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Series コラム
名著との再会 岩本 宣明
05/12/31

第5回 『そんなバカな!』

一冊の本との出会い…。同じ本でも、いつ、どこで、どのような状況で読むかによって、受け取るものは違ってくる。時を経て、再びその書物を手にしたとき、今度はまったく別のものを見いだすこともある。岩本宣明氏が、かつて読み、心に残った名著との再会を通じてその魅力を紹介する。

 利己的遺伝子(セルフィッシュジーン)の考えを適用すると、たとえばこんなことがよく説明されると私は思う。我々はある程度の年齢になると、ふと、「子供が欲しい・・・」とか「自分は今まで仕事一筋でやってきた。だが、今一つ満たされない気持ちだ。そうか、子どもか・・・」などと思ったりする(中略)
 当然である。利己的遺伝子(セルフィッシュジーン)は自分の乗っている乗り物(ヴィークル)がいつ命を落としてしまうか心配でならず、なんとか早めに新しくて生きのいい乗り物(ヴィークル)に乗り移っておきたいのである。だからこそ大多数の人間は、子どもをもつことが人生最大の喜びであると感ずるようプログラムされている・・・


第一章 すべては遺伝子から始まった
「完全無欠のスーパースター」より

『そんなバカな!』は竹内久美子の大出世作である。どのくらい売れたのかは知らないが、初版が出版された1991年当時、その内容が痛快で抱腹であることは当然ながら、そんなバカなタイトルの本があるのかと、タイトルでも人々を驚かせた本書は大変な話題となり、さまざまなメディアでそのエッセンスが紹介された。竹内はすでに、『浮気人類進化論』『男と女の進化論』を上梓していたが、前二作が読者のスケベ心をくすぐろうとする、編集者のスケベ心が透けて見えるタイトルだったのに対し、人々の好奇心をストレートに鷲づかみにする優れたタイトルをつけたこの本によって、竹内の著書は多くの読者を獲得したのであった。
 私も、その一人で、本書をきっかけに、前二作も購入し、新著を首を長くして待ちわびる竹内ワールドのファンとなったのであった。それだけではない。竹内の著書をきっかけとして、私は、動物行動学や進化論、遺伝子の世界に強い関心を抱くようになり(本当は、もっと前から興味を持っていて、いろいろな本は読んでいましたが、それに改めて拍車をかけられて)、関連書を読み漁り、人生哲学において、少なくない影響を受けた。それが、私のその後の人生にとって幸福であったかどうかは、大いに疑問ではあるのだが・・・。

 竹内は、わが国では稀有な書き手である。どこが稀有かというと、稀代の筆力と研究者顔負けの動物行動学に特化した専門知識を併せ持っているところが、である。
 研究者でありながら、その分野について一般向けの本を書いている人は、かなりいる。が、こんなに分かりやすく面白く、その世界の醍醐味を表現できる著者には、そう滅多にお目にかかることはできない。研究者は、当然のことながら専門分野への拘りや思い込みが強すぎるため、話がミクロになりがちで、著書にダイナミズムが欠けてしまう傾向が強い。
 一方、ジャーナリストや評論家のように、色々な分野に精通していて、それを相対化し分かりやすく紹介したり批判したりする本を書く人も少なくない。しかし、所詮門外漢であり(ごめんなさい。悪い意味ではないし、私もその一人です)、ある特化した分野においては、研究者の知識や洞察の深さには及ぶべくもない。
 竹内はそのどちらでもない。研究者に比肩する専門の知識と洞察力を持ち、かつ、書き手として研究の成果を適度の距離を持って相対化できる余裕がある。そのため、動物行動学とその周辺学問の知見を、深い洞察力を持ってダイナミックに読者に紹介できるのである。
 そして、なによりも、竹内には天賦の文才があるのである。こんな人はそうはいない。というわけで、竹内は『そんなバカな!』以来、ちょっと毛色の変わった、当代きっての人気作家となったのであった。

『そんなバカな!』は、リチャード・ドーキンスが提唱した「利己的な遺伝子」という概念を、人間の行動を例にとって(もちろん、人間だけではなく、動物の例もたくさん出てきますが)門外漢にも分かりやすく、そして面白おかしく、紹介した本である。『浮気人類進化論』『男と女の進化論』も、その基本コンセプトは同じだ。
 生物とは遺伝子の乗り物であり、生物の行動を注意深く観察していると、乗り物である生物を効率よく繁殖させることで、自分の複製子(=自分)を生き伸びさせようとする遺伝子の企みが見えてくる。つまり、私達の行動は、実は、遺伝子の企みに支配されているのだ、というのが「利己的な遺伝子」の概念である。
 たとえば、と、竹内は人間の行動を観察する。姑が嫁にはきつくあたるのに、息子の浮気相手には寛容であるのはなぜか? 嫁はすでに子供を産んでいる。一方、浮気相手はまだ子供を産んでいない。自分の遺伝子を四分の一受け継ぐことになる孫をたくさん作るには、息子の浮気相手を大切にしたほうが有利だからなのである。
 もちろん、遺伝子が姑の性格を直接コントロールしている、というわけではない。嫁よりも浮気相手を大切にする姑のほうが、嫁を大切にして息子の浮気をゆるさない姑よりもたくさん子孫を残すことができるので、嫁いびりをする意地悪な遺伝子を持った姑が、数の上で優しい姑を圧倒している(自然淘汰)という事実があり、それこそが、遺伝子の企みなのである。
 そう説明されて、単純な私は膝を打った。いや、そういうことだったのか。浮気性なのは、私が悪いのではなく、私の遺伝子が私をそうさせていたのか。それじゃ、あまり反省しても仕方ないな・・・。かくして私は進化論と、それとは切っても切り離せない学問となった動物行動学に強い影響を受けてしまったのであった。
 竹内が聞いたら、私は、竹内の著書や進化論をもっとも誤解して読んでいる読者の一人というに違いない。

竹内 久美子 たけうち くみこ
(1956年−)

京都大学理学部卒業。同大学院博士課程を経て、著述業に。専攻は動物行動学。『そんなバカな!』は講談社出版文化賞受賞作。著書は他に『浮気人類進化論/きびしい社会といいかげんな社会』『パラサイト日本人論/ウイルスがつくった日本のこころ』(ともに文春文庫)『男と女の進化論/すべては勘違いから始まった』『シンメトリーな男』(ともに新潮文庫)など。

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PROFILE

岩本 宣明

1961年生まれ。毎日新聞社会部記者などを経て93年文筆家として独立。同年、現代劇戯曲『新聞記者』で菊池寛ドラマ賞受賞。

主な著作:

新宿・リトルバンコク

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