「毎日多くの先輩が、戦友が、塵芥のごとく海上に、ばら撒かれて、――そのまま姿を没してゆく。一つ一つの何ものにもかえ難い命が、ただ一塊の数量となって処理されてゆくのでる。」
竹田喜義(東大文学部。1945年4月、済州島沖にて戦死、22歳)
蒼く澄みて鴎の遊ぶこの波の底黝き死の光あり
馬場充貴(東大法学部。1945年3月、仏印ナトラン沖にて戦死。23歳)
「晴れて特攻隊員と選ばれて出陣するのは嬉しいですが、お母さんのことを思うと泣けてきます。」
林市造(京大経済学部。1945年4月、特別攻撃隊員として沖縄にて戦死、23歳)
岩波文庫版『きけ わだつみのこえ』より

『きけ わだつみのこえ』を"名著"などと言っては、お叱りを受けるかもしれない。これは、私が読んできた名著というような括りの中に入れてよい本ではない。ぜんぜん、別のものだ。現代の日本人に読んでほしい本をたった一冊だけ選べと言われたら、私は迷わず、この一冊をあげると思う。私たち日本人は、どんなときにも「わだつみのこえ」に耳を傾け、その無念や苦悩を忘れてはいけないと思う。
そのようなことを言うと、馬鹿じゃないの、と笑われるかもしれないが、私は、答えに理由のない問いや、理由を必要としない問いがあると思っている。
大抵の場合、問いには正しい答えがあるし、その答えには正当な理由がある。理由が見当たらないのは、理由がないからではなくて、理由を考えている人に、正しく考え、適切な理由を見出す能力が欠けているからである。が、例外的に理由のない答えや、理由を考えることを拒否して答えてもよい問いは、ある。
「なぜ、戦争はいけないのか?」「なぜ、人を殺してはいけないのか」という問いが、その例外である。
このような問いの答えを真摯に追求すれば、袋小路に入り込まざるを得ない。そして、袋小路から脱出するために得る結論は、無惨なものとなる。つまり、問いの前提自体が間違っている、ということだ。戦争は、場合によっては許されるし、人殺しも、一定の条件の下では許容される。そのような結論に達するほかはない。事実、隣国がミサイル発射実験を行っただけで、「平和のための先制攻撃」を口走る思慮の足りない政治家がこの国には大勢おり、時代の空気は、その発言にさほど反発してはいない。恐ろしいことである。
だから、そのような問いに対しては、理由を求めてはいけない。ただ、決然として、だめなものはだめ、と言い張るしかない。もちろん、覚悟はいる。それは、殺される覚悟であろう。人を殺すぐらいなら、殺されてもよい。他国を攻撃するぐらいなら、ミサイルを打ち込まれたほうがましだ。いざというときに、自分がどのような行動をとるか、とれるかは別として、私は、真剣にそう思っている。だから、いざというときを想定して、準備をするようなことはしない。いざというときに、やっぱり格好つけなきゃよかった、俺は馬鹿だったと後悔して、手遅れになるように、無防備でいたい。もちろん、そんなことを言っても、誰も相手にはしてくれない。
長崎で小学校、中学校時代を過ごした私は、ほかの地方で育った同世代の人々よりも、戦争の悲惨を強く教えられて育ったと思う。爆心地近くにある原爆資料館には、何度も足を運んだし、35年前の長崎では、ケロイドで顔がぐちゃぐちゃになった人々が、ネクタイを締め、買い物籠を下げて歩いていた。そこには、「なぜ、戦争はいけないのか」などという問いの入り込む余地はなかった。
『きけ わだつみのこえ』も、同じだと思う。一人ひとりのこえは、問いを拒否している。「なぜ、戦争をしてはいけないのか」などという、愚かな問いを拒絶している。
戦争で苦しんだのは、学徒出陣して帰らぬ人となった、「わだつみ」だけではない。戦争で亡くなったすべての人の命に、戦争で大切な人を失った悲しみのすべてに、決して一般化してはいけない、個別具体的な苦悩があった。
だから、戦争はいけない、というのではない。
だから、問うな、と私は思う。
『きけ わだつみのこえ』は、そう、訴えているのだと、思う。
|
 |
 |
岩本 宣明
1961年生まれ。毎日新聞社会部記者などを経て93年文筆家として独立。同年、現代劇戯曲『新聞記者』で菊池寛ドラマ賞受賞。
主な著作:


『きけ わだつみのこえ』
日本戦没学生記念会
岩波文庫
|
|