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Series コラム
石垣島に魅せられて ~移住者の南島ルポ 松村 由利子
11/07/31

第7回 島から世界を目指す牛

沖縄本島から南西に400キロ。サンゴ礁を覆うミントブルーの海、ジャングルやマングローブの濃い緑と一面のサトウキビ畑。ある人はただただ自然に魅せられ、またある人は島ならではの食や文化に入れ込みこの島で暮らす。都会の生活から避難した若者もいれば、島興しに燃える島人(しまんちゅ)の逞しい姿もある。昨年5月、都会からこの島に移り住んだ、歌人でありライターの松村由利子が、島に魅せられた人々を通して、その素顔と魅力を探る。

牛と疎遠の日々

 スキューバダイビングのライセンスを取るために2003年9月に石垣島を訪れて以来、島のおいしいものはいろいろ食べたつもりだが、ほとんど口にしなかったのが「石垣牛」である。知人に連れていってもらった居酒屋で、石垣牛のあぶり寿司をごちそうになったことは数回あるものの、それほど牛肉には執着しない方だし、何より財布に余裕がない。引っ越してからは、「豚と鶏の日々」を過ごしている。
 とはいえ、牛の姿は毎日目にする。私の住んでいる崎枝には、牛を飼っている農家がいくつもあり、放牧されている姿をしょっちゅう見るし、夜寝ていても鳴き声がよく聞こえる。犬を飼っている家も数軒あるが、牛は頭数が多いので最も身近な動物といってよい。

「石垣牛」のラベルが貼られたパック
「石垣牛」のラベルが貼られたパック

 市街地に行けば、「石垣牛」のマークが付いた飲食店が目につく。旅行者向けのタウンガイドにも、石垣牛の食べられる焼き肉専門店がたくさん掲載されている。土地の人に、「石垣で育った仔牛が、よそで肥育されて松阪牛とか宮崎牛になるんだよ」という話を聞いたこともある。「本当かな。じゃ、石垣牛って何だろう」とずっと気になっていた。

生まれも育ちも八重山

 ブランドとして定評のある牛を「銘柄牛」と呼ぶ。三大和牛というと、「神戸ビーフ・松阪牛・近江牛」、あるいは「神戸ビーフ・松阪牛・米沢牛」という3種を指すことが多い。
 しかし、これらの牛が生まれも育ちも「松阪」や「近江」なのかというと、そうではない。例えば「松阪牛」は、全国各地から買い入れた仔牛を三重県松阪市近郊で育て、松阪牛個体識別管理システムに登録されたものを指す。「近江牛」は「滋賀県内で最も長く飼育されたもの」と、土地の名前を冠したブランドでも牛の出生地は問わないものがほとんどなのだ。肉用牛を肥育する農家は、いろいろなところから優良な仔牛を買い入れ、自分たち独自の飼い方でブランド牛を育てているというわけだ。
 石垣島は昔から、仔牛の生産地として有名なところである。石垣島で生まれた仔牛の、実に95%が沖縄県外の肥育農家へ買われていく。そして、2年ほど育てられて各地の銘柄牛になるのだ。

木陰で憩う牛たち
木陰で憩う牛たち

 その人気の秘密は、石垣島には牧草が1年中青々と茂っていることにある。島はハワイとほぼ同緯度に位置し、年平均気温は23・8℃と暖かく草が枯れない。これが東北だと、生の牧草が供給できるのは200日足らず、北海道だと160日程度と、石垣島の半分以下になってしまう。沖縄県立八重山農林高校畜産科実習助手の石垣博作さんは、「石垣の牧草は、年に5回以上刈り取りできる。また、北海道だと半年も放牧できないが、石垣では年間通して放牧が可能なので、毎日新鮮な牧草を食べ、太陽をたっぷり浴びて育つ。その結果、骨格や内臓がしっかり発達し、大きく成長するんです」と話す。
 もちろん、島ならではの悩みもある。高温多湿な気候は、牛にとって必ずしも快適な環境ではない。石垣さんは「牛の一番暮らしやすいのは気温5~15℃。だから、日差しの強い石垣島では、牛が熱射病にならないよう、木陰や建物を設ける必要があります。牛舎を閉め切らないことも大事です」という。そう言えば、牛が放牧されているところには必ず大きな木やテントのような場所があり、日の高い時間帯には牛たちが日陰で気持ちよさそうに休んでいる。 また、熱帯、亜熱帯に分布するオウシマダニの引き起こす伝染病、ピロプラズマ病も石垣島の畜産には、長年にわたって大きな脅威だった。このダニが媒介するバベシア原虫に牛が感染すると、発熱や黄疸、重い貧血を起こし死んでしまうことも多い。薬剤の散布や噴霧などの対策を根気強く続けた結果、1999年4月、オウシマダニの撲滅宣言が出され、畜産振興へ向けた島の取り組みがやっと本格化した。
 そんな背景もあり、「石垣牛」が商標登録されたのは、2002年とまだ日が浅い。きっかけになったのは2000年7月に沖縄県名護市で開催された沖縄サミットである。クリントン米大統領、ブレア英首相、シラク仏大統領らが参加した晩餐会で、メインの肉料理として石垣牛ロースの網焼きが提供された。このとき各国首脳に大好評だったことから、石垣産の牛が国内外に知られるようになり商標登録された。

街角にある「石垣牛」の地域商標登録
街角にある「石垣牛」の地域商標登録

 JAおきなわは2008年、地域団体商標「石垣牛」を登録認定した。対象となる条件は、「八重山郡内で生産・育成された登記書、生産履歴証明書があり、八重山郡内で生後おおむね20か月以上肥育管理された純粋の黒毛和種の、去勢及び雌牛」となっている。他の銘柄牛と違い、生まれた場所が「八重山郡内」に限定されるのが特徴だ。他の銘柄牛では、脂肪交雑(サシ)、肉の光沢や脂肪の色、肉の締まり具合などを総合評価した肉質等級が一定の水準以上のものしか、ブランドとして認めないところもある。JAおきなわでは、どんなエサを食べさせたか、といった生産履歴や安全性の面から「生まれも育ちも八重山」であることを打ち出す一方で、肉の旨みも重要視している。

「石垣牛を世界へ」

 しかし、いくら「石垣牛」の質がよくても、絶対的な量が少ないのは致命的だ。2010年度に「石垣牛」として出荷されたのは、たったの628頭である。せっかく優れた仔牛が育つのに、ほとんどが島の外に買われていってしまうのは惜しい気がする。
 JAおきなわ八重山地区畜産振興センターの米盛充紀・畜産課長は、「もともと島では仔牛づくりを分担する形で畜産が行われていたが、近年になって『地元でも肉牛づくりを』という気運が高まり、繁殖と肥育を一貫して行うようになってきた」と話す。まだまだブランド牛の生産は始まったばかりということだ。JAおきなわでは2010年12月、石垣牛独自のエサとして統一配合飼料を作成するなど、効率よい肥育に向けた取り組みを始めたところである。
「石垣牛」の流通量を増やすうえでネックになっているのが、市内にある食肉加工施設「八重山食肉センター」の処理能力だ。現在の施設は1974年につくられたもので老朽化しており、常に満杯状態であるため出荷調整しているのが現状という。たとえ石垣牛の頭数が増えても、処理しきれないのでは流通量を増やすことができない。
 このため、2013年に建設が予定されている新しい食肉センターの設備内容が、石垣牛の未来を左右しそうだ。単に広くて新しい施設というのではなく、海外へ輸出可能な施設であることが期待されている。
 輸出可能な食肉加工施設の要件は、輸出先の国によって異なる。米国への輸出の場合、解体施設の内壁の材質や窓の高さ、作業室や検査場所の照明の明るさまで細かく定めた衛生基準をクリアしなければ、輸出認定屠畜場として認められない。農林水産省によると、米国へ輸出できる加工施設は、今のところ全国で4か所しかないが、少し条件の緩い香港だと8か所、マカオだと34か所になる。
 JAおきなわの米盛さんは「これまでは沖縄本島や本土ばかり見ていたが、これからは香港などアジアを見据えた市場戦略が必要ではないか。『離島の離島』というデメリットを、逆にアジア市場に近いメリットとして生かした販路拡大が可能だ」と話す。
 繁殖と肥育の両方を手がけ、340頭を飼育している上江洲(うえず)安生さんも、新しい食肉加工施設に期待する1人だ。「放射能に汚染された牛肉の問題には憤りを感じるしかないが、消費者は今まで以上に安心、安全な食品を求めていると思う。石垣牛は、大消費地に持っていけば必ず売れる。本土の大手スーパーの精肉の基準は厳しいが、それをクリアできる加工施設ができれば、島内の観光客の消費に依存している現状を打破できるはず」と見ている。
 新しい食肉加工施設は、2011年度の石垣市の予算では、まだ基本設計費しか計上されていない。敷地面積が現在の5500平方メートルから8000平方メートルの施設になる見込みだが、国際的に通用する設備にするには予算もかさむため、実現できるかどうか危ぶむ声も聞かれる。今まで私はあまり市政に関心がなかったが、次年度の予算が急に気になり始めた。

競りを見に行く

 7月中旬、石垣空港近くにある八重山家畜市場を訪れた。牛の競りを見るためだ。石垣では月に2日間、牛の競りが行われており、誰でも見学することができる。
 会場には独特の熱気があふれている。正面の電光掲示板には、牛の入場番号や体重、「牡」、「牝」、「去」(去勢の略)、競り値などが浮かび上がっている。牛の生年月日も映し出されるので、自分と同じ9月生まれの牛には、ついしげしげと見入ってしまう。しかし、何よりも驚いたのは、電光掲示板の下の部分に、「母」「父」「母の父」「母の祖父」の名前がずらずらと流れることであった。

競りの会場には独特の熱気が漂う
競りの会場には独特の熱気が漂う

「安福」「紋次郎」「平茂勝」「安平」「糸秀」――うーん、どこか懐かしいのはなぜだろう……と考えていて思い出した。かつて私が新聞社で科学環境部という部署に所属していたころ、クローン牛の取材をしたことがあった。体細胞クローンの羊「ドリー」が生まれ、さまざまなクローン動物が誕生したのだが、その周辺取材の1つとして、肉用牛の育種の問題も調べる機会があったのだ。
 肉用牛の世界は、早期に受精卵クローン技術が確立していた。それは、肉質のよさがほとんど遺伝によるところが大きいためである。競りには3代前までの情報しか出ないが、名牛と呼ばれる種牛になると5代前まで明らかだ。「懐かしい」と思った牛の名前は、いずれも優秀な血統の牛だったのである。
 そういう牛の精液は、全国から引っ張りだこになるし、地域ごとに門外不出の名牛もある。例えば、宮崎県内では3000円で手に入る「安平」の精液が、正規でないルートで石垣島に来た場合は8万円になっているという話も聞いた。飛騨牛の父といわれる「安福」などは、全国の黒毛和牛の3割がその血を引いているというから、何だか恐ろしい。「安福」は2009年に凍結細胞からクローンが生まれたことでも知られるが、それはともかく、ここまで名牛志向が強くなると、近親交配をいかに避けるかということも繁殖農家の課題となる。
 和牛の近親交配を避けるフリーウェア「コーハイ君」は、牛の名前を入力すると、「危険な交配」「注意すべき交配」「安全な交配」が表示されるという優れものだ。これは岐阜県下呂市在住の獣医師、中島敏明さんが2007年に考案した近親係数早見表で、年々バージョンアップされた結果、今では優れた血統とされる1500頭のデータが収められている。
 競りの会場では、次々に牛の番号や履歴が読み上げられてゆく。おとなしい牛もいるが、中には声を上げて後ずさりするのもいて、ちょっと胸が痛む。落札された牛は、赤いチョークで背中に値段を書かれ、会場から去ってゆく。
 写真を撮っていると、長靴を履いたおじさんが「どこから来たの?」と話しかけてきた。繁殖農家の人のようだ。電光掲示板を見ながら「おとなの牛は安いですねえ、あんな値段だと気の毒になりますけど」と言うと、「年をとったら肉質が落ちるさー。人間だって、年寄りの時給は若者よりも安いさー」とからから笑う。おじさんから「結婚してるの?」と訊ねられたので、「いやいや。もう経産牛ですよ!」と言うと、大笑いされてしまった。
 競りが終わって外に出ると、牛たちが行儀よく牛舎につながれていた。家畜市場の入り口には「オウシマダニ撲滅の記念碑」が建っている。石垣の歴史に少し近づいた気がした。

牛と自然と人間のための畜産へ

 日本の畜産農家は、昔から霜降り肉にこだわっていたわけではない。牛肉の需要が高まった高度成長期ぐらいから、脂肪分が多く軟らかい肉が好まれる傾向が出ていたが、赤身のおいしさを好む消費者も多かった。ところが、1986年に始まったウルグアイ・ラウンドによって1991年に牛肉・オレンジの輸入が自由化されたため、農家はやむなく輸入牛肉との差別化を図って、日本ならではの霜降り肉を目指すようになったのだ。そして、そのあおりを受け、品種の偏りにも拍車がかかった。
 日本各地には、さまざまな牛がいる。いま純粋な在来種といわれるのは、鹿児島県の口之島牛、山口県の見島牛の2種のみだが、明治のころヨーロッパ産の品種と交配させた固有の牛が各地で飼育されてきた。ひと口に「和牛」と言っても、「黒毛和種」のほか、肥後(熊本)の赤牛や土佐和牛などの「褐毛(あかげ)和種」、青森の七戸短角牛やいわて短角牛などの「日本短角種」、山口の「無角和種」の4種が含まれる。
 ところが、今や黒毛和種が主流となり、肉用牛のほぼ9割を占める状況となってしまった。なぜなら、あとの3種は黒毛和種に比べると脂肪交雑が低い、つまり霜降り肉になりにくい性質があるからだ。各地では「赤身の肉のヘルシーさ、おいしさ」をうたい、固有種の再評価に取り組んでいるが、なかなか成果は上がっていない。山口県で飼われている無角和種は、2010年現在で196頭にまで減ってしまった。
「外国の牛に対抗しようとブランド化を進めたのは、繁殖農家、肥育農家両方にメリットがあった。けれども、それは牛の側からすれば人間のエゴですよね。輸入自由化で、品種の崩壊、行き過ぎた肉質重視の育種選抜が起こってしまった」と話すのは、石垣島で仔牛を育てている小川恭男さんだ。
 千葉出身の小川さんは岩手大学農学部で畜産を学び、卒業後は農林水産省に入省。畜産草地試験場、国際農林水産業研究センター、農業環境技術研究所などに勤め、2006年春、53歳で退職して石垣島へ移り住んだ。
「牛と自然と人間が、無理をしないでやれる畜産」を目指し、日本でどこが一番よいか考えた末、石垣島を選んだという。その最も大きなポイントが、1年中牧草が供給できる環境だった。牛を周年放牧すれば、牧草を刈り取ったり集めたりする機械を使わずに済む。現在、2ヘクタールの土地に7~8頭という規模で牛を育てている。小川さんの牛たちはのびのびと楽しく暮らしているように見える。「牛を健康に育てるには、いかに草を食べさせるか、ということ」と話す。

のびのび育つ小川さんの牛
のびのび育つ小川さんの牛

 しかし、生後12か月まで青い草を食べさせていると、草に含まれるビタミンAのせいで肉の色が濃くなり、体脂肪が黄色みを帯びることが悩み、と小川さんは言う。その2つは牛の健康度を示す指標であるにもかかわらず、牛肉の格付け判定では、肉は明るい赤色であるほど、脂肪は白いほど評価が高くなる。草をたっぷり食べさせると、結果的に肉質の評価が下がってしまうのだ。テレビのグルメ番組で脂肪分の多い牛肉を食べたタレントが決まり文句のように「やわらかーい!」「あまーい!」を連発する場面にはうんざりしていたが、「脂肪の白い肉の方がおいしそうに見える」という消費者の無知が、こんな「評価基準」を成り立たせているのか、と考えさせられた。
 肉質の格付けは、ロース芯の面積、バラの厚さ、皮下脂肪の厚さなどの「歩留等級」と、脂肪交雑、肉や脂肪の光沢などの「肉質等級」の両方の評価で決まり、最上級は「A5」とされている。小川さんは「すべての畜産農家が『A5』を目指さなくてもいい。何か別の形で差別化はあり得るのではないか」と話す。
 今回の取材で初めて知って驚いたのは、肥育される牛はほとんど放牧されないということだ。肥育牛は牛舎でひたすらエサを与えられ、太れるだけ太らされる。石垣島ではあちこちで草地を気持ちよさそうに歩いている牛を見かけるので、牛は放牧されるものだとばかり思い込んでいたが、みな肥育牛以外の牛だったのだ。高級な霜降り肉は、ガチョウを太らせて脂肪肝にしたフォアグラと、実質的にあまり変わらないのかもしれない。
 独立行政法人・家畜改良センターでは、肥育牛を放牧する技術開発に取り組んでいる。海外の穀物生産事情に左右されない経営を目指し、国内の草資源を有効活用するのが目的だが、放牧した牛の肉にはイノシン酸やグルタミン酸などの旨み成分やビタミンEが多く含まれることも明らかになっている。肥育牛の放牧は、牛にとっても幸せではないかと思える。小川さんは「これからは動物福祉の観点、そして環境に対する負荷軽減を考えた新しい畜産が求められるのではないか」と話している。

島内の焼き肉屋で味わう絶品、マルシン

 私が毎日、石垣牛のことを調べていると、相棒が哀れに思ったのか珍しく「今日は外食しようよ。焼き肉なんかどう?」と誘ってくれた。「焼き肉」には正直あまり惹かれなかったのだが、「外食」は有り難い。料理は嫌いではないが、あまりレパートリーの多い方ではないし、いただきもののパパイヤを使ったサラダと炒め物がずっと続いていた。市街地までは車で30分と遠いが、気分転換も兼ねて出かけることにした。
 初めて入った焼き肉店「焼肉金城」は、落ち着いた雰囲気でなかなかよい。メニューを眺めて「お刺身、何にする?」と言う私に、相棒は「焼き肉店に来たら焼き肉でしょう! それに石垣牛の取材をしてるのに、石垣牛を食べたことがないってのはいかがなものか!」と喝を入れた。そういうわけで、いつものように内臓関係には走らず、「本日のおすすめ」である、マルシンと呼ばれるモモ肉の一部、そして上ロースを注文した。
 運ばれてきた肉は、つやつやとした赤みが美しい。私にとっては、脂肪分の多いロースよりもマルシンの方が断然おいしかった。適度な噛みごたえがあり、肉そのものの味がしっかりしている。「うーん、牛肉って、こんなにおいしかったっけ……」とうっとりしてしまった。
 その翌々日、石垣島の東部にある「ゆいまーる牧場」を訪ねた。たまたまウェブで見つけた「女性ばかりの牧場」というところに興味を抱いたのだ。迎えてくれた金城早苗さんはまだ24歳。4人姉妹の4女である。父、利憲さんは長年レストランや精肉店で食肉に関わってきたが、自分で牛を育てておいしい肉を作りたいという思いから、1995年に牧場を始めた。4人の娘たちのうち早苗さんら3人が牧場の仕事を手伝っている。
「ゆいまーる」は、相互扶助を意味する沖縄の言葉だ。この牧場では、繁殖から肥育だけでなく、食肉解体、精肉、卸や販売までを行っている。早苗さんは「通常、肥育された牛は生後24か月以上になると出荷されますが、うちの牧場では最低でも35か月、大体40か月以上にならないと出荷しません。それくらいに育った牛は肉に旨みが出るんです」と胸を張る。

牛にエサを与える金城早苗さん
牛にエサを与える金城早苗さん

 牛を長く育てれば育てるほど飼料代はかさむし、その間は収入が得られない。当然、繁殖農家も肥育農家もできるだけ短いサイクルで牛を育てようとする。また、JAおきなわの「石垣牛」の条件には、出荷期間は「去勢牛で24~35か月」「雌で24~40か月」と月齢が決められている。ゆいまーる牧場は、JAおきなわのお墨付きをもらわず、肉のおいしさにとことんこだわった一貫経営をしているのだ。
 早苗さんは普通高校を卒業した後、大阪の福祉施設に勤務していた。時々、島に戻って給餌などを手伝っていた程度だったが、だんだん牛を飼う仕事に魅力を感じるようになり、3年前から牧場で働いている。「最初は、ハエやアブなどの虫がイヤだったんですが、今は気にならなくなりました」と笑う。
 まだ仔牛の出産から競りまでしか経験していないので、自分の肥育した牛が「おいしいお肉だね」と言ってもらえるのが夢だという。その言葉を聞いて私は、「ペットと家畜とは違うんだなあ。こんなに若くてかわいいけれど、彼女は生産者として、人が動物を食べるということをきっちりとらえているのだ」と感じ入った。「牛とふれあう畜産の仕事には、作る楽しさというか、生産の喜びがあります」と早苗さんは話す。
 別れ際に「うちの牧場から親戚のやっている焼肉金城にも卸しているんですよ」と言われて、びっくりした。あのおいしい肉は、この牧場で育てられた牛だったのか――。

島の畜産を六次産業へ

「やっぱり第六次産業までもっていきたいよなあ」。小波本英良さんは、ため息をついた。小波本さんは石垣出身で、父の代から畜産を営んでいる。地元の八重山農林高校では林業科に進んだが、卒業時に父から説得されて牧場を営むようになった。現在、肥育農家として60頭を飼育している。
「第六次産業」というのは、農業や漁業など第一次産業に従事する人が、生産だけでなく食品加工、流通販売まで手がける経営形態を指す。まさに「ゆいまーる牧場」のような一貫経営である。加工や流通に関わる第二次、第三次産業に従事する人が得ていたマージンを、生産者が受け取ることになり、第一次産業が活性化される手立てとして注目されている。
 一時期、農産物に付加価値を付ける「一・五次産業」がもてはやされたこともあったが、第六次産業は加工、流通を含めた複合経営の形である。「第六次」というのは、「第一次」の1、「第二次」の2、「第三次」の3を足すと6になるという、ちょっと遊び心のあるネーミングだ。
 この魅力的な形態を推し進めようと2011年3月、通称「6次産業化法」(地域資源を活用した農林漁業者等による新事業の創出等及び地域の農林水産物の利用促進に関する法律)が施行された。農林水産省はこの法律をもとに、金融支援や拡販支援、農地転用手続きの簡素化などの特例措置を行っており、農業法人などが加工・流通・販売するための設備や施設をつくる負担も、政府が2分の1を補助する。やる気のある農家にとっては、アイディアを出せばいろいろなことができる時代になったのだ。
 ところが、石垣の畜産農家の表情は明るくない。せっかく国が補助事業をいろいろと打ち出しているのに、石垣市や沖縄県、JAおきなわの動きが鈍いというのだ。
 石垣市の農業粗生産額92億7000万円のうち、最も多いのは肉用牛の42億4000万円で、畜産全体の73%、農業全体から見ても45%を占めている(2007年度)。肉用牛は、文句なしに第一次産業のトップなのだが、その割には市の畜産課の人員は5人と少ない。同じ農林水産部の中の農政経済課の3分の1でしかなく、どう考えても県や国との交渉まで手が回らないことが予想される。一方、肉用牛の飼育が沖縄本島よりも石垣島を中心とする八重山地域で盛んに行われているため、県は石垣の畜産に対して熱心さが今ひとつ、という面もあるらしい。
 小波本さんには小学5年生の息子がいるが、「本人がどうしてもやりたいと言わない限り、後は継がせたくない。周りは『三代目に継がせないと』と言うが、自分の将来だって見えない状況なんですから」という。

小波本英良さんは父親の代から畜産に携わる
小波本英良さんは父親の代から畜産に携わる

 放射性セシウムに汚染された牛肉のニュースは、同じ畜産農家として他人事ではないと感じている。「今回のことに限らず、行政にはいろいろ振りまわされてきた。だからこそ、肥育した牛が消費者の口に入るまで自分でやりたいという思いはあります。生産者は皆そうでしょう。でも、個人では資力もないし、国の公募している補助事業に応募する時間的余裕もない」と苦笑する。
 私も石垣牛の取材で農家を訪れる度に、被災地のことを考えていた。賢そうな目をした牛たちを見ていると、飼っている牛を置き去りにしなければならなかった避難指示区域の農家や、汚染わらの問題で出荷停止となった農家の悲嘆が思われて、胸が痛くなった。被災地から遠い石垣島でも、決して他人事ではないという小波本さんの言葉には深くうなずく思いだった。
 沖縄が本土復帰して、2012年でようやく40年となる。それまで、石垣島はもちろん沖縄県内で流通していたのは、米国産の脂肪の少ない牛肉だけだった。つまり、沖縄の黒毛和種の肥育技術はまだ40年たっていないと言える。ある畜産業者は「松阪、神戸では明治のころから牛を飼ってきた100年以上の歴史と伝統があるんです。鹿児島や宮崎だって同じ。石垣牛で内地に勝とうとするのは大事だが、対等と思うのは間違い。行政も含め、島の畜産はこれからです」と話した。

石垣島で最も多く石垣牛を扱っている「担たん亭」の看板
石垣島で最も多く石垣牛を扱っている「担たん亭」の看板

 さまざまな問題を抱えつつ、「石垣牛」というブランドは確実に定着し始めている。石垣市では2011年11月、石垣牛のPRも兼ねて「石垣牛大バーベキュー大会」を開催し、串焼きの串の長さでギネスに挑戦する予定だ。PR効果や予算面の懸念から開催を批判する声もあるが、「石垣牛」が注目されるチャンスになるのは確かだろう。観光を目玉とする石垣島の魅力を、さらに増すような形で農畜産業が発展していけばよいと願うばかりだ。

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PROFILE

松村 由利子
(まつむら・ゆりこ)

歌人、ライター。
1960年生まれ。2006年春まで毎日新聞記者。『与謝野晶子』(中央公論新社)で平塚らいてう賞、『31文字のなかの科学』(NTT出版)で科学ジャーナリスト賞を受賞。2011年、『大女伝説』で葛原妙子賞を受賞。

『与謝野晶子』
(中央公論新社)

『31文字のなかの科学』
(NTT出版)

『歌集 大女伝説』
(短歌研究社)

 
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