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Series コラム
名著との再会 岩本 宣明
06/06/30

第11回『ものぐさ精神分析』

一冊の本との出会い…。同じ本でも、いつ、どこで、どのような状況で読むかによって、受け取るものは違ってくる。時を経て、再びその書物を手にしたとき、今度はまったく別のものを見いだすこともある。岩本宣明氏が、かつて読み、心に残った名著との再会を通じてその魅力を紹介する。

『ものぐさ精神分析』
岸田秀著
(青土社)

一方の傾向が表面に出ているとき、他方の傾向は深く抑圧されて人格的に無理をしているのであって、何かのきっかけで抑圧されていた方の傾向が表面に出てきて、態度はたやすく正反対のものに逆転する。底抜けのお人好しだと思っていると、突然歯をむき出してかたくなに反抗してき、命知らずに勇ましいと思っていると、突然卑屈な笑いを浮かべて媚びてくる。ペリーショック以来、日本人は欧米諸国に対してこの逆転を絶えず繰り返してきた。
岸田秀著『ものぐさ精神分析』より

 最近はお名前を耳にすることが少なくなったが、岸田秀は私が学生だった頃、一世を風靡したスター学者であった。なにしろ、その、文庫本のカバーそでの肖像写真の、なんともいんちき臭そうな風貌と「ものぐさ」という単語がすごくよかった。「ものぐさでも学者になれるのか」と誤解させてくれたのが良かったのかもしれないし、それ以上に「ものぐさなほうが、本当のことがわかるのだ」と希望を持たせてくれたのが良かったのかもしれない。とにかく、もともと精神分析に強い関心を持っていた私は、ものぐさな友人に勧められるまま、岸田秀を手にとり、文庫本の全てを読んだ。
「目から鱗が落ちる」という言葉があるけれど、『ものぐさ精神分析』を読んだ学生時代の私は、本当に目から鱗が落ちたような気分になった。私は、日本のなんたるかを理解した思いであった。
『ものぐさ精神分析』のように、ものすごく売れた社会評論や日本人論の特徴は、読めば、社会や人間の全てを理解できたと錯覚させてくれる力があることである。
 なぜ、それほど説得力をもつかといえば、物事を説明する前に、ある体系や価値観、前提などの大きなフレームを自明な公理として提示し、そのフレームの中だけで物事を思考・判断するといったルールを決めておいた上で、都合の良い史実や具体例を体系に沿って説明するからである。説得力があって当然である。
 断っておくが、これは悪口ではない。よく売れる本には、ノイズや例外をばっさりと排除して、単純明快に物事を説明する特徴があるという事実を指摘したに過ぎない。賞賛とも言えないが、なんだか、小泉人気にも似ている。
 とにかく、当時の私は、簡単には分かるはずもないことをあれこれ考えては悩み、半ば"いかれ"かけていたので、岸田秀と出会って、救われた気分になった。私だけではなく、そういう気持ちを共有した、"いかれ"かけの若者は当時少なくなかった。というわけで、岸田秀は一世を風靡したのであった。
 中でも、『ものぐさ精神分析』冒頭の「日本近代を精神分析する--精神分裂病としての日本近代」は秀逸である。岸田は、<フロイトの精神分析は、社会集団の心理からヒントを得て、個人を精神分析したものである>という解釈を下に、一つの社会集団の歴史は、個人の歴史として説明できるという立場で、近代日本の社会心理を個人に準えて精神分析する。
 岸田の結論は、日本国民は精神分裂病"的"である、ということである。
 精神分析の理論を、乱暴に単純化すると、精神分裂病は、精神的外傷(トラウマ)が起因となって抑圧された内的自己と外的自己が引き裂かれることによって起こる。
 圧倒的な外圧であった黒船をトラウマとする近代日本は、内的自己と外的自己に引き裂かれる。最初の内的自己の発露は尊皇攘夷であり、外的自己は開国論である。しかし、「外国なんか嫌いだ」という本音(内的自己)は、欧米の圧倒的武力の前に抑圧されざるを得ない。結果、近代日本は、自己の相克を経て明治維新へと至り、「和魂洋才」といった妥協策で内的自己と外的自己の統一を図ろうとするがうまく行かない。外的自己は、なんとか諸外国と仲良くし日本を近代化させようとするが、抑圧された内的自己は天皇崇拝の皇国史観などの誇大妄想で自己をなだめようとするけれど、とうとう爆発し、対米・英開戦という一つの帰結を見る。岸田は、これを近代日本の「発病期」と説明している。
 つまり、ペリーによって、無理やり開国されたことがトラウマとなって、外国なんて嫌いだという内的自己と、でも仲よくしなきゃやっていけないという外的自己が分裂したまま、分裂病的に自己を統一できないでいるのが近代日本であって、それは戦後も続いている。戦前の鬼畜米英も、戦後の米国追従も根は同じ、というのが岸田の分析である。
 その特徴は、にわかには信じられないほどの「態度の逆転」である。「一億玉砕」を叫んでいた日本人は、敗戦が決まると一転して「お人よしの平和主義者」になった。米兵に犯されるくらいなら死ぬといっていた大和撫子は、一夜にしてパンパンに早代わりしてしまう…。
 もちろん、そう単純なことでもないような気がする。例えば、岸田自身が指摘しているように、岸田の近代日本の分析には、経済学者なら呆れてしまうであろうほど、経済的視点は抜け落ちている。ほかにも、考察から切り捨てられていることはたくさんある。
 しかし、説明が正しいかどうかは別として、岸田の分析には、今読んでも、不思議な説得力がある。私たち日本人は、一夜にして豹変する。昨日の私と今日の私が言っていることが全く違うことを恥じない、厚顔が確かにある。反省もしない。サッカーワールドカップのマスコミ報道を見ながら、戦中の大本営発表を思い出した人が、どのくらいいただろうか?私たちの社会は、一夜にして、戦前の社会に回帰できる危険性を孕んでいる。
 ただ、残念なことに、精神分析には処方箋がない。精神分析の理論では、心の病気は、その原因となっているトラウマを発見することで抑圧されていた感情を開放すれば、治癒されるはずだからである。でも、ペリーが、あるいは、敗戦がトラウマだとわかっているのに、日本人の集団心理は変わっていない。岸田の指摘する分裂病的体質も変わってないようにみえる。精神分析だけでは、日本社会の精神的分裂を治癒することはできなさそうなのである。

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PROFILE

岩本 宣明

1961年生まれ。毎日新聞社会部記者などを経て93年文筆家として独立。同年、現代劇戯曲『新聞記者』で菊池寛ドラマ賞受賞。

主な著作:

新宿・リトルバンコク

『ものぐさ精神分析』
岸田秀著
(青土社)

岸田秀 きしだ・しゅう
(1933年 -)

心理学者、精神分析学者、思想家、エッセイスト、和光大学名誉教授。
香川県善通寺市に生まれ。早稲田大学文学部心理学科卒業。早稲田大学大学院修了後、ストラスブール大学大学院に留学。1972年から2004年まで和光大学教授を務めた。
1977年『ものぐさ精神分析』を出版。「唯幻論」を提唱し、多くの読者を得て、一躍、思想界の注目を集めた。が、「共同幻想論」の吉本隆明から厳しい批判を受けたりもした。
著書に『ものぐさ精神分析』 (青土社、1977年)、『ものぐさ精神分析 二番煎じ』 (青土社、1978年)、『ものぐさ精神分析 出がらし』 (青土社、1980年)、『不惑の雑考』 (文藝春秋、1986年)、『二十世紀を精神分析する』 (文藝春秋、1996年)など多数。

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