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Series Around the World
世界10大気持ちいい 横井 弘海
06/03/31

第15回 ウィーンの舞踏会

世界の観光スポットや娯楽についての情報は、いまやさまざまなかたちで手に入れることができる。しかし、それでもまだまだ知られざる「楽しみ」がある。 場所、季節、食べ物、人間、そして旅の技術・・・。世界約50ヵ国を旅してきた横井弘海氏が「気持ちいい」をキーワードに、女性の視点からとっておきのやすらぎのポイントを紹介する。

「会議は踊る、されど進まず」
 フランス皇帝ナポレオンの退位後、欧州の秩序を決めるために開かれたウィーン会議(1814年)がなかなか進展しない様を言い表した有名な言葉だが、当時は舞踏会が交渉の場に使われたり、また実際に会議で集まった各国の貴族階級は、毎晩のように踊っていたという。あれから約200年。優雅な舞踏会の伝統は、裾野を広げて今もウィーンの冬の文化として定着している。

日本から舞踏会に行く!

真冬のウィーンは凍てつく寒さ

 ウィーンでは、大晦日に王宮(ホフブルグ)で開かれる「皇帝舞踏会」を皮切りに、3月半ばまで300以上とも言われる舞踏会が街のあちらこちらで開かれるという。社交界にデビューする国内外の良家の子女が、オープニングを飾ってワルツを踊る「オーパンバル(オペラ座舞踏会)」。その様子をテレビで見て、「こういう華やかな世界があるんだ」と感心したことがあったけれど、それも300のうちの一つである。いったい誰がそんなに踊るというのだろう。好奇心に後押しされ、ウィーン在住の友人に「舞踏会に行ってみたいのだけれど」と、頼んでみた。

「主人は踊りが好きなので昔何回か行ったけれど、私たちは今はほとんど行かないわ。弘海は踊れるの?」
「学校の体育の時間にワルツを習った程度です」
「こちらでは10代からダンス学校に通っているから、皆、なかなか上手よ。それで、誰と来るの?」
「1人で行こうと思うのですが、見学するのはだめですか?」
「えー、1人で行っても絶対につまらない! 私たちは仕事があるのでつき合えないけれど、誰かパートナーを探しておいてあげようか?」
「ハイ、ぜひお願いします!!」

  彼女の話からわかったのは、冬のウィーンでは本当に舞踏会が盛んに開かれ、そこに行くためには、フルレングス(裾が地面に届く長さ)のドレスとある程度のダンスの素養、そして、踊りのできるパートナーが不可欠らしいということだった。ドレスと最も初歩的なダンスステップはなんとかするとして、重要なのは踊る相手の存在である。舞踏会にはカップルかグループで行くのが普通なので、仮に女性が1人でホールにいたとしても、声をかけられる機会はまずない、と友人は断言する。そもそも、そんなことを連れの男性がしたら、後で血を見ることはあきらかなので誰もしないとか。

菓子製造組合が主催するボンボン舞踏会のポスター

 パートナーが決まったとして、もう一つ問題がある。どの舞踏会に行くかだ。「オーパンバル」のように世界的に有名なものは、チケットを手に入れることすら難しいようだが、クローズドのものは少なく、インターネットで予約できる舞踏会もたくさんある。300も開かれるだけあって、さまざまな団体が王宮、市庁舎、ホテルなどいろいろな会場で、異なる趣向の舞踏会を催している。例えば、経済界、弁護士、医師、煙突掃除夫、パン屋、クリーニング屋、探偵・・・。どんなものなのか想像もつかないが、なんだか楽しそうだ。
「どの舞踏会がいいでしょうか?」
   と、友人に尋ねてみた。
「滞在中、うちの近くのホテルでも舞踏会があるし、王宮で『Ball der Wiener Kaffeesieder(カフェオーナーの舞踏会)』も開かれるわ。その翌日は市庁舎で老人ホーム主催のものもあるけれど、どれにする?」
「様子がわからないのでなんとも言えませんが、老人ホームは・・・」
「あら、そう? こちらの人は老人といっても皆若いし、若い頃から鍛えているから、踊りますよ。市庁舎もいいところだし・・・」
  しかし、私としてはカフェのオーナーたちが主催する舞踏会にひかれた。カフェはウィーンの文化の一つだし、その会場は王宮だ。豪華なイメージにもそそられて、
「できれば、『カフェオーナーの舞踏会』に行ってみたいなぁ」
  と言うと、
「それも人気の舞踏会なので、チケットがまだあるかわからないけれど、頑張ってみるわ」
  という答え。持つべきものは友である。当日までに、舞踏会のチケットも、長身でダンスの上手なパートナーもきっちり用意してくれた。

パートナーの名はヴォルフガング

 ウィーンの“銀座”に当たるシュテファン教会とオペラ座を結ぶケルントナー通りに程近いホテルに、友人が午後3時過ぎに迎えに来てくれた。舞踏会の会場に近い友人宅で準備をするのだ。
  道々、彼女の話を聞いていると、「舞踏会とはそういうものか」と教えられることがいくつもあった。例えば、舞踏会はたいてい午後9時頃に始まり、お開きは明け方だという。その後、正装したまま、近くのホットドッグ屋で立ち食いで朝食を取り、家路につくのが通の楽しみ方らしい。本当に明け方まで踊るのか半信半疑だったが、「そういうもの」だという。しかし人間には体力の限界があるはず。体がもつのだろうか。翌日は仕事になるのだろうか。実は、舞踏会に出る日は仕事を午前中で切り上げて、午後はのんびり過ごし、夜に備える人も多いらしい。

地元の人が気軽につまむオープンサンド

「踊る前に満腹にしてしまうと、踊っているうちに気持ちが悪くなるから、夕食は軽めにしましょう」
  軽い食事のために彼女が入ったのは、地元の人にしかわからないような小さな店構えのオープンサンドイッチバーだった。扉を開け、さらに防寒のためのフェルト製のカーテンを2回くぐると、サンドイッチをきれいに並べたショーケースが見えた。
「これはブレートヒェン・ミット・アウシュトリッヒ(Brötchen mit Aufstrich)といって、日本のおにぎりみたいなものかしら。家に持ち帰ったり、店で2、3個食べてサッと帰るのよ」
  と友人は言いながら、卵やレバーのペーストやサーモン、キノコなどのトッピングがされたオープンサンドを選び、箱に詰めてもらった。
  ウィーンの森が目と鼻の先にある友人宅のあたりは、中心街ではほとんど見られなかった雪が道路脇に数十センチ積もり、彼女の庭も白い雪に覆われていた。先ほどのオープンサンドでまずは腹ごしらえ。日本の食パンを3等分したくらいの大きさのライ麦のパンに、5ミリ以上の厚さでたっぷりペーストが塗られている。どれも美味しくて、またたく間に3つも食べてしまった。すっかり満腹になってしまい、「これで踊ったら気持ちが悪くなるかもしれない」と不安がよぎった。

  憧れの舞踏会を前に、着替えて、お化粧をして、我がパートナーの迎えを待つのはとてもいい気分だった。ダンスのお相手はヴォルフガングという。友人は彼が子供の頃から知っているそうで「30歳過ぎの経済学者で、背が高く、日本語も話せて、性格がいい」と期待を持たせる。条件はもちろん名前がいい。あの天才音楽家、モーツァルトと同じ名前なのだ。
  2006年はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの生誕250周年記念ということで、オーストリア中がモーツァルト一色になっている。CDショップのショーウィンドーの主役は、もちろんモーツァルト。お土産として有名な丸いチョコレートで、モーツァルトの肖像がついたものがあるが、いまや彼の顔がカップにつけられたヨーグルトまで売っている。

ダンスのお相手、ヴォルフガング

 午後7時過ぎ、ついにヴォルフガングがブラックタイとタキシードで登場!! 外見にも性格の優しさが表れているような細身で長身の人だ。日本語を少し話すのは合気道を習っているかららしい。
「ワルツやチャチャチャは踊れるけれど、タンゴはどうかなぁ」
  と彼は謙虚に話す。現地では若い時からダンスを習うのはもちろん、舞踏会シーズンを前に練習しに行く人もいるそうだ。やはり、もっと早く着いて現地のダンス学校の短期集中コースに入っておけばよかったと真剣に思ったが、時すでに遅しだった。
「では、行く前に少し練習しましょうか」
  とヴォルフガングに言われ、私たちは向かい合って立った。彼が左手、私が右手を伸ばして手を重ね、私が左手で彼の背中あたりに手をやってみると、彼の背の高さと足の長さが実感としてわかった。私が背筋を伸ばし、胸を精一杯張って、顎をかなり上げたところに、彼の顔がある。
  女性は男性のリードにまかせて、くっついていけばいいのだろうという私の甘い考えは、友人がピアノで奏でてくれたワルツに乗って、「1・2・3」と言いながら、2人で動き出した瞬間、崩れ去った。ワルツにはスロー・ワルツとクイック・ワルツがあるらしいが、ウィーンで踊られるものは、テンポが驚くほど早い。さらに、ぐるぐる回転しながら一方向に動いていくので、相手につかまっているというより、リードに合わせながらも積極的に自分がターンしないと、相手の動きに合わないのである。友人宅のサロンで、踊るというよりは回りながら15メートルくらい移動しただけで、目は回るは彼の足は踏みまくるは、散々な状況だった。
  ジェントルマンのヴォルフガングは、
「大丈夫。目はなるべく一方向を見据えて、ターンの時には次に見るところを決め、先にそちらに視線を向けると目が回らないよ。ではもう一度」
  と励ましてくれる。そうやってやさしく言われると、さらに申し訳なく感じる。ついでに、チャチャチャも練習した。こちらは「1・2・チャチャチャ!」という気楽なダンス。ちょっとホッとしながら、ステップを頭と身体に刻み込んだ。

シャンパンで乾杯、いよいよダンスフロアへ

 「カフェオーナーの舞踏会」へ行く前に、まずは近くのホテルで開かれる気楽な(?)舞踏会に出かけることにした。最初は雰囲気に慣れることから、という友人とヴォルフガングの配慮である。
  会場へは自分の車で乗りつけるカップルが多いようだ。ホテルの周辺はどこに路上駐車しても構わないようだったが、止めるスペースがない。町中が皆、舞踏会にやってきたのかと思うほどだ。結局、歩いて5分ほどの場所に車を止めて、会場へ引き返した。
  入り口でプログラムと席札をもらって、大広間に入る。時間は午後9時をまわったところで、オープニングのプロのダンサーの踊りを披露しているところだった。しかしダンサーの腕前よりも、ホールのクラシックな作りと豪華なシャンデリア、そして、正装した人々に目を奪われた。
「わぁ、これが本場のヨーロッパの舞踏会ね!」
  大広間の一つの壁面にオーケストラの舞台があり、ホールを囲むように後の壁3面に沿って4人掛けのテーブルがずらりと並んでいた。席はダンスフロアに近い場所が一番高額で、そこから離れるほど値段が下がっていくようだ。ダンスフロアを見下ろしながら食事のできる2階のテーブル席もある。参加者が多いためか、ホテルにはもう一つダンスホールが用意され、そこでは別のバンドが演奏をしていた。ホールに隣接してバーもあった。

純白のドレスが初々しい

 プロのダンスの後は、ヴォルフガングが英語で言うところの“Opening Committee”のダンスだ。“Opening Committee”とは「オーパンバル」の映像でも見たことのある純白のドレスと燕尾服を身にまとった若いカップルのことで、彼らがどの客よりも先に踊る。そのダンスの後、一般の人たちがホールに出て踊り始めるのだ。このホテルの舞踏会はそれほど格式ばっていないようで、“Opening Committee”の男性はタキシード姿だった。それにしても彼らの優雅な動きに、なんだか映画を見ているような錯覚にとらわれた。
  私たちは席でシャンパンを頼み、乾杯をした後、いよいよダンスフロアに行った。少し照明を落としたホールは老若男女、かなり幅のある年齢層の人々で混雑していたが、どの人も動きが自然だ。私はドキドキしながらも「せーの」という感じで勢いをつけ、踊り始めた。いったい何という曲だったのだろう。曲を楽しむ余裕などない。口の中で小さく「1・2・3」と数えつつ、とにかく足を踏まないで回ることと、周囲の人にぶつからないで踊ることに集中した。見上げたヴォルフガングの顔の向こうに見える天井のシャンデリアが、とても繊細に輝いているのが印象的だった。
  1曲踊っただけで汗ばんでくる。私のは半分冷や汗だが、タキシードのヴォルフガングも「暑いね」と言っている。曲はクラシックばかりでなく、イージーリスニングも演奏されていた。その後、喉の渇きを癒しにお酒を飲みに戻ったり、涼んでからまたダンスをしたりするうちに、私はいつしか緊張も取れ、リラックスしていた。

3000人を収容、きらめく真夜中の王宮

きらびやかな踊り場で記念撮影をする人々

 舞踏会の流れはどこも同じ感じらしい。開場は午後7時半、オープニングのパフォーマンスが始まるのが9時。あとは終わりまでどう過ごそうと自由だが、午前0時には再び余興の時間がある。ここではなぜか、ラスベガスでショーをしているというエルビス・プレスリーのそっくりさんが登場。私の舞踏会のイメージとは違ったが、プレスリーナンバーを皆で踊ることもできて、それなりに楽しかった。そして、舞踏会が最高に盛り上がるのは1時を過ぎてからだとヴォルフガングは言う。その後も踊り続け、明け方になってようやく閉幕となる。聞いているだけで疲れてきそうだが、楽しい時間は早く過ぎるのだろう。
  私はこのホテルの舞踏会ですっかり満足していたが、ウィーンの舞踏会を“知り尽くしている”ヴォルフガングは、
「さぁ、王宮へ行こう。午前1時をまわって、これからが本番!」
  と、街の中心地に向かって元気に車を走らせた。王宮は、ヨーロッパで絶大な勢力を誇ったハプスブルク家が、帝国の崩壊する1918年まで暮らした城である。日本でも人気の高い皇妃エリザベートの博物館なども中にある観光名所だ。
  王宮の敷地の中央に立つカール大公騎馬像の周りは、何台でも車が駐車できる広大な庭だ。舞踏会の垂れ幕が輝く入り口は、そこから近くに見えてもやはりコートを着ないで車から出るには寒すぎる。まもなく午前1時半になろうかというのに、クロークにはものすごい数のコートがずらりと並んでいた。
「荷物の預かり料は一つ2.7EUROです」
 と係りの女性が言う。コート2着とショールで約1200円という値段は現地の人でも驚くらしく、「カードで払おうか」と言って、ヴォルフガングが周りの客を笑わせた。

会場では昔の知り合いに出会うことも多い

「カフェオーナーの舞踏会」のメインの会場は、幅の広い階段を上った2階にあった。手すりは色とりどりの生花で飾られ、特に美しく飾りつけられた途中の踊り場では、多くのカップルが記念撮影を行っていた。先ほどのホテルも素敵だと思ったが、こちらは、照明がワンランク明るいのか、全てがキラキラと光り、花や香水の香りもして、さらにゴージャスな雰囲気を醸し出している。王宮とホテルでは、しつらえの違いはもちろん、会場の作りも、女性のドレスや洗練された感じも、パンフレットのデザインもどこかさっきとは違っているのである。
  王宮は3000人を収容できる大きさだ。そこが、この日とばかりに気合を入れておしゃれをした人たちでごった返していた。夜中とはとても信じられないほどだ。ヴォルフガングの友人にも何人か会った。数年ぶりにたまたま会ったのが舞踏会というのは、ウィーンではよくあることらしい。
「カフェオーナーの舞踏会」だけあって、カフェで出されるお菓子が売っていたり、各店のコーヒーを飲むことができる場所もあった。お金はちょっとかかるけれど、客を飽きさせない工夫が凝らされていた。

クライマックスはシュトラウスの曲で

明け方近く、さらに勢いを増してダンスは続く

 人々は疲れを知らないように踊り続ける。終わりの時間に近づけば近づくほど、フロアには人があふれた。ぶつからないように一方向へ踊りながら進むのは大変だ。でも、皆笑顔で踊っている。“Opening Committee”の若いカップル、ダンスのプロを連れた地元テレビのキャスター、娘と踊る父などなど、組み合わせはさまざまだ。見とれるほど踊りの上手なカップルもいる。
  ヴォルフガングは、「踊りの軸のぶれないあのカップルが上手い」などと言って、解説もしてくれた。ワルツだけでなく、タンゴに曲が変わっても、男女とも颯爽と踊っている。「やっぱり練習してきたほうがよかったなぁ」と、この日、何度思っただろう。でも、この場にいるだけで楽しい。
  時間は流れるように過ぎた。時計が4時半に近づいた時、「ン・タタラララーン、チャチャ、チャチャ」と、かの有名なJ.シュトラウス2世の『美しき青きドナウ』が流れ出した。お開きの時間であることを知らせるかのように静かに演奏が流れ、再び、私たちもダンスフロアに戻った。その優雅な旋律のように美しくはいかないけれど、とても幸せな気分で、「来てよかったなぁ」とヴォルフガングに感謝しながら踊った。続いて、J.シュトラウス1世作曲の『ラデツキー行進曲』になった。ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでもお決まりのこの2曲をウィーンの人たちは愛しているようで、最後のエネルギーを振り絞るかのように、皆が元気に回りだした。ヴォルフガングも跳ねるように踊る。私は普通の速さでもついていけないのに、彼はすごい勢いで回る。昔、遊園地で乗った回転するコーヒーカップのようだ。遠心力で飛ばされてしまいそうで、私は必死に彼の背中につかまってこらえた。そして、曲が終わった瞬間、私が着地したのはヴォルフガングの足の上だった。全体重がかかってしまった。
「本当に今日は申し訳ありませんでした。足は大丈夫?」
「うん、まだ動いているから・・・」

  満足感につつまれ、去りがたい思いで王宮の階段を下りる途中、ヴォルフガングが手すりに飾られたフラワーアレンジメントの中から、咲きかけた白いバラを一輪抜いて、差し出した。
「ベッドの脇において眠ったら、夢の中でも舞踏会にいられるよ」
  夢心地のウィーンの一夜だった。

オーストリアとの時差:
8時間、サマータイム実施時は7時間

ウィーンの舞踏会など、オーストリアに関する情報
オーストリア政府観光局
http://www.austria-tourism.com/jp/
※舞踏会についての詳細は、サイト内の「舞踏会・クリスマス」の項目を参照

アクセス:
全日空・オーストリア航空など航空各社に直行便、乗り継ぎ便あり
成田 - ウィーン 約12時間

BACK NUMBER
PROFILE

横井 弘海

東京都台東区生まれ。
青山学院女子短期大学卒業。国際英語学校通訳ガイド科修了。ヨーロッパに半年間遊学。テレビ東京パーソナリティ室所属後フリーとなる。「世界週報」(時事通信社)で「大使の食卓拝見」を連載。エジプト大統領夫人、オーストラリア首相夫人、アイスランド首相をはじめ、世界中のセレブと会見しインタビューを行っている。

主な著作:
『大使夫人』
(朝日選書)

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