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Series コラム
石垣島に魅せられて ~移住者の南島ルポ 松村 由利子
11/03/31

第3回 歌の島、文学の島

沖縄本島から南西に400キロ。サンゴ礁を覆うミントブルーの海、ジャングルやマングローブの濃い緑と一面のサトウキビ畑。ある人はただただ自然に魅せられ、またある人は島ならではの食や文化に入れ込みこの島で暮らす。都会の生活から避難した若者もいれば、島興しに燃える島人(しまんちゅ)の逞しい姿もある。昨年5月、都会からこの島に移り住んだ、歌人でありライターの松村由利子が、島に魅せられた人々を通して、その素顔と魅力を探る。

近くて遠い、石垣島と「沖縄」

 沖縄県は広い。面積的には全国で44位だが、南北に400km、東西に1000kmという広大な範囲に多数の島が点在しており、島ごとに自然や文化が異なる。

地図

 石垣島へ何度か旅をするうち、島の人たちが「沖縄では~~」とか「この間、沖縄に行ってきた」などと話すのが不思議に思えた。「ここは、沖縄じゃないの?」……少しずつ分かってきたのは、石垣島と沖縄は距離的にも気分的にも大きく隔たっているということだった。もちろん、行政区域としては沖縄県内なのだが、沖縄本島よりも南、つまり本島の「先」にある地域は「先島諸島」と呼ばれている。その中でも、「宮古諸島」と「八重山諸島」に分かれていて、石垣島は、西表島や小浜島、波照間島など32島から成る「八重山諸島」の中心なのであった。
そう言えば、石垣市の地域紙は「八重山毎日新聞」であり、街のなかを見回せば「八重山観光」「八重山クリニック」「八重山タイヤ」「やえやま幼稚園」など、「八重山」のオンパレードである。地元タウン誌の月刊「やいま」も、「やえやま」がなまった形だ。
というわけで、知れば知るほど「八重山」は深い。歴史的に見ると、八重山は13世紀末から15世紀末にかけて、独立した小国家のような存在だったという。しかし1500年、周辺の勢力争いを利用する形で琉球王府が八重山に派兵したため、その支配下に置かれるようになる。さらに、17世紀初めには薩摩藩が琉球に攻め入り、二重の支配を受けるようになった。悪名高い「人頭税」は、健康状態や能力にかかわらず、一定の年齢に達した人すべてから同額取り立てるという苛酷なもので、この時代、宮古と八重山の人たちだけに課せられた。1879(明治12)年の琉球処分(廃藩置県)以降も課税は続き、人頭税が廃止されたのは1903年のことだった。こうした歴史を考えると、石垣島と「沖縄」との間に距離があるのは当然かもしれない。

抒情的な歌の流れる古謡の地

 八重山は「詩の国、歌の島」と言われる。季節ごとの多種多様な祭りにおいて、それぞれの歌が伝承され、今も歌い継がれているからだ。歌のみの古謡に、中国から伝来した三線(さんしん)の伴奏が加わり、さらに様式美が洗練された節歌になったという。伝統的な歌謡は古謡だけでも800曲を超え、節歌は150曲に及ぶ。旋律の美しさは言うまでもなく、その詩句は他の地域の歌と比べて自然に対する観察力が優れ、情感が豊かで格調高いとされるため「歌の島」と称賛されるのだという。古謡の節に共通語の歌詞をつけた「安里屋ユンタ」や、祝いの席で歌われることの多い「鷲の鳥節」など、今も愛唱されている有名な歌は多い。
 八重山の文化について詳しい石垣博孝さんによると、古謡は、神事や労働歌などさまざまな歌を含む「ユンタ」、祭祀や儀礼のための「アヨウ」、一人狂言的な語りの「ユングドゥ」に大別されるという。ユンタのなかには、「ジラバ」と呼ばれる共同作業のときに歌われるものや、即興で歌われる抒情歌「トゥバラーマ」も含まれる。
 八重山の古謡は、抒情的であることが特徴だ。荘重で格調高い詩がある一方で、カニなど小動物を歌ったユーモラスなものもある。琉球王府が税収を増やそうとした政策によって島の人々が強制移住させられた歴史を背景とする、引き裂かれた恋人たちの悲歌や、役人に対する批判を動物に託して歌ったものなど、非常に多彩だ。それに対し、宮古島は石垣島から約130kmしか離れていないのに、叙事的で長編の歌謡が多いという特徴をもつ。どれほど長いかというと、例えば「祖神(うやがむ)ニーリ」は演唱すると約2時間にもなるものという。

緑豊かな石垣島

 石垣さんは「宮古島は平坦な島で、山も川もない。水不足になりやすく、ゆとりのない厳しい環境だった。それに比べると、八重山は山や川があり、豊かな自然に恵まれていた。そのため歌の内容も自ずと違ってきたのではないか」と見ている。そして、叙事的な宮古の歌に比べると、八重山の歌は短くて歌いやすいため、親しまれて今も歌い継がれてきたという側面がありそうだと指摘する。
 こうした歌の数々は、島の豊かな財産だ。「八重山古典民謡」は1983年、沖縄県無形文化財に指定されている。財団法人沖縄県文化振興会では、2006年度から沖縄古謡保存記録事業をスタートさせており、「八重山は県下一の古謡の地」ということで、最初に採取されたのが八重山地域の古謡だった。
 石垣島では毎年、旧暦の8月13日、十三夜にトゥバラーマ大会が開かれる。これは、「月ぬ美(かい)しゃ」という最も有名なトゥバラーマの歌詞にちなんでいる。

 月ぬ美しゃ 十日三日月
(月が美しいのは、十三夜の月)
 女童(みやらび)美しゃ 十七ぐる
(娘さんが美しいのは十七歳のころよ)
 イーラーンゾシーヌー カヌシャーマヨー


 大会は雨天でなければ戸外で開かれ、集まった人たちは十三夜の月をめでながら、出場者の歌を楽しむという趣向だ。作詞の部、歌唱の部に分かれており、作詞の部の入賞作品は、前年の歌唱の部の入賞者によって当日披露される。
 石垣市教育委員会文化振興課の武松宏明さんによると、トゥバラーマには、労働のときに歌われた「野(ぬー)トゥバラーマ」、帰り道に歌われることの多い「道トゥバラーマ」、歌詞が愉快な「ばっかいトゥバラーマ」などに分けられる。「家トゥバラーマ」「座敷トゥバラーマ」を分けて考える研究者もいる。最近の大会では、三線の伴奏に合わせるために歌い方が定着してきているが、本来は即興で歌われるものであり、歌い方はそれぞれ違ってよいという。歌詞も、五七五七七のような定型はなく、曲の節回しに合うように歌えばよいという。
 八重山は、別名「八重山合衆国」という。もともと住んでいた人々はもちろんいるが、明治の琉球処分以後、本土からの寄留民、台湾からの農業移民、沖縄本島や宮古からの開拓移民など、さまざまな人が移り住んだからだ。そのため、石垣島の各地の祭りも少しずつ変化してきたという。また、「明和の大津波」と呼ばれる1771(明和8)年の津波によって被害を受けたり、マラリアが流行したり、といった出来事でいったん壊滅状態になった地域があることも関わっている。
 石垣博孝さんは「もともとは地域ごとの祭りがあり、祭りごとの歌があったが、石垣島ではどんどん消えていっています。古謡の保存会や同好会もあるが、どうしてもよく歌われるものは偏ってしまう。いま最も古い形を残しているのは川平地域でしょう。正月や盆を除いた年間の行事が26もあるんです。大事にしたい」と話す。
 私の住む崎枝地区にも、古謡ではないが、明治の初めに作られた「崎枝繁盛節」という歌があり、豊年祭などのときに歌われる。豊かな土地であることを喜び、収穫を祝う内容で、地元の婦人会では春から豊年祭に向けて踊りの稽古が始まったばかりだ。ここに住む者として、歌と踊りをマスターしなければ、と練習に励んでいる。

人気作家のふるさと

石垣市の書店には「池上永一」コーナーも

 石垣島で最も有名で人気のある作家といえば、池上永一さんである。
 池上さんは沖縄本島で生まれたが、3歳のときから中学卒業時まで石垣市で過ごした。早稲田大学在学中に、『バガージマヌパナス(わが島のはなし)』でファンタジーノベル大賞を受賞し、作家デビューを果たした。「わが(バガー)島(ジマ)」とは、彼の育った石垣島のことだ。『風車祭(カジマヤー)』『ぼくのキャノン』『レキオス』『シャングリ・ラ』と、次々に優れた長編小説をヒットさせており、沖縄をテーマにした作品のみならず、SF世界をも自在に描く実力ナンバー1の作家といえる。

『テンペスト』上 若夏の巻
(角川グループパブリッシング)

 市内の書店には「池上永一コーナー」が作られ、著作が並べられている。コーナーの目玉は、琉球王朝末期を舞台に繰り広げられる壮大な物語『テンペスト』である。2008年8月に刊行されて以来、単行本と文庫本合わせて80万部のベストセラーだ。この本を原作にした舞台が2011年2月から3月にかけて東京と大阪で公演されたのに続き、7月からはNHKの「BS時代劇」としても放映される。沖縄県出身の女優、仲間由紀恵がどちらにも主演することも話題となった。旅行会社では、「小説の舞台を旅する沖縄」と銘打った「テンペストツアー」を企画するなど、ブームはとどまるところを知らない。
『テンペスト』の主人公は、19世紀の琉球に生まれた真鶴(まづる)という娘だ。知性と美貌に恵まれた彼女は、父の命を受け、宦官と偽って"琉球の科挙"と呼ばれた「科試」にチャレンジする。見事に難関を突破した真鶴は、「孫寧温」という名で王宮に勤務することになり、王府の財政改革に関わったり、薩摩藩士と恋に落ちたり、と波乱万丈の生涯を送る。
 上質のエンターテインメントとして楽しめるのはもちろんだが、この小説の面白みは、琉球という小国が、大国である清や英国、19世紀当時は新興国であった米国、そして日本の薩摩藩と対等に渡り合った史実を踏まえて展開されているところにある。琉球の外交政策について問う科試の受験場面で、寧温のライバルは「清国との外交・貿易は我が琉球王国の存立を左右する一大事である。その存続なしに琉球の将来はありえない」と回答したが、寧温は「清国はもう琉球の後ろ盾にならない」「地政学的優位を用い琉球を大国間の緩衝地帯にすればきっと生き延びられるはずだ」と回答する。琉球王朝は武器をもたず、冊封使という、いわば外交使節団に対して洗練された歌舞音曲、料理などでもてなした。小さいながらも地政学的な外交に長け、広い交易範囲を誇った琉球の姿は、今後の日本外交の在り方を示しているようにも感じられて、わくわくさせられる場面だ。
『テンペスト』の舞台は琉球王国の政治の中心部なので、主な場面は首里だが、思わぬことから寧温が罪人として流刑される先として、八重山、つまり石垣島も登場する。寧温は初めて訪れた地を眺め、「南海の孤島とばかり思っていた八重山は流刑地とは思えない自立した風土だ」と驚きを感じる。
「そもそも島嶼国家は身体感覚を共にするのが難しい。(中略)その意味でいうと沖縄島と八重山は惑星同士の距離ほど離れている。地球と火星は同じ惑星だが相互作用を及ぼすほど密接ではない。しかも八重山には竹富島、西表島、黒島、小浜島、新城島、鳩間島、由布島、波照間島、与那国島という衛星を持っている。この衛星連合が八重山諸島というひとつの文明圏を形成していた」(『テンペスト』より)――。幼年期から少年時代を石垣島で過ごした池上さんならではの「石垣島」考が展開されていて、読み応えがある。

物語を彩る島の歌

池上永一さん(東京都千代田区の角川書店で)

 2010年8月に刊行された『トロイメライ』は、『テンペスト』と対をなすような作品だ。『テンペスト』の主な登場人物は王宮の高官や女官、王族だが、『トロイメライ』では、筑佐事(ちくさじ)という今でいう警察官のような下級官吏の武太(むた)を中心に、ジュリと呼ばれた遊女や、家が貧しくて奉公に出された幼い子どもたち、身よりのないオバァといった人々が生き生きと描かれる。
 インタビューで池上さんは「琉球王国の政変を描いた『テンペスト』では、物語のうねりを出すため、敢えて市井の民の部分を削った。だから、あの作品には食事のシーンがほとんどないでしょう?」と話した。対照的に、『トロイメライ』には、八重山特産の香辛料ピパーチを使ったジーマミー(ピーナッツ)豆腐や、丹念にアクを抜いたアダンの芽の料理、ジューシー(炊き込みごはん)といった郷土料理が、レシピも含めて、匂いや湯気まで伝わってくるように描かれ、悲喜こもごもの庶民の暮らしをリアルに感じさせる。
『トロイメライ』は、6つの短編を連ねた構成となっている。壮大な長編『テンペスト』と表裏一体の関係にあることを感じさせるのは、章ごとに「佐砂節」「干瀬節」「天川節」「暁節」など、庶民に愛されてきた歌が登場することだ。主人公・武太の奏でる三線の音色が、それぞれの歌と章をつないでいるような形になっている。それに対して、『テンペスト』では、教養の高い高官たちが折々に自らの思いを琉歌の形で表現する。琉歌は「八・八・八・六」という、短歌に似た定型詩である。2つの作品を合わせて読むことで、沖縄の豊かな文化をたっぷりと味わうことができる。
 こうした趣向は、池上さんのこれまでの作品にも見ることができる。デビュー作の『バガージマヌパナス』には、「川原山節」や「デンサ節」、「安里屋ユンタ」、そしてトゥバラーマが出てきて、躍動感に満ちたストーリーを飾っている。大作『風車祭(カジマヤー)』では、若者の純情を題材にした石垣市登野城の「アファリ子(ふぁ)ジラバ」や、豊年祭などの感謝儀礼のときに必ず歌われる「神酒(みしゃぐ)囃子(ぱーし)」のアヨウ、強制移住によって別々の島に引き裂かれた男女の悲しみを歌った「チィンダラ節」といった古謡が、物語に彩りと陰翳を与えている。
 魅力的な筆致で沖縄を描き続けている池上さんだが、沖縄を「私物化」することや、自身の作品が「沖縄文学」と括られることに対する抵抗感があるという。バイタリティーあふれる登場人物たちの台詞は、決して作家の思いを代弁するものではない。池上さんは、「ぼくはフラットにしているつもりでも、何かメッセージがあるのか、と読まれてしまう恐れがある」「とかく沖縄は誤解されやすい土地。特に政治的メッセージ性を作中に反映させないように気をつけている」と語った。その言葉からは、作家としての深い思慮が伝わってきた。『風車祭』の「あとがき」で池上さんは作品世界について、「故郷の石垣島のようでいて、すこし違う世界」「それはいつでも私の心の中にある永遠の島である」と書いている。池上ワールドを味わう際に、忘れたくない言葉だと思う。
 2011年3月に刊行された最新刊『統ばる島』は、八重山の8つの島々の物語だ。それぞれの島の歌や物語が繰り広げられ、最終章は「石垣島」となっている。

絶望の中から言葉を紡ぐ

 八重山の言葉は、やわらかい。沖縄本島の言葉とは、かなり響きが違う。例えば、「いらっしゃいませ」という意味の「めんそーれ」は沖縄方言としてかなり知られているが、石垣島では「おーりとーり」という。石垣市の繁華街の入り口に「おーりとーり」と書かれた看板を見た観光客が、その後タクシーに乗った際、「おーり通りまで行ってください」と告げたという笑い話がある。同じ八重山でも、黒島では「わーりたぼーり」、鳩間島では「おーりとーろーり」と、少しずつ違うのが面白い。これが宮古島へ行くと、「んみゃーち」となる。

八重洋一郎さん
(石垣島の自宅で)

 石垣市出身の詩人、八重洋一郎さんは、そのやわらかさについて「八重山には、険しくない山がいくつかありますね。あのなだらかさだと思う」と話す。幼いころ耳にした父方の祖母の発声のやわらかさが忘れられないという。「『やーらーやーらー』とか、『やふぁーやふぁー』という感じなんですね」
 八重さんは、1942年に石垣市に生まれた。地元の高校を卒業し、東京都立大学に進学した。ちょうど、60年安保が終わり、学生運動は下火になっていたころだったが、同級生の中には政治を熱く語る者も少なくなかった。「本土の沖縄化を許すな」。当時スローガンの一つとして掲げられていたフレーズを聞き、八重さんの心は揺れた。「それじゃ、沖縄はどうなるんだ」
 沖縄の置かれた政治的な位置や現状についてほとんど理解されていないことに、胸が塞がれるようだった。同級生たちの議論は、児戯に等しいものに思えた。そして、政治的なリアクションをしても、歴史という大きなうねりの中では1つの民族さえ容易に叩きつぶされてしまうことを感じずにはいられなかった。理解されない苦しみと絶望の中で、八重さんは詩を書き始めたのである。
 1960年代は、現代詩の盛んな時代だった。谷川俊太郎、川崎洋、大岡信、吉増剛造……しかし、八重さんの心をとらえる作品はなかった。「自分が生きているという事実にこだわり、表現すること。自分の思いをきちんと表現できる詩論をつくり、手法を確立すること」。そこにしか、拠りどころはなかった。
 万葉集や古今和歌集など和歌の世界にも親しんだ八重さんだが、短歌を作ろうとは思わなかったという。「詩は、まとまらないもの。まとまらなさに耐えていかなければならない。へんてこなものが出来上がるけれど、そのぶざまさに耐える、というのが詩の一番いいところじゃないかと思う」。そのぶざまさは、人間の生きているぶざまさ、そのものである。
 大学卒業後、八重さんは東京で数学塾を経営する傍ら、詩を書き続けた。1972年に初めての詩集『素描』を出版し、2冊目の詩集『孛彗』(はいすい)で山之口獏賞を受賞。3冊目の『青雲母』を出した後、1998年に故郷の石垣島へ戻る。
「時々島に帰るたびに、どこからか『おまえ、まだ帰らんのか』というヘンな声が聞こえるんですよね」と笑う。両親が亡くなって数年がたち、「田舎に帰って、自分の核を確かめたい」という思いがこみ上げてきたときに帰郷を決意した。56歳のときだった。

八重山の言葉「かなさ」を胸に

 帰郷した3年後の2001年に刊行した『夕方村』で、小野十三郎賞、沖縄タイムス芸術選奨大賞を受賞した。「あの詩集に収めた作品の、半分は東京で書いたものなんです」と話す。

  人を植えると
  カサカサとさとうきびが生えてきます
  生きたままということはめったにありませんが それでも
  突然つややかな芽を出すことがあるのです
  非常な速さで育ちますが ある日
  断ち切られたように成長がとまります
  いつまでも節と節とのあいだにもっと伸びたそうな
  勢い をのこして 
              
(『夕方村』所収 「密語(ささやき)」より)

  さあ さあ
  人を嚙みに行きましょう

  祖母たちはお葬式にでかける際には
  こんな言葉でさそいあった

  帰りは笑いながら
  あの人は年をとっていて
  固くてとても食べられなかったねえ
  冗談を言いつつ
  いそいで頭から塩をまいた

(『しらはえ』所収 「嘆き村」より)

八重洋一郎さんの詩集

 八重さんの詩には、奇妙な明るさがある。フランス文学者で詩人の山田兼士が「明るい妖気」と評したように、死が主題であっても、そこには不思議に祝祭的な雰囲気が漂うのだ。光と影がくっきりと描かれた輪郭の濃い風景は、南島によって育まれたものかもしれない。
 幼年時代、親戚のおじさんに連れられ、馬の引く車に乗ったことが何度かあったという。夕陽の中、おじさんが気持ちよさそうに、トゥバラーマを歌うと、道のわきの田畑から返しの歌が聞こえてきた。忘れられない光景だ。家の近くでは、日が落ちるとどこからともなく歌や三線のしらべが聞こえた。
 子どものころは、島の自然の美しさなど気に留めなかった。帰郷して間もないころ、何ということもない秋空を見上げ、つくづくと「本当に空がきれいだなぁ」と感じ入ったことがある。「自分の中のある時間を経て、今になって初めて気づく美しさでした」。高校生のころ、景勝地として知られる川平湾で友達と泳いだことがあったことも思い出す。「ダイヤモンドの中で泳いでいるみたいだった。本当にきれいでしたが、あのときは分からなかった」とおかしそうに話す。
『しらはえ』の中にある「化石」という作品には、海のさまざまな色合いが美しく描かれており、石垣島の海のさまざまな青を思わせる。

    エメラルドグリーン 急傾斜していく海底をどこまでも
               知らんふりして
              しずかにしずかにすみわたる けれど島の
               すぐ近くです
    コバルトブルー   わたしたちの最も親しい海ですが
               まだわたしたちが
              存在していない頃の純潔な海です
               どんな濃いサングラスをかけても
               まぶしすぎる


「子どものころの島は、本当に静かだった。お葬式のときに鳴らす鐘が、街じゅうに響いたといいます。当時のお年寄りは、ピー(暗礁)に当たる風の音で天気の変化が分かった。先日、台風がきたときにピーが鳴るのを聞いてなつかしかったですよ」。環礁に当たる風は、飛行機が飛ぶときのような、くぐもった音だという。2010年6月に出版された『白い声』の冒頭を飾るのは、「暗礁」というタイトルの作品である。

 島は蛇にかこまれている
 脱皮した
 脱肉した
 脱魂した
 白骨だけとなって幾重にも幾重にもはしりくねっている
 しら波

 問いは消え
 疑いは消え
 答えさえ消えはてて けれどまた
 始まりをくりかえす 暗い
 暗い
 潮鳴り

(『白い声』所収 「暗礁(リーフ)」)

島を取り囲むリーフで時折白い波が立つ

 環礁に囲まれた島の様子を「蛇にかこまれている」と表現した感覚には、ぞくぞくさせられる。最新詩集で表現しようと試みたのは、石垣島の自然環境、歴史、そして、それらの中で生きる者の価値観、神学、宇宙観だという。「蛇のイメージを重ねて、詩集全体を統一しました」と八重さんは話す。
「へびたちはまた/まっすぐに/まっ逆さまにおちていく/光からひきはがされ灼け傷となって/光からひきはがされ灼け傷となって<「流星雨」より>」「暗い昏い冥いいのち/空と海とのまっただ中を/長い長い一匹の/白蛇が/上へ下へ/左へ右へ/ゆっくりゆっくり身をくねらせて/徐かに/徐かに 身を/よじらせて うねりたつ<「律(リズム)」より>」など、「蛇」は現実の島や歴史といった時空を超え、生命の不思議を豊かに表しているようだ。
 詩を書く作業は苦しい。「ネイティー、ネイティー(これでもない、これでもない)」の繰り返しだと八重さんは言う。最初に聞いたとき八重山の言葉かと思ったが、「インドのベーダ哲学の最高峰、シャンカラの口癖だったそうです」と教わった。「詩は、人間が生きている最も根底をつかもうとするもの。詩を書くことは、自分を取り巻く環境、そして内なる自分の環境を同時に更新、変革してゆく作業です。だから時代や歴史を乗り越えるものだと信じています」
 八重さんが最も大切に思う八重山の言葉は、「かなさ」だ。古語の「かなし」と似たニュアンスがある。現代語の「かなしい」には、「悲しい」という意味しかないが、古語の「かなし」には、「おもしろい、興趣をそそる」「あっぱれだ、偉い」「かわいそうだ、気の毒だ」などのほか、「身にしみていとおしい」という意味の「愛し」も含まれていた。
「生きていること自体がかなしい。自分の置かれている状況がどうというのでなく、存在そのものの絶対的な悲しみというものを、これからも表現し続けたい」と八重さんは話す。南島の詩人がこれからどんな言葉を紡ぎだすのか、楽しみでならない。

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PROFILE

松村 由利子
(まつむら・ゆりこ)

歌人、ライター。
1960年生まれ。2006年春まで毎日新聞記者。『与謝野晶子』(中央公論新社)で平塚らいてう賞、『31文字のなかの科学』(NTT出版)で科学ジャーナリスト賞を受賞。2007年、歌集『鳥女』で現代短歌新人賞、2009年、「遠き鯨影」30首で短歌研究賞を受賞。

『与謝野晶子』
(中央公論新社)

『31文字のなかの科学』
(NTT出版)

『鳥女』
(本阿弥書店)

 
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