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Series コラム
石垣島に魅せられて ~移住者の南島ルポ 松村 由利子
11/02/28

第2回 ラー油につづけ、島の特産品

沖縄本島から南西に400キロ。サンゴ礁を覆うミントブルーの海、ジャングルやマングローブの濃い緑と一面のサトウキビ畑。ある人はただただ自然に魅せられ、またある人は島ならではの食や文化に入れ込みこの島で暮らす。都会の生活から避難した若者もいれば、島興しに燃える島人(しまんちゅ)の逞しい姿もある。昨年5月、都会からこの島に移り住んだ、歌人でありライターの松村由利子が、島に魅せられた人々を通して、その素顔と魅力を探る。

まぼろしのラー油を求めて

 2010年5月のとある朝、私は島の西端にある自宅から市街地に向けて車を走らせていた。その数日前、福岡に住む弟から「ペンギン食堂のラー油をぜひ食べてみたいんだけど♪」というメールをもらったのだ。
 辺銀(ペンギン)食堂の「石垣島ラー油」は、おいしいこと、そして、なかなか手に入らないことで有名だ。決して大量生産せず手作りに徹しているのは、雑誌か何かの記事で読んだことがあった。確か、一人1本か2本の限定販売だったのではないか。弟は6歳下だがなかなか頼りになる存在で、これまでの恩義もある。私はインターネットで開店時間を確認し、開店の30分前、つまり8時半に着くように家を出た。
 辺銀食堂は、石垣島のメインストリートの一つ、ゆいロード沿いにある。近くの駐車場に車を停め、私は食堂へ急いだ。店の前の路上に「本日の整理券はもう終わりました」という意味不明の小さな立て看板があったが、気にせず食堂わきの階段を上った。すでに4人が事務所前に並んでいる。二人は島の住人らしい年配の女性、そして、旅行者らしい若いカップルだ。私の後ろにも続々と人が並ぶ。ほっとして持参した文庫本を読みながら、開店を待った。

「石ラー」こと辺銀食堂の
「石垣島ラー油」

 9時ちょっと前に、食堂のスタッフとおぼしき女性が来てドアを開け、待っていた人たちがぞろぞろと事務所へ入った。女性は私たちに「整理券は?」と訊ねた。「え?……」
 私の前に並んでいた4人はいずれも整理券を持っていなかった。私も持っていない。というか、整理券って何だ!?
「8時から整理券を配っているんです。それがあれば、当日中のいつでも買いに来られます。持っていない人は買えません」と女性は説明してくれた。意気消沈して、私と数人は階段を降りた。年配の女性たちは、「そんな整理券のこととか知らないさー」とがっかりしている。私も思わず横から「そうですよねぇ」と相づちを打った。階段を下りたところにあった立て看板の意味がようやく分かった。前日の何かの整理券、と思ったが、これはラー油を手に入れたい人のために今朝配られた整理券のことだったのだ。
 8時から配る整理券をもらいに、後日また早起きして30分かけて車で来なければならないかと思うと、弟のためとはいえ、うんざりする気持ちだった。本土の5月と違って島の5月はもう立派な夏である。暑くなり始めた街を駐車場に向かっていると、道端にしゃがみ込んでいたおじぃが私に声をかけた。「おねえさん、ラー油あるよ」
 おじぃは私に、小さな白いポリ袋に入ったラー油をぶらぶら揺らして見せ、「1500円だよぉ」という。石垣島ラー油は、税込みで800円のはずだ。おじぃはラー油のダフ屋なのか。しかし、往復1時間かけてまた買いに来る面倒とガソリン代を思えば、高くないかもしれない。一瞬迷ったものの私は1500円渡して、おじぃの隣にしゃがみ込んだ。「あの、いつもこういうふうにラー油を売っているんですか?」
 おじぃは悪びれる風もなく、「そうそう」とうなずく。そのとき、自転車のサドルに白いポリ袋をぶら下げた別のおじぃが通りがかり、しゃがんでいるおじぃの手元に、ポリ袋をほとりと落とすように渡した。中身は石垣島ラー油だ。「この人物は一体…」と思いつつ、「ふーん、でも1500円はけっこう高いですよねぇ」とやんわり非難すると、「今日帰らなくちゃいけない旅行者もいるさー。どうしても買いたいという人は2本も3本も買っていくさぁ」とにこにこしている。うむむ、と思っていると、今度はビーチサンダルを履いた二人連れの女性が通りがかりに、また白いポリ袋をおじぃに渡して去ってゆくではないか。密売の現場を目撃したような居心地の悪さを感じている私に、おじぃは「もう1本、要らないか?」と訊く。私は首を横に振って、立ち上がった。
 1500円で買った石垣島ラー油を、緩衝材で大事にくるんで弟に送ると、数日して「おいしいよ!」と電話がかかってきた。謎のおじぃの話をすると大笑いされたが、以前に那覇へ出張したとき石垣島ラー油が2300円で売られているのを見たことがあるという。1500円なら、まだ許容範囲かもしれない。
 それから3ヵ月後、東京から泊まりがけで友人夫婦が遊びに来た。朝7時半のフェリーに乗って竹富島へ行くというので、離島ターミナルまで送っていく途中でゆいロードを通ったところ、長い行列ができている。ざっと見たところ、200人を上回る。「あっ、これが辺銀食堂の整理券を求めて並ぶ行列か!」と気づいた。友人夫婦も「すごいねぇ」と感心して行列を眺めていた。

石垣島ラー油が生まれるまで

辺銀暁峰さん(左)と
愛理さん(右)

 辺銀食堂を営むのは、辺銀暁峰さん、愛理さん夫妻だ。「辺銀(ペンギン)」は本名である。
 中国・陝西省西安市出身の暁峰さんは「崔」という姓だったが、日本人の愛理さんと結婚して帰化する際、二人で話し合って「辺銀」に決めた。外国人が帰化する際、現行法ではもともとの姓が常用漢字か人名用漢字にあれば、そのまま認められるが、「崔」のようにどちらにも含まれない場合は、全く別の姓を作ることになる。ブラジル生まれのサッカー選手、田中マルクス闘莉王(トゥーリオ)さんのような場合、もともとの姓の発音に近い漢字を自分で選んで付けたわけだが、全く違う名前を付けても構わないのだ。暁峰さんと愛理さんは、ペンギンに会いに南極へ旅行したほどペンギンが好きだったので、「いっそのこと、ペンギンという姓にしよう」と話し合って決めたという。
 雑誌編集者だった愛理さんと、スチールカメラマンの暁峰さんは、仕事で出会ったのがきっかけで1993年に結婚した。東京に住んでいたが、都会で暮らすことに違和感を覚えていたころ、愛理さんがサトウキビの繊維を原料にした石垣島産の和紙に魅了されて、島へ移り住んだ。米国留学や各国への旅を経験し、「あまり、『沖縄と本土』とか、『日本と外国』と分けて考える習慣がなかった」と話す。
 東京出身の愛理さんは、子どものころから千葉や鎌倉の海へ行っていたので、海が大好きだったという。そのせいか、幼いころから海の夢をよく見た。「海の上をずーっと歩いていく、という不思議な夢なんです。どこか分からないけれど、月夜の海面で、本当に気持ちよくて。同じ夢を何回も見ていました」。石垣島に住むようになって間もなく、愛理さんは初めて「いざり漁」に誘われた。「いざり漁」は、潮の干満が最も大きくなる大潮の干潮のとき、干上がった砂浜でタコや貝を採るという伝統的な漁法だ。知人に連れられ海へ出かけた愛理さんは、満月に照らされた浜辺を見て全身がふるえた。あちこちの窪みにたまった海水が月光を反射して、まるで海面のようなのだ。タコや貝を探して浜を歩く人たちの姿は、海の上を歩いているように見える。「子どものころから何度も夢で見た光景は、これだったんだ」。島へ移り住んで、一番感激した瞬間だった。
 和紙づくりの夢を抱きつつ愛理さんは郷土料理の店、暁峰さんは別の飲食店で働き、島の生活を楽しんでいた。夫婦ともに料理するのが好きだったので、二人で台所に立つことが多かった。東京にいるときからよく作っていたのは水餃子だった。暁峰さんの育った西安では、各家庭でそれぞれ自家製のラー油を作るのが当たり前で、餃子はもちろん、麺類やパンにもつけて食べていた。実家では、香り高いラー油を味わうため、一食で使い切る量だけ作ることも珍しくなかったという。島に来る前は、千葉の落花生を加えた「千葉ラー油」、伊豆の生わさびを入れた「伊豆ラー油」などを作って楽しんでいた。移住してからは、島トウガラシやピパーチ(島胡椒)、ウコンなど石垣島で採れる素材を活用して作るようになり、時には友人をよんでもてなし、おいしい食事で魅了した。
 2000年春、二人のラー油のおいしさを知る人から勧められ、地元商店街のイベントに自家製ラー油を出店したことが転機となった。辺銀さん夫妻は、ジャムの瓶50本にラー油を詰めて販売したが、たった2本しか売れなかった。イベント後に残ったラー油をいろいろな人にプレゼントしたのだが、その中に沖縄県の物産公社「わしたショップ」の那覇本店の店長がいた。那覇の「わしたショップ」から、「おいしいので、もっと作ってください」という連絡を受け、本格的なラー油作りが始まった。
 2000年夏から那覇で販売し始め、やがて東京・銀座の「わしたショップ」でも売られるようになった。暁峰さんは飲食店の仕事を辞め、ラー油作りに専念した。その年の12月、二人は「辺銀食堂」をオープン、「石垣島ラー油」は雑誌に紹介されて、あっという間に人気商品となった。

島から広がるラー油ブーム、全国へ

 石垣島ラー油(愛称・石ラー)のおいしさは、石垣島の素材にこだわり、材料のよさを最大限に引き出したところにある。島トウガラシ、ウコン、ピパーチ(島コショウ)のほか、ミネラル分の多い石垣産の塩、黒糖など島で採れる材料と、白ゴマや黒豆、甘味や香りの高い数種類の唐辛子を合わせる。山椒は香りのよいものを厳選し、暁峰さんの故郷から取り寄せているという。
 島トウガラシは、ふつうのトウガラシよりも小粒で、まろやかな辛みが特徴だ。ウコンは、鹿児島以南に自生するショウガ科の多年草で、年間通して温暖な石垣島では特に良質のものが採れる。ピパーチは、ピパーズ、ピパーツとも呼ばれる沖縄特産のコショウで、シナモンのような甘い香りが特徴だ。かすかな甘みの後にぴりっとした辛みがくる。黒糖の原料となるサトウキビは、島の重要な農産物の1つだ。年間の生産額はサトウキビが17億4000万円で最も多く、2位のコメの3億6000万円、3位のパイナップル3億2880万円を大きく引き離している(2008年)。
 香りの溶けだす油の温度は、素材ごとに異なる。それぞれの素材に最も適した温度の油でハーブオイルを作り、最後に混ぜ合わせることで複雑な香りが出るという。季節によって島トウガラシの辛みや水分などが変わるため、油の温度や黒糖など他の材料の分量を加減して味を調える。機械まかせにせず、こうした細やかな作業をするため、1回の仕込みには10時間以上かかり、材料集めにかかる期間も加えると1年以上必要となる。大量生産できず、月平均1万本程度が限界という。常に品薄状態となってしまうが、辺銀さんたちはこの方式を変えるつもりはない。
 一方で、整理券を求めて並ぶ行列が通行の邪魔になったり"ラー油のダフ屋"が法外な値段で売ったりする事態を避け、2010年末から従来の整理券方式をやめた。現在は、島に住む人と観光客とに分けた会員制の事前予約システムを導入している。
 石垣島では、辺銀食堂の石ラー人気に続こうと、さまざまなラー油が販売されている。石垣市の公設市場2階にある「石垣市特産品販売センター」では、島内で作られたラー油を20種類ほど揃えて販売している。まだ3、4種類しか置いていなかった数年前には、レジのところで「これ、辺銀食堂の石垣島ラー油じゃありませんけど、お分かりですか。これでいいんですね」と念を押されて、妙な気持ちになったものだ。今では「島のラー油コーナー」が設けられ、味も香りもさまざまなラー油が並んでいる。販売センターでは「島全体では30種類以上になると思います」と話しており、まるで「ラー油の島」になったような盛況ぶりである。辺銀夫妻は「石ラーがきっかけになって、おいしいラー油が増えていくのはいいことだと思う。おいしくないものが『ラー油』だと思われるのだけは困りますが」と話す。

島のラー油は百花繚乱

 ラー油戦争は石垣島の中にとどまらない。2009年5月、ホテルオークラの中華料理店「桃季」が、「食べる辣油(ラー油)」を販売すると、たちまちヒット商品になった。炒め物に使ったり、ご飯にかけたりするとおいしいという提案は、辛いもの好きの心をとらえた。続いて、食品メーカーの「桃屋」は2009年8月、「辛そうで辛くない少し辛いラー油」という商品を発売した。香ばしく揚げたニンニクと玉ネギを加え、そのまま食べることもできるラー油で、生産が追いつかないほどの人気となった。ネット上には、サラダのドレッシングやパスタにラー油を使ったレシピなど、さまざまなアイディアが見られる。こうした現象から、「食べるラー油」は、2010年末に「日経トレンディ」が選んだ「2010年ヒット商品ベスト30」の1位となり、ユーキャン新語・流行語大賞でもトップ10に選ばれた。ラー油を使ったおにぎりやハンバーガー、ポテトチップスまで登場し、今やラー油は何にでも合わせられるものになった。
 農林水産省は2010年11月、日本の「食」や「食材」「食文化」の素晴らしさや魅力を誇り、さまざまな取り組みをしている各界の料理人を顕彰する制度として「料理マスターズ」を創設し、第1回の受賞者として7人を選んだ。辺銀暁峰さんも、その一人となった。「島トウガラシをはじめ石垣島産の食材を使った『石垣島ラー油』を開発、全国の『食べるラー油』ブームの先駆けになった。島内ではごく普通の食材に注目を集め、価値向上に貢献した」というのが授賞理由だった。

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PROFILE

松村 由利子
(まつむら・ゆりこ)

歌人、ライター。
1960年生まれ。2006年春まで毎日新聞記者。『与謝野晶子』(中央公論新社)で平塚らいてう賞、『31文字のなかの科学』(NTT出版)で科学ジャーナリスト賞を受賞。2007年、歌集『鳥女』で現代短歌新人賞、2009年、「遠き鯨影」30首で短歌研究賞を受賞。

『与謝野晶子』
(中央公論新社)

『31文字のなかの科学』
(NTT出版)

『鳥女』
(本阿弥書店)

 
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