風
 
 
 
 
 
 
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Series コラム
明日吹く風は 
NEW 11/07/15

第22回 電力の奢りと失敗

風のように毎日が過ぎてゆく、あしたはどんな風が吹くだろうか。

 大震災から4ヵ月、被災地の復興は遅れがちで、原発事故による放射能の影響については、その範囲も程度も評価はさまざまで、対応について、人々は困惑したままだ。もはや政府はあてにできないという声が聞こえてくる。
 ちょうどこの原稿を書く直前、東京から青森へ向かう新幹線のなかにいた。福島から宮城にかけて、車窓から外を眺めれば、瑞々しい田んぼの緑に夕陽が差し込み、より一層色鮮やかに映っている。
 しかし、この新幹線が通過する福島県内では、放射能という見えない脅威に多くの人が不安を抱いているのも事実だ。さらに避難区域や計画的避難区域では、一見美しい田園風景もよく見れば、捨てられた土地になってしまった。
 大津波による被害は筆舌に尽くせないが、津波災害があったとしても原発が問題を引き起こさなければこうした事態には至らなかった。津波は天災だが原発事故は人災であるという点はもはや疑いのないものになった。安全に対する配慮が不十分だったからであり、その配慮を失わせたのが"慢心"だろう。いうまでもなく東京電力が長年にわたって培ってきた、負の遺産である。
 企業の力が巨大化、独占化し、批判を謙虚に受け止める余裕もなくなってきたところにこうした陥穽があった。ではどうしてそこまでの体質になってしまったのか。さきごろ出版された「東電帝国 その失敗の本質」(志村嘉一郎著、文春新書)は、この点を明快に示している。

 本書もまた、震災をうけての緊急出版。著者は元朝日新聞記者。高度経済成長真っ盛りの1964年に入社し、以下本書のプロフィールによれば「経済部記者として電力、石油、電機、航空、造船、運輸、商社、食品などの業界と財界、通算、運輸、農林、建設各省などを担当」とある。退社後は電力中央研究所研究顧問もつとめていたという。まさに、電力業界を内外から見つめてきた経験を持つ。
 電力会社との関係も単に取材者の域を超えて、内部に入り込んでいるといえる。普通はこういう経歴と経験をもつと、それ相当の利害関係を電力会社と共有していると思われ、実情を知っていてもなかなか言わないし、言えない。
 その点、著者は取材者としては企業と深い関わりをもちながらも微妙な距離を心理的においていたようだ。まったく外部から批判するだけでなく、内部の事情を理解しつつ、多少の妥協も経験しているからこそ、むしろ企業の本質をとらえている。
 政界への工作、マスコミを抱え込み、天下りを受け入れて行政に深く入り込む。当然、ここには多額の金が動く。逆に言えば、これだけの金を使っても余りある利益が原発からはあがるから金を使える。こうして原発の安全性についても"作られていった"ことがわかる。
「原発の安全神話が崩れた」と、事故以来よく言われた。著者は神話ができるメカニズムについて次のように言う。
「『原発安全神話』は、福島第一発電所1号機ができたころから、壮大な仕掛けでつくられてきた。神話の題材を提供する人がいて、神話を創作する人がいる。創作した神話は、語り部によって広めねばならない。しかし、語り部は簡単には動かない。語り部を動かす人が必要になり、資金も用意しなければならない。語り部が語り出せば、みんなが神話を信ずるようになる。読売新聞は早くから『原発賛成』のキャンペーンをしいていたが、原発に批判的だった朝日新聞と毎日新聞もいつの間にか『原発賛成』を言うようになった。新聞だけでなく、テレビ、週刊誌、経済誌、評論家なども東電は原発安全神話に巻き込んでいった。そのからくりはどうだったのか。原発関係のPR費は年間3000億円と言われる。原発一基分の建設費用に相当するが、年間約15兆円の電気料金収入がある電力業界からすれば、わずか2%に過ぎない」
 この神話に守られた原発と政治献金がうまみのある経営のカラクリを生む。著者が言う。
「電気事業経営のカギは電源確保と電気料金値上げ。電気を生産すれば自動的に売れる地域独占の構造で、生産コストが上がれば料金値上げを政府に認めてもらえばよい。その仕掛けが、原発と政治献金だったのだ」
 ただ、東電もかつては社会性を意識した経営者がいたことがあった。それがなぜ、どう変わってしまったのかも本書で明らかにされる。原発の国有化も議論されるなか、国民必読の書といえるだろう。

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