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Series コラム
鏡の言葉 川井 龍介
09/12/31

第11回 言葉のゆがみは制度のゆがみ

言葉は人の心を映す鏡であり、社会を映す鏡でもある。気になる言葉、問題な言葉、悲しい言葉など、いまの世の中で人の心や社会を映すような言葉の周辺を探ってみる。

 本の出版にあたってどんなタイトルをつけるかは、出版社や著者の頭をずいぶんと悩ませる。それほどタイトルは重要だと考えられている。新書では大ベストセラーになった「バカの壁」(養老孟著、新潮新書)では、その理由のひとつに「タイトルがよかった」という批評をよくきいた。「バカ」という言葉は、俗できつい響きがあり、教養新書にはなじみにくいと感じられるが、そのあとの「壁」と組み合わさることで、「いったい何のことをいっているのだろう」という、好奇心をかき立てられたのは確かだ。
 こうしたタイトルは、すぐきまるときもあれば、なかなかこれといった妙案が出ず、延々と議論となるときがある。ノンフィクションの場合、決まらない理由はいくつか考えられるが、「なんともぴったりくるタイトルが出てこない」といった議論になるときは、そもそも原稿(内容)がよくないことが多い。その本が意図しているテーマが、くっきりと浮かび上がってこないから、自然と内容をまとめる、あるいは象徴するタイトルが出にくいのだ。

 同様のことは、新聞記事にもついてもあてはまる。記事の内容と見出しの関係である。新聞記事は、記者が書いてデスクがチェックして、それをさらに目を通して見出しをつける部署がある。この見出しの付け方は、経験とセンスが問われるところで、簡潔にして印象的な、絶妙の見出しをつけることができる人がいる一方で、こうした敏腕の記者でも、すぐにはしっくりつかないときがある。これも中身に問題があるからだ。
 ただし、これは書籍とちがって、事件原稿など時間を争ってその時点でのニュースをとにかく送らなければいけないときは、事実に沿って明らかになった部分を記事にしようとすれば記事の焦点がぼけるのは仕方ないことである。これとは別に記事の焦点、テーマがはっきりしない原稿もある。読んでも「見出しどころがわからない」と、現場では言われるように、見出しがつけにくいのだ。
 音楽CDやアーティストのキャッチコピーや宣伝文句をみていても同じことを感じる。担当者のセンスとボキャブラリーにもちろん左右されるものの、やはり、これといった特徴のない作品は、ありきたりの表現や奇を衒ったいいまわしで紹介されていることが多い。言葉で飾っても、それは飾りに過ぎないのだ。

税”率”の廃止って何のこと?

 書籍でも、記事でも、CDでも、それをひと言で表す言葉がしっくりこないのは、第一に元々の内容に原因がある。つまり、内容は形を表しているのだ。それでも書籍のタイトルや記事の見出し、CDのキャッチコピーは、物足りない内容をカバーしようと、それぞれの長所やポイントを引き出して消費者(一般人)に訴えようとしている。
 これらに比べて、内容に問題があることもさることながら、内容に問題があるのにそのまま独りよがりに表しているとしか思えないのが、国の制度とそれを表す言葉だろう。たとえば、昨今話題になっている「暫定税率」。民主党政権がマニフェストで廃止を約束したにもかかわらず、結局は継続されてしまった税金の仕組みのことだ。
 暫定税率の廃止か維持かでガソリン代もずいぶんかわるだろうから当然広く関心を呼ぶ「暫定税率」だが、非常に奇妙でわかりにくい言葉だ。ここから先は少々細かくなるが、がまんしてきいていただきたい。
 まず「税の廃止」ならわかるが、「税率の廃止」というのがすんなり理解できない。なにせ「率」が廃止になるのである。普通の日本語の感覚からすると妙だ。「暫定税率」を素直に解釈すれば「暫定的な税率」となる。つまりこの税率は暫定的なもので、いずれは変えられるものだと考えられる。たとえば、たばこ税について、とりあえず(暫定的に)60%としましょう、としたとすれば、その60%が暫定税率だろう。2、3年後に65%にするかもしれません、というわけだ。
 また、「税率」とは、あたりまえだが「税」の「率」のことで、消費税は5%である、というところの「5%」が税の率だ。したがって暫定税率といえば、暫定的なのは「税率」=「税の率」であって税そのものではない。ところがである。だれが名付けたか知らないが、世に言われる「暫定税率」とはこの意味ではない。
 本来の税とは別に、期限を区切るなどして一時的な税率を設けることができことは、租税特別措置法という法律にもとづいている。こうした税率は暫定的ではあるが法律的に「暫定税率」という言葉はない。ガソリン税などについて言えば、政府やメディアはガソリンなどにかかる本来の税率に、上乗せする「税率」を暫定税率といっている。
 たとえば、本来は20%なのを向こう10年間(暫定的に)15%上乗せして35%にすると決めたとき、この15%を暫定税率といっている。そしてこうした上乗せ分を(税率)を取ってしまう(廃止する)ということを民主党は約束してきた。それならば正しくは「暫定税率の上乗せ廃止」、あるいは「上乗せした暫定税率の廃止」である。
 しかし、よく考えればこれもおかしなものである。だいたい本来の税率があって、それに暫定的に上乗せした「率」があるのなら、「本来の税率+上乗せした税率」という合計そのものもまた「暫定的な税率」ではないか。したがって、「暫定税率」という妙な名前が、実際意味するところは、単に「税率をあげました。しかし、その税率は暫定的です」と言っているに過ぎない。
 さらにいうならば、そもそも税率というものは、消費税やたばこ税をみればわかるように時代とともに変わる可能性があるのだ。したがってあえてこのガソリン税などについてだけ暫定的になどと強調することが意図的に思える。したがって「暫定税率」なるものは、よーく考えれば単なる「税率の変更」(この場合は税率の上げること)に過ぎない。そして「暫定税率の廃止」は、「税率を下げる」という極めて簡単なことを言ってるだけだ。
 こういってしまうと、いろいろ考えられた末にできあがった税の仕組み自体に素人がケチをつけるようだが、私の周りでもこの言葉には違和感を覚えるという声をいくつもきいた。普通の人がおかしいと思う言葉は、往々にしてそれ自体に無理があって、制度のわかりにくさを反映していることがあるのだ。  

医療保険制度は複雑怪奇

 もっと身近な例でいえば、わが国の公的医療保険制度とその名称だ。これがまた実にややこしい。制度の重要性と理解などを若者に求めようという配慮はまったく感じられない。「○○生命」などの会社が提供(販売)している「生命保険」と公的な医療保険との区別もわからない若者がいることを考えればなおさらだ。
 公的医療保険には5つの種類がある。まず、民間の会社に勤めている人が入っている保険は「健康保険」という。このなかには「政府管掌健康保険」と「組合管掌健康保険」がある。つぎに、公務員や私立学校の教職員などが入っている保険は「共済組合」。そして、自営業や農業を営んでいる人が加入するのは「国民健康保険」という。パートやアルバイトをしていて、職場の健康保険に加入していない人はも「国民健康保険」に入ることになる。さらに客船や貨物船に乗っている船員が入るのが「船員保険」で、七五歳以上の高齢者は「後記高齢者医療制度」だ。
 これらの医療保険は、加入者が保険金を支払って、病気やけがで医療機関で受診したときに、自己負担とは別に保険から支払われるという仕組みなっている。つまり制度の仕組みは大きくみれば同じである。それなのに、名称は「保険」のほか「組合」や「制度」と、まったく統一が取れていない。
 細かく見れば「健康保険」という名称は、日本の公的医療保険全体を表すかのような言葉であり、「共済組合」は「組合」が「保険」だといっているようでなんだかわかりにくい。せめて「共済組合保険」とでもなればわかるのだが。「国民健康保険」にいたっては、ほかの保険だってほとんど日本国民を対象にしているのに、ここだけ「国民」がつく。
 そして新しくできたからか、「後期高齢者医療制度」という「制度」が保険だという。名称(言葉)が示す概念と内容との関係がばらばらである。実際、毎月支払う保険金の支払いについても金額や方法などについて違いがある。健康保険は会社と加入者が半分ずつ保険料を支払い、その額は収入額と保険料率というものによって決まり、国民健康保険では加入している人の収入によって、その世帯の世帯主が支払うことになっている。世帯主は健康保険に加入しているのに、家族に国民健康保険加入者がいれば、世帯主の名前で支払う。
 また、健康保険や共済組合は給与から“天引き”されるが、国民健康保険は金融機関の口座からの引き落としたり、自分で直接支払う。そのため滞納者が必然的に出てきて、近年は親が滞納者のため保険証をもっていない“無保険の子”の存在が問題になってきた。
 以上のように、公的医療保険を説明しようとするだけで、そうとうな字数が必要になる。言い換えれば、複雑でわかりにくい制度だからこうなるのだろう。
 言葉は単なる言葉でなく、往々にして制度の内容を反映している。だいたいわかりにくい名称で表現されているようなものはわかりにくい。小難しい言い方でしか説明できないようなものは、そもそもが整理されていないか、あるいは、行政がそのわかりにくさを放置している。試しに、厚生労働省などのサイトを眺めれば、いかに国民に対して分かりやすく説明しようという努力がなされてないかがわかる。個人の社会保険労務士のサイトの方がよほど親切に説明している。
 政権がかわってさまざまな制度が見直され、新制度が誕生している。市民としてもその内容をしっかり把握しておかないと痛い目をみることになる。いろいろな注目の仕方はあるだろうが、すんなりと理解できないような言葉の裏には、制度自体のゆがみや矛盾が潜んでいるということを一つの基準にしていただきたい。

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