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Series 日系アメリカ人と日本人
二つの国の視点から 須藤 達也
10/02/28

第10回 ブレンダ・ウォン・アオキ ~日米の物語を語る3世のソロ・パフォーマー~

海外に住む日系人は約300万人、そのうち在米日系人は約100万人といわれる。19世紀後半からはじまった在米日系人はその歴史のなかで、あるときは二国間の関係に翻弄されながらも二つの文化を通して、日系という独自の視点をもつようになった。そうした日本とアメリカの狭間で生きてきた彼らから私たちはなにを学ぶことができるだろうか。彼らが持つ二つの国の視点によって見えてくる、新たな世界観を探る。

ブレンダ・ウォン・アオキ
ブレンダ・ウォン・アオキ
提供:ブレンダ・ウォン・アオキ

 2007年から2008年にかけて、ブレンダ・ウォン・アオキは、「日米芸術家交換プログラム」で、夫君でベース奏者のマーク・イズ、息子で打楽器奏者のカイ・カネ・アオキ・イズ(別名KK)とともに、日本に滞在していた。彼女の来日に合わせて、「Mermaid Meat and Other Japanese Ghost Stories(2007)」というテキスト付のCDがリリースされ、いくつかの場所でブレンダの一人芝居が上演された。私が見られたのは、「Mermaid Meat(人魚の肉)」と、「Uncle Gunjiro's Girlfriend (グンジロウ叔父さんの彼女)」だったが、私が仲間と主宰している「アジア系アメリカ人研究会」でも彼女を招き、「The Train Ride(汽車に乗って)」と、「To Fa, Lia(さよなら、リア)」という2つの短編を演じていただいた。
 ブレンダ・ウォン・アオキは、正式な名前を、Brenda Jean Bavarro McPhillips Aokiといい、日本と中国だけでなく、スペインとスコットランドの名前が入っている。父親が日系2世で、母親がスペイン・スコットランド系の中国人だからだ。その複雑な出自のため、自分が何者なのかという意識は、子供の頃から相当強かったらしい。だから、彼女の作品には、自分や自分の家族、また育った環境が強く投影されている。

ボーイフレンドを亡くした青春時代

「The Queen's Garden」
「The Queen's Garden」

 1998年にリリースされた「The Queen's Garden」は、ブレンダの青春史とでもいうべき作品である。彼女がこの作品を書き、演じようと思ったきっかけは、1992年の4月から5月にかけて、ロサンゼルスのサウス・セントラル地区で起きたロサンゼルス暴動だった。全米を旅公演しているブレンダは、暴動の後、「ロサンゼルスは狂っている。あんなところに住んでなくてよかった」という声をあちこちで聞いた。彼女は思った。ロサンゼルスの暴動を生み出した状況は、全米どこにでもあるではないか。そんな思いに駆られて書かれたのがこの作品で、同年の10月にサンフランシスコで初演されている。
 1953年にユタ州で生まれ、ロサンゼルスのウェストサイドで育ったブレンダは、65年にロサンゼルスのワッツで起きた黒人暴動や、ベトナム戦争の時代を生きている。
 そんな時代背景の中で、物語は、14歳のときからのサモア人のボーイフレンド、カリとの出会いから、彼が仲間と揉めて銃で撃たれて亡くなるまでを扱っている。作品のタイトルのクイーンとはカリのお母さんのことで、カリの家の庭にはきれいなバラが咲いていた。サンフランシスコに住む今も、カリとウェストサイドはいつもブレンダの心の中にある。「クイーンの庭」は彼女の青春の象徴なのだろう。
 家族を描いた作品には、「Dreams & Illusions」(1990)に含まれている「祖父の回想」、CDにはなっていないが、冒頭で紹介した「さよなら、リア」と「グンジロウ叔父さんの彼女」があり、後者はブレンダのウェブサイトで最初の10分がビデオで見られる。この作品はブレンダ祖父の弟、つまり大叔父にあたる軍次郎が、1909年に白人であるヘレン・グレディス・エメリーと異人種間結婚をして大問題になった実話で、初演が1998年。日本でも、彼女が来日していた2007年に、国際文化会館で、2人が恋に落ちる場面が上演された。

一族の物語を次世代へ伝えたい

ヘレンとグンジロウ。結婚式に撮影された一枚
ヘレンとグンジロウ。結婚式に撮影された一枚
提供:ブレンダ・ウォン・アオキ

「グンジロウ叔父さんの彼女」は、巨大ナマズの伝説から始まる。
昔々、地球の中心に巨大なナマズが住んでいた。このナマズは踊るのが好きだった。踊って踊って踊って、踊ーる。やがて地球は波のようにうねり、その亀裂から火が起きる。こうして混乱が降臨する。

 踊るブレンダの後ろに、1906年に起きたサンフランシスコ大地震の写真が映し出されている。舞台下手でマーク・イズがベースと笙で効果音を担当し、舞台上手でKKがパーカッションを叩きながら、狂言回しのような役割をしている。

グンジロウとヘレンの話を聞かせてく
れた当時103 歳のサダエ(1998 年撮影)
ブレンダの従姉妹、103 歳のサダエ(1998 年撮影)
提供:ブレンダ・ウォン・アオキ
若い頃のサダエ(1902 年撮影)
若い頃のサダエ(1902 年撮影)
提供:ブレンダ・ウォン・アオキ

 この大地震をヘレンもグンジロウも生き抜いた。ナマズから一転して、この後ブレンダは、2人が恋に落ちる場面を一人で演じていく。
 ブレンダは幼いときから自分の家に何かタブーがあることに気づいていた。彼女がこの物語を上演するきっかけは、それを知りたいと思ったことだった。そのために、彼女は車を飛ばして、サクラメントに住む103歳の従姉妹、サダエに会いにいった。サダエは古いアルバムを取り出して、グンジロウとヘレンの写真を見せてくれた。そのとき、サダエの家を訪ねてきた親戚のうちの一人が、「フン」といいながらアルバムを閉じた。ブレンダは、このことを一族が秘密にしていると悟った。
 その後、ブレンダは図書館に行って、サンフランシスコ・クロニクルなどの新聞で、次のような記事を見つける。

 1909年3月10日:牧師の娘がサムライと結婚
 ヘレンは聖公会の大執事、ジョン・エメリーの娘で、グンジロウは武士の子孫だと書かれていた。

『The Call』1909 年3 月20 日刊
『The Call』1909 年3 月20 日刊
提供:ブレンダ・ウォン・アオキ

 1909年3月12日:エメリー家の友人、医療アドバイスを求める。催眠術で、女の子が日本人に惚れることを説明できるだろうか?
 1909年3月16日:日本人と白人の結婚禁止

 サクラメント市議会がこの日、カリフォルニア州での白人との結婚を禁じる人種リストに日本人を加える。
 1909年3月20日『The Call』:コート・マデラの住人が日本人求婚者を非難

 2人の敵は議会ばかりではなかった。1909年3月20日の『新世界』の記事を見ると、日系社会も2人を別れさせようとしていることがわかるが、軍次郎はきっぱり断っている。
 2人は結婚したものの、様々な波紋が広がった。ヘレンは市民権を剥奪され、エメリー夫妻は離婚。大執事だったジョン・エメリーは聖公会を辞任した。サンフランシスコで聖公会を立ち上げたブレンダの祖父も辞任に追い込まれ、ユタ州に追放された。ブレンダの祖父と祖母は、失意のうちに、間もなくしてユタの地で亡くなった。

新聞『新世界』の記事(1909 年3 月20 日刊)
新聞『新世界』の記事(1909 年3 月20 日刊)
提供:ブレンダ・ウォン・アオキ

 グンジロウが亡くなり、ヘレンは苗字をAoki(アオキ)からOakie(オエイキ)に変えることで、1933年11月に市民権を回復した。ブレンダは思った。青木家が隠し、恥としてきたことは、決して恥ではない。むしろ自分は誇りに思う。そして、次世代に伝えていかなくてはならない。彼女自身も異人種間の結婚で生まれているだけに、ブレンダのこの話に対する思いは強い。

家族の死を受け止めるために

「The Train Ride」上演中のブレンダ・ウォン・アオキ
「The Train Ride」上演中の ブレンダ・ウォン・アオキ
撮影:須藤達也

「汽車に乗って」は、ブレンダがアリス・ハギオという2世から直接聞いた話で、「Last Dance」(1998)に収録されている。第2次大戦中、日系人収容所に移送される電車の中で、看護師をしていた「私」は、生まれたばかりの赤ちゃんを抱いていたが、友人のミチの赤ちゃんが病弱だったため、その子の面倒も見ることになる。汽車で揺られること3日間。食事が出たのは一度だけで、母乳も出なくなった。ミチの赤ちゃんは、やがて泣き声がやみ、亡くなった。それから55年の月日がたち、夫はミチの家族と交流があるが、ミチはあの時のことを思い出すので、今でも「私」に会おうとしないという。
「さよなら、リア」は、ブレンダの家族に関する実話である。ブレンダの家族の養子になったサモア人のリアは、フットボールのキャプテンをつとめる活発な高校生だった。明日から大学に通うために家を離れるので、家族は前日、お別れ会を開こうとしていた。しかし、待てども待てども、本人のリアが現れない。やっと現れたとき、リアは棺の中にいた。14歳の見知らぬ子に心臓を打ち抜かれたのだ。『Extreme Exposure: An Anthology of Solo Performance Texts from the Twentieth Century』(1999)に掲載されている台本から、以下、抄訳。

『Extreme Exposure: An Anthology of Solo
Performance Texts from the Twentieth Century』
『Extreme Exposure: An Anthology of Solo Performance Texts from the Twentieth Century』

 私の家族、彼の友人、そして何百人もの高校の同級生がリアを見つめていた。皆ショックを受けた。その次に怒りが襲ってきた。でも何も言葉が出てこなかった。すると、フットボールチームの仲間が立ち上がり、自分たちのジャージを脱いで、棺の中にそっと入れた。チームはいつもリアと一緒にいるんだ、という思いをこめて。皆が泣いた。サモア語で、英語で。子供たちも大きな声で叫んでいた。その光景を見ながら、思った。

大きな銃をとって、リアを殺した子供を撃ち殺したい。
あの子が憎い。憎い。憎い!
あの子を産んだ母親を殺したい。父親を、家族全員を殺したい!
あの子が憎いから。
「ハアー!」
一人の老人が叫び始めた。
「ハアー!」
深く、低い声で。他の男たちも一緒に叫び始めた。
「ハアー!」
私たちに力を与えてくれるよう、私たちは先祖に祈り始めた。
「ハアー!」
この若い戦士の魂を家に戻すよう、私たちは先祖に祈っていた。
「ハアー、ハアー!」
「ハアー、ハアー、ハアー!」
すると、一族の長老が両手を挙げて、大きな声で言った。
「死は常なるものなのだ!!!」
皆、立ち止まった。
「生きていることが・・・奇跡なのだ」
皺が寄った彼の顔から涙がこぼれた。でも、私たちに微笑んでいた。(後略)

 ブレンダの語りが終わると、マーク・イズが静かにベースを弾いた。リアの魂を沈め、ブレンダの気持ちをなだめるかのような演奏だった。その後、静かな雰囲気を掻き消すかのように、息子のKKが激しく踊り、彼らのパフォーマンスが終わった。

ラフカディオ・ハーンへの共感

『Mermaid Meat』
『Mermaid Meat』

 ブレンダにはラフカディオ・ハーンに対する強い共感がある。それは、一つはハーンが描く世界に対する共感であり、もう一つは、ブレンダと同じように、複数の血が混ざっているハーン自身に対する共感だ。「Mermaid Meat and Other Japanese Ghost Stories」に収録されている、「Black Hair(黒髪)」という作品は、小林正樹監督の映画『怪談』(1964)に収められている「黒髪」をヒントにしてつくられた作品で、YouTubeでもその一部を見ることができる。原作がハーンの「和解」という短編で、さらに辿ると、今昔物語に行き着く。
 ブレンダのパフォーマーとしての訓練は、バレーやフラダンスから始まっているが、70年代の後半から、サンフランシスコで「シアター・オブ・幽玄」を立ち上げた土井由理子と、野村万作から狂言を、野村四郎から能を習っている。演者としても、まさに、東西融合の典型といっていいだろう。「黒髪」を見ると、彼女の所作が、日本の伝統芸能の影響を強く受けていることがよくわかる。
「黒髪」は、京都に住む貧しい侍の夫婦の物語である。自分の持ち物を売って献身的に夫に尽くす妻と、貧しさを嘆いて酒を飲む日々を暮らす夫。新しい着物が欲しいという夫に、妻は自分の黒髪を切って着物をつくる。着物に紋が入っていないと言われれば、妻は自分の小指を切り、その血で「心」と書いた紋を入れる。
 その紋が入った着物を着て外に出ると、偶然大名行列に出くわし、行列の中央にいる着飾った女性から声をかけられて名護屋に行くことになる。夫と別居することになった妻は嘆いたが、涙は袖に隠して流した。名護屋の大名に取り立てられた侍は、この女性から結婚を迫られ、京都の妻を離婚することになる。新しい妻は気立てが悪く、侍は幸せではなかった。20年の歳月が流れた。侍はこの妻を捨て、京都に帰ると元の妻が待っており、2人は一夜を過ごした。翌朝起きてみると、侍の腕に抱かれていたのは、20年前に夫に捨てられて悲嘆にくれて死んだ、妻の死骸だった。
 CDにはこの話について、ブレンダの次のような解説がある。
「以前、日本で、ある古いお寺を訪ねたときのことです。ガラスの箱に、黒みがかった茶色い髪のような縄がありました。それを見て何か背筋がぞくっとしたんです。日本語の解説は読めなかったのですが、日本語の下に英語で'人の髪'と書かれてありました。第2次世界大戦中、縄はすべて戦争に持っていかれました。だから、この村の女性たちが自分たちの髪を切って、お寺の鐘を鳴らせるようにしたのです。この縄は、彼女たちの犠牲の証拠として保存されました」
 CDにはこんな記述もある。
「私は語り部です。語りによって記憶が伝えられていきます。私は自分の体と、声と、髪を使って聴衆に語りかけます」
 自分の体と声に加えて、「髪」と言っているのがとても印象的だ。特に「黒髪」では髪が重要な役割を果たしている。
 ハーンの幻想の世界に、ブレンダは「もののあわれ」を感じるという。束の間の人生のなかにある身を切るような美しさ――もののあわれを、彼女はこのように説明している。リアを失った体験、生きていることは奇跡なのだという長老の言葉、そういった中で、彼女はもののあわれの感覚を得、ハーンの怪談に共鳴するようになったのではないか。そんな気がする。

 このように、ブレンダの話をみていくと、若くして亡くなったリアとカリ、収容所行きの列車で亡くなった赤ちゃん、ユタに追放された祖父、異人種間結婚を成し遂げた大叔父、市民権を剥奪された大叔母、あるいはまたアイルランド・ギリシャ系のラフカディオ・ハーンが、この世に生きた証とその意味を後世に伝えようとしているように思える。私は一人の日本人として、彼女が語り継ぐメッセージを全身で受け止めたいと思う。

(敬称略)

※作品の訳は筆者による。
※写真と資料を提供してくれたブレンダ・ウォン・アオキに感謝します。


   ブレンダ・ウォン・アオキのCD

  • Dreams & Illusions, Rounder Records, 1990
    Twilight Crane(Japan), Grandpa, a reflection(California)など5話を収録
  • The Queen's Garden, Asian Improv Arts, 1998
  • Mermaid Meat and Other Japanese Ghost Stories, Belly to Belly, 2007
    Mermaid Meat, The Bell of Dojoji, Dancing in California, Black Hairを収録
  ブレンダ・ウォン・アオキが参加しているCD
  • Last Dance, Bindu Records, 1998
    The Train Rideを収録
  映画出演
  • Living on Tokyo Time, Steven Okazaki監督, 1990
  • Do 2 halves really make a whole?, Martha Chono-Helsley監督, Center for Asian American Media, 1993
  参考資料
  • The Queen's Garden, Contemporary Plays by Women of Color: An Anthology, Routledge, 1996
  • To Fa, Lia, Mermaid Meat, Extreme Exposure: An Anthology of Solo Performance Texts from the Twentieth Century, Theatre Communications Group, 1999
  • Uncle Gunjiro's Girlfriend (グンジロウ叔父さんの彼女) パンフレット 国際文化会館 2007年10月26日
  • 「日系アメリカ人のジャズと語りの世界」 パンフレット 第29回アジア系アメリカ人研究会 2008年1月8日
  • 「和解」『日本雑記』 小泉八雲 恒文社 1986
  • 『新世界』1909年3月20日号
  参考ウエブサイト

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PROFILE

須藤達也

神田外語大学講師

1959年愛知県生まれ。 1981年、上智大学外国語学部卒業。1994年、テンプル大学大学院卒業。1981年より1984年まで国際協力サービスセンターに勤務。1984年から85年にかけてアメリカに滞在し、日系人の映画、演劇に興味を持つ。1985年より英語教育に携わり、現在神田外語大学講師。 1999年より、アジア系アメリカ人研究会を主宰し、年に数度、都内で研究会を行っている。趣味は落語とウクレレ。
 
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