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Series コラム
石垣島に魅せられて ~移住者の南島ルポ 松村 由利子
11/08/31

第8回(最終回) 野鳥の楽園

沖縄本島から南西に400キロ。サンゴ礁を覆うミントブルーの海、ジャングルやマングローブの濃い緑と一面のサトウキビ畑。ある人はただただ自然に魅せられ、またある人は島ならではの食や文化に入れ込みこの島で暮らす。都会の生活から避難した若者もいれば、島興しに燃える島人(しまんちゅ)の逞しい姿もある。昨年5月、都会からこの島に移り住んだ、歌人でありライターの松村由利子が、島に魅せられた人々を通して、その素顔と魅力を探る。

アカショウビンに迎えられて

「石垣牛」のラベルが貼られたパック
愛らしい声で鳴くアカショウビン
(福田啓人さん撮影)

 福岡に生まれ育った私だが、初任地だったのが縁で、千葉市に20年も住み続けてしまった。そこを離れ、石垣島へ引っ越したのが2010年4月である。正確には4月30日の午後だった。
 何度も旅行で訪れたが、いよいよここで生活することになった感慨が胸を満たした。わが家は、市街地から車で30分ほどかかる緑豊かな半島に建っている。牧草地やサトウキビ畑の広がる半島の先には屋良部岳という小高い山があり、家からは南北方向に海が見える。
 山のような段ボール箱に囲まれ、相棒と2人で初めてわが家で夜を明かした翌朝、聞きなれない「ヒョロロロ~~」という鳴き声が聞こえた。私と相棒は顔を見合わせ、外を見まわした。すると、家のすぐ前の電線に、1羽のアカショウビンがとまっているではないか。半音ずつ下がるような「ヒョロロロ~」という独特の鳴き方と、くちばしの大きな赤い姿を見て、私たちはすっかり感激してしまった。
「ね、ね、ここに住んでいたら毎日アカショウビンが見られるのかな」と私は喜んだのだが、それはとんでもない間違いだった。電線にとまっているアカショウビンを見ることなんて、1年半近く住んだ今に至るまで、その時限りだったのである。そもそも、アカショウビンが渡り鳥であることすら知らなかった。石垣島で見られるのは、正式にはリュウキュウアカショウビンと称されるアカショウビンの亜種である。夏鳥として4月初めごろに飛来し、10月初めごろにはいなくなってしまうのだ。
 ともあれ、アカショウビンとの出会いは、島の生活の幸先よいスタートを象徴するようで、私にとっては忘れられない思い出だ。

天然記念物のいる日常

 奄美大島以南の南西諸島には、独自の進化を遂げた固有種や固有亜種が多い。イリオモテヤマネコが発見されたのは1965年、ヤンバルクイナが発見されたのは、何と1981年である。南太平洋上にあって世界遺産にも登録されているガラパゴス諸島には、独特の進化を遂げた動物が多いのだが、南西諸島も珍しい動物が多いことから「東洋のガラパゴス」と呼ばれることもある。特に石垣島を中心とする八重山諸島は、「野鳥の宝庫」とされている。
 島の中央部には沖縄県で最も高い於茂登岳(526メートル)をはじめ丘陵地が連なり、オキナワウラジロガシやイタジイなどの広葉樹林帯が広がっている。一方、名蔵川や宮良川、吹通川など大きな河川の河口には広々とした干潟が広がり、マングローブ林が形成されている。また、ダム湖を生息地とする鳥たちも多い。こうした豊かな自然があるため、水辺に生息するバンやシロハラクイナ、リュウキュウヨシゴイ、カルガモなどの留鳥をはじめ、アオサギやコサギなどのサギ類、セイタカシギ、クサシギなどさまざまな渡り鳥が飛来する。渡り鳥の中には、タカの仲間のサシバやアカハラダカ、白と黒のコントラストの美しいレンカク、世界的にも希少なクロツラヘラサギなどがいる。

木陰で憩う牛たち
眼光鋭いカンムリワシ
(佐野清貴さん提供)

 留鳥の中には、国の特別天然記念物であるカンムリワシ、天然記念物のキンバトも含まれる。森林に住むキンバトはまだ姿を見たことがないが、カンムリワシは牧草地のスプリンクラーや電柱の上によく留まっているので、何度となく見ている。街中から少し離れた農村地域にあるわが家にとってはとても身近な鳥で、「え、これが天然記念物?」という感じがするほどだ。わが家の建築中も現場近くによく来ていたと設計士さんが話してくれた。その話を聞いた相棒はすっかり嬉しくなり、「カンムリワシを餌付けしたらダメかな?」などと言うので、「ダメです!」と釘を刺しておいた。
 そのほか、ミフウズラ、ズグロミゾゴイ、イシガキシジュウカラ、チュウダイズアカアオバト、リュウキュウサンショウクイ、リュウキュウキビタキ、イシガキヒヨドリ、リュウキュウコノハズクなど、本土では見られない鳥たちが数多く生息する。

美しいキンバト(﨑山陽一郎さん撮影)
美しいキンバト(﨑山陽一郎さん撮影)

 さまざまな渡り鳥は、島の季節を彩る大切な役割を担っている。「沖縄」というと、常夏のイメージを持っている人が多いようだが、石垣島にも四季はある。本土とはそれぞれの季節の長さや気候が違うけれども、季節の移り変わりははっきりと感じられる。いろいろな花や果実も季節感をもたらすが、一番目立つハイビスカスやブーゲンビリアが一年中咲いているため、それほどのインパクトはない。その点、渡り鳥はきちんと季節を読んで移動するので、昔から農耕行事の目安にもなっていた。島の人々は、渡り鳥の飛来に季節の変化を感じてきたのだ。

サシバと島の人々

「サシバが飛んでくると、イバツというおにぎりが食べられるのが嬉しかったんですよ」――石垣在住の﨑山陽一郎さんは、子どものころのサシバの思い出をなつかしそうに語る。﨑山さんは、日本野鳥の会石垣島支部の顧問や、環境省野生動植物種保存推進委員を務める鳥好きである。

競りの会場には独特の熱気が漂う
サシバの飛来は秋の訪れを告げる
(﨑山陽一郎さん撮影)

 サシバは、夏鳥として本州、四国、九州へ飛来し、山地で繁殖する。南を目指して石垣島へ立ち寄るのは、ちょうど「種取り祭」の行われる10月初めごろだ。種を取る、といっても収穫を祝う祭りではなく、豊作を祈って稲のもみをまく儀式である。温暖な八重山諸島では二期作どころか三期作も可能なのだが、台風の来なくなったこの時期は、最も収穫が見込めるからだろう。秋の到来を告げるミーニシ(新北風)の吹き始めるころだ。

サシバが持ってくる紅白のイバツ(﨑山陽一郎さん撮影)
サシバが持ってくる紅白のイバツ
(﨑山陽一郎さん撮影)

 宮古野鳥の会の調査によると、1978年から1984年までの間、宮古島へ飛来したサシバは毎年4~5万羽に上ったという。恐らく石垣島でも同じくらいの群れが飛んできたのだろう。﨑山さんによると、イバツは円錐形の紅白のおにぎりで、月桃や芭蕉の葉に包んである。イバツは「飯初」から来ているという説もあるようだ。それを朝早く母親たちが「シラ」と呼ばれる穀倉の軒先や石垣の上などに置いておき、「おふだ(大きなタカ)がイバツを置いていったから、早く起きなさい」と子どもたちを起こした。島全体が貧しく芋が主食だった時代、お米のごはんなどめったに食べることができなかった。子どもたちは眠い目をこすりながらも、大喜びで起きてきたという。
 その話を聞くだけで、私はわくわくしてしまった。「まるで、サンタクロースみたいですねえ」と言うと、﨑山さんは顔をほころばせて、「そうそう、本当にそうですね」と相づちを打った。人々の暮らしと渡り鳥は、こんなにも密接に結びついていたのだ。
 﨑山さんが歌いだした。

 おーふおーふ、だーがだーが、
 まーいまーい、じーかじーか、
 なかすめーの、こんちぇんま


 これは子どもたちが、サシバが飛ぶ様子を真似しながら歌うわらべうただそうだ。遥かな歳月を越えて聞こえてくるようで、うっとりと聴き入ってしまった。
 こんなふうに石垣島で歓迎され、大事にされるサシバだが、隣の宮古島では、「風邪を予防する」ということで捕まえて雑炊にしていたというから驚く。ちょうどサシバの飛来するころから寒くなり始め、風邪を「タカ熱」と呼んでいたこととも関わっているのだろう。

石垣島に飛来するサシバの群れ(﨑山陽一郎さん撮影)
石垣島に飛来するサシバの群れ
(﨑山陽一郎さん撮影)

 宮古島出身で1956年生まれの謝花勝一さんの著書『サシバ日和』(ひるぎ社)には、捕獲したサシバを捌き、細切れにして水で炊いて味噌や塩で食べたこと、米のごはんを炊きこんだものも非常に美味だったことなどが書かれている。「貧乏な家ではサシバは生計の足しにする季節の商品だったから、シーズンはじめはほとんど口に入らなかった。サシバを食べられるのは数度しかなかった。それだけに、寒露の訪れとタカ汁への渇望は強いものになっていったように思う」という。
 﨑山さんの歌を聞いた後では、「ああ、イバツを持ってきてくれるサンタクロースが……」とかわいそうに思ってしまうが、島によって異なる文化や風習があるという好例の1つかもしれない。宮古島にもサシバを歌った民謡がある。

 くがつん まいふう タカがまどんま
 すまぬばん むらのばんてぃど ぬくいあむぬ
 どうたまい すまぬばんてぃど ぬくらじてい
 (旧暦九月に 飛来する サシバは
  島や 村を守るために 居残る
  自分たちも 島を守るために 頑張ろう)


 夏を本土で過ごしたサシバは、南西諸島に立ち寄り、羽を休めてフィリピンやインドネシアの方へ向かう。そして、暖かい地で冬を過ごした後、再び本州や四国、九州へ戻るのだ。

変わる鳥相、鳥事情

 石垣島に生まれ育った﨑山陽一郎さんにとって、最初に親しんだ鳥はリュウキュウメジロだった。メジロはよい声で鳴くため、鳴き声を競わせる「鳴き合わせ」が江戸時代から風雅な趣味として人々に愛されてきた。﨑山さんの幼いころの石垣島でも、メジロをトリモチで取っては鳴き合わせをしていたという。「どこそこの誰のメジロがよく鳴く」という話を聞くと、大人も子どもも出かけていったものですよ」と﨑山さんは話す。
 密猟や乱獲が問題となり、2011年8月現在では都道府県知事の許可がないと捕獲、飼育ができなくなった。ところが今度は、国外で捕獲されたものの輸入や飼育が禁止されていないため、フィリピンや中国から亜種のヒメメジロが輸入されて日本のメジロと交雑したり、輸入したメジロの飼育許可証を悪用して日本のメジロを飼育したり、といったケースが懸念されている。環境省は2011年7月、2012年4月からメジロの捕獲と飼育を全面的に禁止する指針を出した。石垣島のリュウキュウメジロも、本土から来た密猟者に捕られて高く売買されていたらしいので、今回の指針によって守られることになる。

愛らしくちょっと間抜けなシロハラクイナ(﨑山陽一郎さん撮影)
愛らしくちょっと間抜けなシロハラクイナ
(﨑山陽一郎さん撮影)

 かつては町なかでよく見かけたメジロが、飼育の禁止された今ではあまり見られなくなったのと逆に、近年になって増えてきたのがシロハラクイナだという。
 名前の通り、おなかの部分が白いのが特徴の留鳥である。クイナの仲間で水田の草むらや湿地に棲み、昆虫、草の種などを食べる。石垣島のあちこちで見かけ、道路脇の草むらから突然出てきて横断したりするので、車に轢かれた死骸を見ることも多い。わが家の近くにももちろんたくさんいて、「クォッ、クォッ」と体の割に大きな鳴き声で歩き回っている。
 沖縄県内では昔からいる鳥だと思っていたので、﨑山さんから「こんなに見かけるようになったのは、本土復帰した後だねえ」と言われたときは驚いた。「私より年配の人たちは、昔はあまり見たことなかったと言いますよ」
 調べてみると、シロハラクイナのもともとの生息地はインドや中国南部、台湾で、南西諸島では迷鳥とされていた。それがだんだん沖縄県内で増えているそうだ。
 﨑山さんは80年代に友人と台湾へ行った際、帰りのフェリーのデッキにシロハラクイナに似た鳥がとまっているのを見たことがある。クイナ類は普段ほとんど飛ばないが、渡りのときには長い距離を飛ぶ。﨑山さんの見た鳥は、石垣島から船で40分程度の鳩間島方向へ飛び立ったという。「台湾には昔からシロハラクイナがいます。彼らがフェリーや貨物船、タンカーなどをつたって、南方から八重山諸島に来たことは十分考えられます」

車に轢かれたシロハラクイナを度々目にする(﨑山陽一郎さん撮影)
車に轢かれたシロハラクイナを度々目にする(﨑山陽一郎さん撮影)

 今や石垣島のマスコットになってもおかしくないくらい、頻繁に見かけるシロハラクイナである。あっけなく車に轢かれるらしいので、「あ~、ヤンバルクイナもこうして数が減っているのか。鈍いよねえ」と心配していたが、案外、繁殖力は強いようだ。
しかし、自力で石垣島に渡ってきたシロハラクイナと違って、人間が持ち込んで問題になっている鳥もいる。それは、まさに島の生態系を脅かす存在となりつつある。

外来生物の脅威

インドクジャクの繁殖力は旺盛だ(佐野清貴さん撮影)
インドクジャクの繁殖力は旺盛だ
(佐野清貴さん撮影)

 石垣島でいま問題になっている鳥は2種類いる。インドクジャクとコウライキジである。
 インドクジャクはもともとインドやスリランカ、パキスタンなどに分布している。1979年、小浜島にオープンしたリゾートホテル「はいむるぶし」が庭園内で飼うために200羽を持ち込み、その後、八重山諸島全体に広がった。環境省の調べによると、クジャクの数が最も多いのは小浜島で約400羽、次いで多いのが石垣島の約90羽、そして黒島の約50羽、宮古島の約40羽と続く。
 私が八重山で初めてクジャクを見たのは、黒島にダイビングしに行った2005年ごろだ。野生化したクジャクが草原にたくさんいるので肝をつぶしてしまった。黒島は「牛の島」とも言われ、人口よりも牛の頭数の方が多いのだが、真っ黒な牛と極彩色のクジャクの取り合わせは、とても奇妙だった。しかし、その時は石垣島にもクジャクがいるとは思ってもみなかった。
 クジャクは繁殖力が旺盛なうえ、台風の際に小屋が壊れて逃げ出し野生化してしまうという八重山特有の状況が加わった。植物の果実、種子、葉、根茎のほか、小型の哺乳類や鳥類、両生爬虫類、昆虫など多様なエサを食べるので、八重山の在来生物が脅かされている。宮古、八重山諸島にしか生息していないキシノウエトカゲは、1975年に国の天然記念物に指定された固有種だが、クジャクの格好のえさになる。全長40センチ近くになる日本最大のトカゲはいま絶滅が危惧されている。また、琉球列島に留鳥として分布している希少種のミフウズラは、地面の上に卵を産むので、卵もヒナも狙われやすい。「みんなクジャクが喰っちゃうんです」と﨑山さんは嘆く。環境省ではインドクジャクを要注意外来生物と見なし、わなを仕掛けたり猟友会を動員したりして駆除計画を進めているが、なかなか成果は上がっていない。
 一方、キジは昔話の「桃太郎」でもおなじみの国鳥だが、北海道や沖縄には生息していなかった。石垣島では、狩猟家が猟を楽しむためにコウライキジを北部に持ち込んだのがきっかけで、どんどん増えて島全体に広がったという。島の西側にあるわが家の庭や、裏の牧草地でも何度か見かけたことがある。
 キジといってもコウライキジは「外来生物」であり、生態系を乱すのはもちろんのこと、パイナップルの芽や果実を食べてしまう害鳥だ。パイナップルは島の主要農産物の1つなので、農家を悩ませている。
 石垣市農政経済課によると、クジャクやキジによる被害の届け出があると猟友会に駆除を依頼しており、2010年度はインドクジャク22羽、キジ40羽が駆除された。同課の話では、被害の届け出は昨年度で20件程度という。クジャクとキジ両方の場合もあるため、内訳ははっきりしない。石垣島には山が多いので、駆除はなかなか難しく、市も頭を抱えている。

交通事故とカンムリワシ

エコドライブを呼びかけるステッカー
エコドライブを呼びかけるステッカー

 外来生物の問題に加え、石垣島で野生生物を脅かしているのは車である。島の道路はかなり整備されており、市街地を離れると信号機のない場所も多い。広々とした海を眺めて開放感を味わうと、ついスピードを出したくなり、小動物を轢いてしまうことになりかねない。
 8月半ば、私の両親と弟一家が初めて石垣島へやってきた。人数が多いので、わが家ではなく比較的近いホテルに泊まってもらった。夕食を終えてホテルへ車で送って行った帰り、途中の路上で、私は夜光反射たすきを掛けた人たちに呼びとめられた。「地元の方ですよね。エコドライブお願いします。よかったら、これを車の後ろに貼ってください」と、チラシとステッカーを渡された。
 ステッカーには、「エコドライブ 石垣島」「STOP! 地球温暖化、野生生物の交通事故」と書かれ、中央には甲羅の丸いカメのイラストがある。カメの甲羅には「のんびりがじょーとー!」という文字があって、ちょっと笑いを誘われる。「上等」はれっきとした日本語だが、沖縄の人たちがよく用いる「じょーとー」は、少しばかりニュアンスが違うからだ。「とてもいい」とか「素晴らしい」という意味に近いだろうか。
 このステッカーを作ったのは、石垣市である。地球環境と野生生物を守るため、制限速度を守り、路上の動物などに注意しつつ運転するエコドライブを呼びかけている。同市環境課の野底由紀子さんは「シロハラクイナや天然記念物のセマルハコガメは、車が近づいてもすぐに逃げられません。スピードを出すのは必ずしも観光客だけではなく、多くの人にエコドライブを心がけてほしいです」と話す。
 私も車を運転していて、突然目の前をシロハラクイナが横断するという経験を何度となくしているので、うなずく思いだった。しかし、飛ぶのが苦手なクイナやカメの動きが鈍いのはわかるが、立派な翼のあるカンムリワシが車に轢かれてしまうのは解せない。
 石垣島に拠点のある鳥類調査・保護団体「カンムリワシ・リサーチ」の調べによると、島では年間平均して8・7羽のカンムリワシがけがや衰弱によって保護、収容される。そのうち交通事故が原因であるケースは約55%を占めるという。交通事故による死亡は、2009年が6羽、2010年が13羽、2011年が8羽と、近年かなり増加傾向にある。

湾沿いに置かれた「カンムリワシ交通事故多発地帯」の看板
湾沿いに置かれた「カンムリワシ交通事故多発地帯」の看板

「カンムリワシ・リサーチ」は2006年2月に発足したグループで、けがをしたカンムリワシを保護して動物病院などで治療を施し、けがが治ったら放鳥するほか、観察会や講演会などの広報活動、モニタリング調査など幅広く取り組んでいる。代表の佐野清貴さんは、「助けて放しても、また別のカンムリワシが事故に遭うという繰り返しで、なかなか事故は減らない」と嘆く。
 その原因について佐野さんは、「もともとは湿地や草地、森林などで両生類や爬虫類を中心に小動物を捕食するが、最近は側溝にいるカエルなどの小動物を狙ったり、車に轢かれた小動物を路上で食べたりすることが増えたようです。道路沿いが効率的にえさを探せることを学習してしまったのでしょう」と見ている。
 東京生まれの佐野さんが石垣島へ移り住んだのは、1993年のことだ。まだ住宅地や舗装道路も少なかったという。野生生物にとっての環境は、この20年近くで激変した。「僕らは直接的に開発を止めたりはできないが、いろいろな普及・啓発活動で、八重山の自然を守ってゆきたい」と話す。
「カンムリワシ・リサーチ」でも、「野生動物の交通事故をふせごう」というステッカーを作っている。マスコットの名前「よんなーくん」は、「よんなー(=ゆっくり)」から来ている。私も運転するときは、「よんなー、よんなー」と自分に言い聞かせて走ろうと思う。

野鳥に魅了され

福田啓人さんの写真集『カンムリワシ』
福田啓人さんの写真集
『カンムリワシ』

「1羽のカンムリワシとの出会いがなかったら、この写真集はできませんでした」――大切な友達について語るように、カメラマンの福田啓人さんはしみじみとした口調で話した。
 2011年6月、福田さんは写真集『カンムリワシ――守るべきもの、石垣島の白い天使』(雷鳥社)を出版した。燃えるような夕日を背にしたカンムリワシの冠羽が逆立っているシルエットや、成鳥と幼鳥の縄張り争い、交尾の瞬間、白い可憐な花の咲いているのをバックにした姿など、写真として美しい作品はもちろん、生態を知るうえでも貴重なショットが60枚以上収められている。約8か月間、石垣島に滞在し、根気よくカンムリワシの姿を追い続けた成果である。
 国の特別天然記念物に指定されているカンムリワシは、現在、石垣島と西表島の2つの島にしか生息していないと言われている。カンムリワシ属は大きく5種に分類されるが、日本に生息するものは、北限の亜種とされる。「カンムリワシ・リサーチ」の調べによると、両島に少なくとも約100羽ずつ確認されている。
 福田さんは1973年、横浜市に生まれた。小さいころから動物が好きで、ムツゴロウさんことナチュラリストの畑正憲さんに憧れていたという。コンピュータ関係の専門学校を卒業し、ごく普通の会社員生活を送っていたが、カワセミの美しさに魅了されて写真を撮っているうちに、カメラマンの道を志そうと決意する。
 30代半ばで会社を辞めて写真を勉強し、2009年の第1回ハイフォトアワードに応募して、見事にグランプリを受賞。その作品を中心にまとめたのが、同年3月に出版された『カワセミ――ある日、カワセミに出会いました』(雷鳥社)である。オレンジとブルーのカワセミの姿は光線の具合でさまざまに変化し、見飽きることがない。7年かけて撮影した作品は多くの人を魅了した。
 ネイチャーフォトグラファーとして好スタートを切った福田さんは、次のテーマを何にしようと迷っていた。そして、カワセミの仲間であるアカショウビンに狙いをつけて、石垣島を訪れたのが2009年5月だった。そのとき、たまたま1羽のカンムリワシの幼鳥と出会ったのだという。
 石垣島へ行くのも初めてだったが、カンムリワシの姿を見たのも初めてだった。「なんて美しい白い鳥だろう!」と、一目惚れにも似た興奮を覚えた。八重山には「あやぱに」という言葉があるが、これはカンムリワシの白と焦げ茶色の「綾模様の美しい羽」、つまり「綾羽」から来ている。日本に生息するワシやタカの中でも、最も美しいと言われるのがカンムリワシなのだ。幼鳥は特に羽色が白く、模様がくっきりしている。成鳥になると全体に茶色っぽくなり、地味な印象になってしまう。
 石垣島出身のボクサー、具志堅用高さんが現役だったころ、チャンピオンになった試合後に「カンムリワシになりたい」と言ったエピソードがあるそうだ。そのことから「カンムリワシ」の異名をとるようになった。私は攻撃的で精悍なイメージを抱いていたのだが、実際に見るカンムリワシは意外に小さくて、おとなしそうだ。トレードマークになっている後頭部の「冠羽」は、興奮したときに逆立つのだが、風に吹かれても逆立つのがちょっとかわいい。

「無理せず自然のままに」が福田啓人さんのモットーだ
「無理せず自然のままに」が福田啓人さんのモットーだ

 福田さんの目に、カンムリワシの幼鳥は「石垣島を見守る白い天使」のように見えた。こういう構図を撮りたい、と思ってもなかなかうまく行かないが、ひたすら待つ。「撮れるときには撮れる。決して無理はしないで、自然のままに」というのがモットーだ。
 カメラマンの中には、カンムリワシの飛んでいるところを撮ろうと、エサのカエルを用意して投げ上げ、取りにきたところを狙う人もいる。しかし、福田さんは「撮らせてもらっている」という気持ちで、カンムリワシと向き合う。
 最初に出会った幼鳥は、福田さんがかなり近づいても恐れず、数日間、連続して同じ場所で撮影することができた。最も近づけたときには、3メートルの距離で撮れたという。そして、まるで撮ってくれと言うように、羽を伸ばしたり、頭を掻いたり、とリラックスした様子を見せた。鳥のまぶたに相当する「瞬膜」を閉じたときのアップや、排泄の瞬間など珍しい写真も撮れた。福田さんは「あの子に出会わなかったら、カンムリワシで写真集をつくろうとは思わなかった」と振り返る。
 八重山の代表的な民謡「鷲ぬ鳥(ばしぃぬとぅりい)節」は、成長した若いカンムリワシが元日の早朝、東の空へ向かって悠々と飛び立つ様子が歌われている。八重山歌謡の傑作とされ、おめでたい歌なので、石垣島ではさまざまなお祝いの席で歌われる。

 正月(しょんぐゎじぃ)ぬ しぃとぅむでぃ(正月の早朝に)
 元日(ぐゎんにちぃ)ぬ 朝ぱな   (元日の朝まだきに)
 東(あがる)かい 飛びちぃけ  (東の方に飛んで行った)
 てぃだば かめ舞いちぃけ(太陽をいただいて舞っていった)

 この歌には、「白い天使」と福田さんが感じたのと同じ、敬虔な気持ちがこめられているように感じる。自然の中で悠々と飛ぶカンムリワシの姿にうっとりと見入るとき、人は謙虚な気持ちにさせられるのではないだろうか。
 福田さんは今、アカショウビンの写真を撮っている。カンムリワシに比べると、体が小さく動きが格段に速い。そのうえ、森林の中にいることが多いので、撮影の難しさは数倍という。だからこそ、鳥たちの姿をとらえるのは大きな喜びだ。「石垣島は本当に自然が豊かで、『野鳥の楽園』というイメージがあります。カンムリワシやアカショウビンのような、弱い立場の生きものたちを守れるような写真を、これからも撮り続けていきたいです」と福田さんは話している。
 私の家の周りにはたくさんの野鳥がいて、夏の朝は鳥たちのさえずりで目が覚める。これからもこんな自然環境がずっと続くよう、何か小さなことでも関わっていきたいと願っている。

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PROFILE

松村 由利子
(まつむら・ゆりこ)

歌人、ライター。
1960年生まれ。2006年春まで毎日新聞記者。『与謝野晶子』(中央公論新社)で平塚らいてう賞、『31文字のなかの科学』(NTT出版)で科学ジャーナリスト賞を受賞。2011年、『大女伝説』で葛原妙子賞を受賞。

『与謝野晶子』
(中央公論新社)

『31文字のなかの科学』
(NTT出版)

『歌集 大女伝説』
(短歌研究社)

 
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