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Series コラム
鏡の言葉 川井 龍介
09/05/31

第6回 省略の功罪

言葉は人の心を映す鏡であり、社会を映す鏡でもある。気になる言葉、問題な言葉、悲しい言葉など、いまの世の中で人の心や社会を映すような言葉の周辺を探ってみる。

 今回は、省略語について考えてみた。
「どうして日本はこんなに言葉を省略したり、短縮するんだろうね」。長年アメリカで暮らしていた友人があるとき、半ばあきれたように漏らしていた。まず短縮といえば、時間短縮は時短、仕事先から直接家に帰るのは直帰。カタカナももちろんすごい。デジタルカメラはデジカメ、地上波デジタルは地デジ。エンターテインメントはエンタメで、メールアドレスはメルアド。
 もちろんアメリカにも、英語表現のなかでいろいろな言葉の短縮や省略された表現はある。ただし、TGIF(Thanks God I'ts Friday=神様、金曜日をありがとう)のように、たいていは単語の頭文字で表す。IT(Infomation Technology)やCEO(Chief Executive Officer )もそうだ。したがって日本語の省略からするとバリエーションは小さい。
 そこへいくと、日本語の場合は、漢字の組み合わせで省略したり、ひらがなを詰めたり、英語のカタカナ表記を短縮したりと、さまざまな形で省略語をつくっている。漢字の例でいえば、厚生労働省を略して厚労省、文部科学省を略して文科省と呼ぶようなよくある省略形だ。
 文科省に置かれている審議会である中教審(正しくは、中央教育審議会)や、不当な労働行為を監督する労基署(正しくは、労働基準監督署)なども同様、このように漢字をいくつか取り出して、略されている。
 こうしたお役所に関わる言葉は、商品名のようになにも一般人にアピールするような必要がないので、内容をそのまま文字にして表しているからどうしても長くなりがちである。しかし、漢字を組み合わせて省略すればある程度意味はとれる。電卓などがいい例で、もやは元の言葉(電子式卓上計算機)すら忘れるほどである。これは漢字のいいところだ。

リスケさん? オンスケさん?

 つぎにカタカナ言葉での省略形がある。例えばエアコン、パソコン、コンビニなど、すでに省略形であることすら忘れるほど、日本語として通用している言葉はたくさんある。このパターンはもっとも多いだろう。このなかには、英語として日本に入ってくる言葉で、そのまま言い表すには長ったらしくて不便だったり、なかなか日本語に置き換えることが難しい概念がある。
「インフラ」などがその例だ。産業や通信などの社会基盤を表すインフラストラクチャーがもとの言葉で、長いこともあるが日本語でも簡潔に表しにくい。本来の意味を確認するためには、日本語にしないのなら長くてもそのまま使った方が、私は原語がわかっていいと思うのだが、一般には無理があるのか。
「セクハラ」もセクシャル・ハラスメントといった方がいいと思うが、やはり簡略された方が受け入れられるのだろう。同じような言葉で「ブレスト」がある。ブレイン・ストーミング(Brain Storming)の略語である。会社のなかで、「じゃ、午後からの打ち合わせのときに、みんなでこの案件についてブレストしようか」といった使われ方をする。いろいろ頭をつかって、あれこれ意見を出し合うといった意味だ。
 ブレストについては、ブレイン・ストーミングと略さずにいう人も結構いる。私もあまり省略しない、というかしたくない。その理由は第一に日常的にそれほど使うような言葉ではないし、略さずに英語本来の意味を類推できるできる方がいいと思うからである。簡単に言いたいのなら、「意見を出しあって議論しよう」とでも言えばいいではないか。
 しかし、これも世代によって意見が違うようで、私の周りにいるブレストになじんでいる30代からは「いや、別にブレストでいいじゃないですか」という意見を聞いた。これがもっと若くなると、勤め始めていきなりブレストという言葉に出合って戸惑いながら、オリジナルが何かが考えることもなくブレストという言葉だけを受け入れてしまう。そんな例も聞いたことがある。いまでは一般的になっているが、「ゼネコン」もそれに似ている。総合建設業者を意味するが、オリジナルが「ゼネラル・コントラクター」であることはあまり知られていないのでは。一方で英語を身につける必要性を痛感している日本のビジネスマンにとって、オリジナル英語を知らなくていいのかな、と首を傾げたくなる。
 逆に知っているのに隠語めいて使われる略語がある。新聞に載っていたという略語の話のなかで「ヘラトリ」という言葉があった。床に着いた汚れをヘラでとることではない。“平の取締役”を意味する「ヒラトリ」とも違う。英字新聞「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」を略していうのだそうだ。

「今日のヘラトリに書いてあったろ」などと、言うのだろうか。この種のものは、ほとんど業界内で通じる略語である。さらに、ときどきこうした略語を敢えて普通の会話のなかでつかったりする人がいる。英語の新聞を読むくらいだからそのまま、使えばいいように思うが、こうした例はなんだか鼻につく。
 業界内(ビジネス界)という点では、「リスケ」や「オンスケ」もその仲間だろう。知人に「リスケ」という名前の人がいたが、ともに名前じゃない。「じゃ、今度の打ち合わせリスケでお願いします」とか「あの仕事は、大丈夫です。オンスケです」と言うのだそうだ。
 それぞれリスケジュール(予定の変更)、オン・スケジュール(予定通り)の略だが、リスケさんやオンスケさんが聞いたら嫌な気分だろう。普通に予定変更、予定通りと言えばいいものを、なにがリスケだ、と私は思う。こんなこと言う人に限って変な日本語使っているんじゃないかな。

なにもそこまで略さなくても

 この種の略語は業界内の隠語のようで、内部の人間は自分たちの所属するグループだけに通じるような表現をして悦に入る。若い人がどんどんつくるカタカナ略語も、一つにはこうした理由もあるのではないか。
 同じカタカナでも、若者言葉として生まれた略語は、それほど長くないのに、なにもそこまで略すか? と、言いたくなるものがある。私の若い頃はまだマクドナルドはマックと呼んではいなかった。1970年代に大学生で、このころはファミリーレストランもファミレスとは言ってなかった。
 その経験からすると、ファミリーレストランの一つ、ロイヤルホストを「ロイホ」と言っているのを聞いたときには、ちょっと抵抗があった。だいたいロイホは発音しにくくないか。まして恵比寿ガーデンプレイスを「エビガデ」というのは、なんだかさっぱりわからない。しかし、そんなナイーブな感覚では若者省略言葉にはついていけない。
 セブンイレブンは「セブン」、ファミリーマートは「ファミマ」で、ミスタードーナツは「ミスド」。かわったところではサークルKは「サーケー」と言っているところがあるという。なんだか、「そんなに長くないんだからちゃんと呼んでやったら?」と、本来の名前に同情したくなるほどだ。
 おもしろいのは地域によっても省略の仕方が違うこと。マクドナルドは、関東圏ではだいたい「マック」で関西圏は「マクド」(「ク」にアクセントがある)は有名だが、ケンタッキーフライドチキンは「ケンタ」などのほかに、地域は忘れたが「ドチキン」と言われているところがあるというのだ。なんだこれは。
 省略語っていうのは、言いやすいから作るんじゃないのかねと思うが・・・。こうなると、「おれたち(私たち)の間では・・・」というように、呼び名の独自性を発揮することを意識していているような気がする。
 業界よりさらに狭く、会社内や学校内など小さなサークルのなかで独自の省略語は登場しているようで、例えば、ある不動産会社では「エレアリ」「エレナシ」という言葉あるという。これは「エレベーターあり」と「エレベーターなし」のことである。また、ウェブ上である会社員が紹介していたおもしろい省略語に「すこあん」というのがある。和菓子屋がつくる「あんこ」の一種ではない。正しくは「すこしであんしん終身医療保険」。保険の商品名だ。これなら省略したくなるか。

省略ならぬ省エネ言葉

 これまで例として挙げてきたのは、物事の名前である。人の名前も同様、古くは「阪妻」、いまじゃ「キムタク」「モー娘」といった具合だ。これに加えて形容詞なども省略されている。「キモイ」や「むずい」、「まじ」がいい例だ。最近知人から聞いた話だが、都内である男子高校生たちが何人かで話していて、その中で誰かが「お前は、やさい、やさい」と言い、まわりがそうだそうだと騒いでいることがあったという。知人が言うにはどうやらこのやさいは、「やさしい」のことだった。
「やさしい」の4文字が3文字になったくらいだから、それほど変わらないと思うが、そういう問題ではないのだろう。このほか単語ではなく、文のなかでの省略もある。よく、持ち帰りのできる飲食店で、店にはいると「お召し上がりですか、お持ち帰りですか」ときくところがある。どっちにしたって「召し上がる」には違いないだろうに。つまり「こちらでお召し上がりですか」というところの「こちらで」が省略されているのだ。
 以前とりあげた「大丈夫」の濫用についても、省略という観点からも指摘できる。例えば、レストランで「お水、大丈夫ですか」などときかれることがある。これは「お水がなくなっていないか、大丈夫ですか」といいたかったところを、間を抜いている。このほか、会話をしているとき、相手の話を聞いた直後に、「ですねー」とか「ですよねー」を連発する人がいる。あんまり何を言っても「ですねー」と来ると、「お前、人の言葉の尻ばかりに乗ってるな」と言いたくなる。自分の口数を少なくする省略ならぬ省エネ言葉だ。おなじように、「だなー」と叫ぶ例もあるそうだが、これも一種の省略形か。

失われる、正式な名前がもつ美しさ

 どうしてこうも省略が進むのだろうか。一つには、つぎつぎと英語で言い表される言葉が社会に登場していることと関係があるようだ。英語をそのままカタカナで表記したのでは長くなるのでカタカナで省略してしまう。適当な日本語に置き換えている時間がないのか、それが見つからないのだろう。しかし、こうしているとただでさえ英語が苦手といっている日本人はいつまでたっても英語そのものではなく、カタカナ和製英語を多用していくことになる。
 もう一つは、時代が簡易さやお手軽さを求めるからではないだろうか。とくに若い人は正式なものが嫌いなのはいま始まったことではない。社会でもくだけて簡単に言い表すことが親しみを表していると思われている。少し、かしこまったことを言うと「堅苦しい」などと忌避される。これも家庭や学校、あるいは会社でも気軽な人間関係を反映しているのかもしれない。
 さらに、省略が好まれる理由として、あるサークル(仲間など)のなかで通じる言葉をもつことで、仲間意識を共有したいという感覚が背後にありはしないだろうか。業界、学校、地域で通じる言い回しをして、自分たちの世界に浸る気分を楽しむ気持ちである。
 略式という言葉が示すように、省略することは簡易に、お手軽にすることである。これに対して「正式」というものは、格調はあるかもしれないが面倒でもある。効率化を進めてきた現代社会で、習慣やしきたりという範疇では、「正式」は廃れてきたのはいうまでもない。言葉も同じで、単語しかり、文章しかり、簡略化されていくことで正式な表現は後退している。社会の大勢がそれを望んでいる結果だとも言えるが、その一方でこうした傾向を危惧する人も多いから「~のしきたり」や「~の品格」といった本が読まれるのだろう。

 また、簡易であることは、ときに乱暴に映る。例えば、人と話しているときに、相手の所属する会社や組織の名前などを安易に省略して言えば、場合によっては相手はいい気分がしないだろう。自分では愛着を込めたつもりでも、受けとめられ方は別だし、自ら略称を名乗るのと他人に言われるのとは違う。
 なんでもかんでも略すると、正式な美しい名前のもつニュアンスが損なわれる場合もある。あるブログでたまたま目にしたことだが、ガーデニングや花の愛好家の間では、クリスマスローズが「クリロー」と略して呼ばれていることがあるそうだ。花の色はいくつもあるようだが私はクリスマスのころに咲く、さわやかな白い花びらを思い出す。クリスマスローズという、美しい名前で呼んであげた方がいうまでもなく味がある。
 若者の省略語は、言葉の遊びも含まれていておもしろい。しかしなにも大人がそれに迎合する必要ない。大人としてはたまにはフルネームで呼んでみようではないか。きっと新鮮な響きを感じるはずだ。

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