法草案ができたばかりで、まもなく、多党制の議会政治に移行するはずでした。私も、刑法の草案作りを手伝うかたわら、外国の選挙法などを調べ、エリトリア政府に資料として提供していました。政府、少なくとも私と付き合いのあった法務省の人は、本当に民主主義体制に移行するつもりだったと思います。
しかし、1998年5月にエチオピアとの国境紛争がおきてから、選挙も延期され、挙国一致の軍事体制が強化されました。そして、2001年を境に、イサイアス大統領は、後戻りできない独裁化の道を歩み始めたのです。
アルジャジーラテレビの名物記者リッツカーンが2008年に、イサイアス大統領にインタビューしています。
そこで大統領は、西欧的な意味での選挙を行なうつもりはない、と断言しています。きっと彼は、北朝鮮の金正日やイラクのフセインのように、世界各地の独裁者たちと同様、猜疑心にむしばまれ、パラノイア的心境になっているのではないでしょうか。