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Series 日系アメリカ人と日本人
二つの国の視点から 須藤 達也
09/07/31

第3回 ロナルド・タカキ~「自分」を他の文化、民族の視点から問い続ける

海外に住む日系人は約300万人、そのうち在米日系人は約100万人といわれる。19世紀後半からはじまった在米日系人はその歴史のなかで、あるときは二国間の関係に翻弄されながらも二つの文化を通して、日系という独自の視点をもつようになった。そうした日本とアメリカの狭間で生きてきた彼らから私たちはなにを学ぶことができるだろうか。彼らが持つ二つの国の視点によって見えてくる、新たな世界観を探る。

『アメリカはなぜ日本に原爆を投
下したのか』(草思社)より転載
ロナルド・タカキ
『アメリカはなぜ日本に原爆を投 下したのか』(草思社)より転載

 今年の5月末、日系3世のロナルド・タカキ教授が自殺したというニュースを目にした。エッとわが目を疑った。
今から10年前の1999年4月29日、タカキがつとめていたカリフォルニア大学バークレー校で、twLF(third world Liberation Front:第三世界解放前線)の学生らが構内でハンガーストライキを行い、5日後に6人が逮捕された。同校では、1990年代に入って、民族研究学部の予算と教員が削減され、授業数も以前に比べて少なくなった。それが事件の発端である。
 学生の逮捕を受けて、タカキはキャンパスに立ち、学長にこう言い放った。
「学生を逮捕するのなら、私も逮捕すべきだ」
 さらに続けた。
「他にも9名の教員を逮捕しなくてはならない。学生を逮捕するのではなく、話し合いの場を持て」
 学生たちから喝采を浴びたことはいうまでもないが、彼自身、相当の覚悟で臨んだ集会だったろう。
 これだけの気骨がある人である。だから自殺、という言葉がピンとこなかったのである。メディアには20年前から多発性硬化症を患っていたことしか書かれていない。それだけが自殺の原因だったのかどうか、真相はわからない。私にはドキュメンタリー映画で見た、強いタカキだけが脳裏に焼きついている。
 twLFのやり方には賛否両論があるようだが、今の時代にまだ学生運動にこれだけ力があること、そして大学の一教員が学生の側に立って発言をしたことに私は感銘を受ける。
 日系アメリカ人研究者の仕事が日本語に翻訳されることはあまりないが、民族学者だったタカキは例外で、十数冊ある出版物のうち、『パウ・ハナ ハワイ移民の社会史』『もう一つのアメリカン・ドリーム アジア系アメリカ人の挑戦』『アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか』『多文化社会アメリカの歴史 別の鏡に映して』『ダブル・ヴィクトリー 第二次世界大戦は、誰のための戦いだったのか? 』の5冊が1980年代以降、訳出されている。

マイノリティの集合体としてのアメリカを描く

 タカキの著作で一貫しているのは、多文化社会の視点から歴史を見直そう、という姿勢である。アメリカもヨーロッパだけの視点だけでなく、多文化、多民族の視点から歴史を書き直そうと試みている。
 タカキは1939年にホノルルに生まれ、高校卒業後、本土に渡ってオハイオ州の大学に進学した。折しもアメリカ社会では黒人の公民権運動が盛り上がりを見せていた頃で、マイノリティの歴史に開眼した。オハイオ州ではハワイと違って彼自身がマイノリティだったことも彼の世界観に大きな影響を与えただろう。その後、カリフォルニア大学バークレー校で黒人史を学び、1967年にアフリカの奴隷貿易をテーマに博士論文を書いている。

もう一つのアメリカン・ドリーム アジア系アメリカ人の挑戦

 その後、他のマイノリティにも関心を深めていく。『パウ・ハナ』では、故郷であるハワイの多文化、多民族社会を描いた。『もう一つのアメリカン・ドリーム』では、中国系、日系、韓国系、フィリピン系社会の存在をアピールした。『多文化社会アメリカの歴史』は、いわばタカキのアメリカ研究の集大成というべきもので、黒人、ネイティブ・アメリカン、アジア系、ヒスパニック系、さらにユダヤ系、アイルランド系アメリカ人を中心として、多文化、多民族社会であるアメリカを描き出している。
『多文化社会アメリカの歴史』の原著が書かれたのが1993年。奇しくも前年に起きたロサンゼルス暴動は、ヒスパニック系と黒人、韓国系と黒人の摩擦をマスメディアにさらし、タカキにも大きな影響を与えた。近年、アメリカのユダヤ社会、東欧社会、黒人社会、日系社会などの研究は増えてきたが、それらはアメリカ社会を断片化し、それぞれの集団を孤立させて研究している。それではロサンゼルス暴動以後の時代のわれわれの必要に対応できない、と彼はいう。タカキの言葉を引用する。

「ロサンゼルス暴動が荒れ狂った日々に、われわれを釘付けにしたテレビ映像は、分裂した人種関係の将来の姿を示しているのだろうか、それとも、多様な人種と民族からなるアメリカ人は連帯してより大きな一つの物語をつくりあげることができるのだろうか。何が起ころうと、われわれが確信できるのは、われわれの社会の将来は、われわれが自分自身を映すためにどの〈鏡〉を選ぶかによって多大な影響を受けるだろうということだ」

 人は過去を学び、歴史という鏡に自分を映してみることができるが、複雑な現代に必要とされているのは「別の鏡」に映すことだとタカキはいう。自分を他の民族、他の文化の視点で見ることによって、自分の理解も、他者の理解も深まるとタカキは言いたいのだろう。
 本書が出版されてから8年後の2001年の9月11日、ニューヨークで同時多発テロが起き、世界が一変した。『多文化社会アメリカの歴史』にはアラブ系アメリカ人のことはとりあげられていないが、タカキにはこの事件がどのように映ったのだろうか。
 自分を別の鏡に映すことの難しさ、他の民族、他の文化を理解することの困難さを、9.11は私たちに突きつけているように思える。

第2次大戦とアメリカ国内の人種差別

アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか

 歴史を正そうというタカキの視点は、アメリカ国内のことだけでなく、第2次世界大戦にも強く表れている。『アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか』と『ダブル・ヴィクトリー』がそれに当たる。
 原爆を投下することで、戦争を早期に終結させ、本土決戦になった場合に予想されるアメリカ兵の死者数50万人の命を救った、とアメリカ人が一般的に信じていることがいかに間違っているかを、タカキは歴史上の事実から解明していく。
 では、なぜトルーマンは原爆を投下したのか? タカキはその理由として、戦後の対ソ連・対スターリン戦略、男らしさの演出、人種差別意識、の3つを挙げている。『アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか』が出版されたのは戦後50年という節目だったこともあり、タカキは来日して日本のいくつかのマスメディアでもこれについて発言していた。メディアでは、3つのうち、特に男らしさの演出を強調していた。トルーマンは、男らしい父、叔父などを誇りとしながら、子供の頃から「意気地なし」と言われて「男らしさ」がコンプレックスになっていた。大統領になった時も、ルーズベルトという偉大な大統領の突然の死によりたまたま大統領になってしまったことで頼りないと思われており、それだけに強さをアピールしようと必死だった。アイゼンハワーもマッカーサーも原爆使用を反対しているなかで強行したのは、そんな彼の個人的な性格だったというのがタカキの主張である。
『ダブル・ヴィクトリー』は、黒人、ネイティブ・アメリカン、アジア系、ヒスパニック系ら、マイノリティにとって、第2次世界大戦が何であったかを問いかけた著作である。第2次世界大戦は国外のファシズムに対する戦いの勝利であったが、同時にマイノリティにとっては、国内の差別に対する戦いの勝利でもあった、というのである。
 戦時中、アメリカ西海岸に住む日系2世は、アメリカ国籍であるにもかかわらず強制収容され、さらに収容所から徴兵されるという矛盾だらけの政策にさらされた。それでも多くの日系2世が志願、あるいは徴兵に応じたのは、アメリカ国内の差別に立ち向かおうという精神があったからだ。自分たちもアメリカ人として、国のために白人と同等に貢献しているという点を強調する意味もあったのだろう。白人の差別を受けてきた他のマイノリティも、なぜ白人の戦争に自分たちが参加しなくてはいけないのかと自問したが、やはり自分たちはアメリカ人であるという意識をもって、多くの者が戦争に参加した。その数は黒人が100万人、メキシコ系アメリカ人が50万人、ネイティブ・アメリカンが4万5000人。人口比にすると、メキシコ系アメリカ人は20%強、ネイティブ・アメリカンは10%以上に相当した。こういう事実に加え、タカキは彼ら個人の声を丹念に拾っていく。それが歴史に生を与え、彼の著作を魅力あるものにしている。


日本はすでに多文化社会! その将来像は?

ダブル・ヴィクトリー

 タカキは、『ダブル・ヴィクトリー』の序文、「日本の読者の皆様へ」でこんなことを書いている。
「日本社会は、蝦夷地、琉球、そして35年の韓国併合によって、長い間、民族文化的多様性を保持してきました。今日、日本の出生率は低下の一途をたどり、労働力不足に伴うが外国人労働者の流入が続いていると聞いています。そうした多様性の拡大は、日本経済の活力と高齢化社会の福祉の維持には重要なことです。単一民族社会日本、の神話は、移民という新たな挑戦を受けているのです」
 タカキの目には、日本がずっと多文化社会に映っていることがとても興味深い。そしてその傾向は今後加速していく。それに日本はどう対応していくのか、と問うている。
 2008年末現在の外国人登録者数は約222万人、総人口に占める割合が1.74%で過去最高を記録している。内訳は中国が65万人、韓国・朝鮮が59万人、ブラジルが31万人と続く。222万人という数字は名古屋の人口とほぼ同じで、決して低いものではない。特に芸能やスポーツの世界に目を向けると、黒人演歌歌手のジェロ、モンゴル出身の横綱朝青龍をはじめとして、日本の多文化度は著しく高い。
 今年の6月に、メリーランド大学で教鞭をとるラリー・シナガワが学生とともに来日し、上智大学のアメリカ・カナダ研究所で、まさにこの点について話をされた。シナガワによれば、日本の人口の減少、異人種間結婚の増加、という2点において、アメリカの日系社会と日本社会は類似している。これに日本はどう対応していくのか、と問題提起し、参加者との意見交換を図った。
 シナガワはタカキの弟子で、ちょうど来日していたときに、タカキの訃報にふれた。講演の後、参加者全員でタカキに黙祷を捧げた。多文化、多民族国家として日本を見つめるタカキの視線は今、シナガワに受け継がれている。
(敬称略)

著書一覧(訳されているもの)
『パウ・ハナ ハワイ移民の社会史』 
刀水書房 1986 原著 Pau Hana 1985
『アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか』 
草思社 1995  原著 Hiroshima: Why American dropped the Atomic Bomb 1995
『多文化社会アメリカの歴史 別の鏡に映して』 
明石書店 1995 原著 A Different Mirror: A History of Multicultural America 1993
『もう一つのアメリカン・ドリーム アジア系アメリカ人の挑戦』 
岩波書店 1996 原著 Strangers from a Different Shore 1989  ピュリツァー賞候補。ニューヨークタイムズ書評で年間優良書に選ばれる。
『ダブル・ヴィクトリー 第二次世界大戦は、誰のための戦いだったのか? 』
柏艪舎 2004 原著 Double Victory 2000

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PROFILE

須藤達也

神田外語大学講師

1959年愛知県生まれ。 1981年、上智大学外国語学部卒業。1994年、テンプル大学大学院卒業。1981年より1984年まで国際協力サービスセンターに勤務。1984年から85年にかけてアメリカに滞在し、日系人の映画、演劇に興味を持つ。1985年より英語教育に携わり、現在神田外語大学講師。 1999年より、アジア系アメリカ人研究会を主宰し、年に数度、都内で研究会を行っている。趣味は落語とウクレレ。
 
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