風
 
 
 
 
 
 
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Series コラム
明日吹く風は 
10/08/15

第6回 存在の薄さと危うさ

風のように毎日が過ぎてゆく、あしたはどんな風が吹くだろうか。

 100歳以上のお年寄りが、全国で多数その所在が確認できないという一連のニュースでは、なんとも不思議で複雑な気持ちにさせられた。いろいろなことを考えさせられたのだ。
 思いつくままにいえば、家族という人間関係の不思議さ。高齢社会で長生きすることの問題。行方不明者の多いこと。人情味がなく管理が甘い行政。寂しい最期を迎える人生とは・・・。
 とくに、考えをめぐらしたのは、いなくなっても特に問題にならないで、そのままになっている人の人生とはなんだろうということだ。そして、人によってはその人生の足跡をたどるのが意外と難しいという事実である。
 家によって家族はさまざまである。しかし"ふつうの家"であれば、その親や祖父母について、どこでどうしているかなど、基本的なことはわかっている。

 今回所在がわからないような人の例を見ると、「ずいぶん前に家を出たまま」だといった他人事のような声がいくつかあった。また、一人暮らしの場合では「○年前まではここに住んでいたんですが」という例もあった。身寄りがなかったり、家族がいてもなにかの事情で関係を断っていれば、探されることもなく、気にかけられることもないようだ。結果としてミステリーのように人が簡単に"消えて"しまう。
 一般に、歳をとるにつれて人間関係は量的にも質的にも低下していく。人付き合いがあまりない人であればなおさら、いなくなっても特に気にする人もいなくなる。あるいは、自分の過去と縁を切りたい人もいるだろう。
 話は大きく飛ぶが、これだけ毎日いろいろな事件や事故があれば、それに巻き込まれた人や関係者がかなりの数いる。夫を親しい男性と共謀して殺害したり、子供が無差別殺人を犯したり・・・。その種の事件で残された親族が過去と決別して生きていこうとしてもなんら不思議はない。なんらかの事情というやつで、世間とは一線を画したい人が結構いても不思議ではない気がする。
 まとめてみれば、少子化と地方から都市部への人口移動に伴うさらなる核家族化、そして人間関係の希薄化というように、社会の変化にそのまま身を委ねていれば、人の存在そのものもますます希薄になっていくような気がする。
 今回の所在不明事件は海外でもかなり報道されたが、これに対する各国の人の反応のなかでおもしろかったのが韓国人の言葉だった。「意外でした。日本人はもっと几帳面だと思っていました」というのだ。わたしたち自身のなかにもそういう印象をもった人もいたのではないだろうか。
 行政が近代化されても、それは単にシステムの問題で、生身の人間を見る気持ちがなければ、同じようなことはおきるだろう。こう書いてくると、なんだか寂しい世の中になってしまったようだ。今回のように、人生の終着点がわからないといったケースとまではいかないにしろ、ふつうの人の一生などあっという間に忘れ去られてしまうのかと。

 亡くなってしまい、ときが経てば経つほど、その人がいったいどんな人生を送ってきたのかなどわからない。家系がしっかりしている人や有名人でなければ、一人の人間の人生の記録などすぐに風化してしまうだろう。
 しかし、そう感じると、今度は逆に自分の存在を確認しておきたいという気持ちが起きることも事実だ。歳をとってくると家系図や自分のルーツ探しに興味がわいてきたり、自分史なるものを著したりする話はよく聞く。
 いったい自分はどこから来たのかということが気になるのだ。いまの時期、毎日のように報道される戦争に関するさまざまなニュースのなかに、フィリピンの残留孤児たちが、このほど来日したという話があった。戦前に日本人とフィリピン人との間に生まれて、戦後に日本人の親が帰国してそのままフィリピンに残された彼らにとって日本は母国の一つである。
 いまや高齢に達した彼らは自分のルーツを確認し、日本国籍を取得したいと望んでいる。なかには今回ようやく自分の父親がどういう人なのかを確認できたという人もいた。国境を越えた話であり、まして記録もほとんど残っていないという点で、中国残留孤児の件と同じように、一人の人間のルーツをたどることが難しい。
 一般に、明治時代からの海外移民については、アメリカやブラジル在住の日系人のように、日本のどこから来たかという点では明らかになっているが、それ以上についてはわからないケースも多いようだ。
 フィリピン残留孤児は、日本人の血を引いているため、戦後は反日感情のなかで苦しんだという。アメリカの日系人も戦時中は強制収容所へ送られるなどして、苦難の歴史を経た。自分のなかの日本や日本人とどう向かい合ったらいいかを問うことを余儀なくされて、否定したい、あるいは、否定しなくてはならないこともあった。
 海外に生活の糧を求めざるを得ないほど貧しかった時代、戦時中や敗戦後しばらくは、生活することに必死で、自分がどこから来たかとか何者かなど問うている余裕はなかったかもしれない。しかし、戦後65年。社会保障や雇用がぐらつき、格差が広がったとはいえ、いまや飢餓も戦争もない。近代的で合理化された社会システムのなかで、われわれは毎日を暮らしている。社会生活上、日本人であることでなんら不都合や違和感もないはずだ。
 にもかかわらず、いまの日本社会で、日本人はその存在感が希薄になっているのではないか。ひとり一人の人生をたどろうとしたらしっかりたどることはできるのだろうか。自分の家族の人生をしっかり把握しているだろうか。猛暑のなか、陽炎でも見るように茫漠たる疑問がわいてくる。
(編集部 川井 龍介)

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