|
先日久しぶりに、ケータイが緊急地震速報を受信した。身の安全を確保した直後に揺れが来たが、それほど大きなものではなく、震源近くでも大きな被害はなかったようでほっとした。
その時私は楽器の練習をしていたので、警報音には全く気づかなかった。不吉な音が鳴り響くケータイをつかみ、隣の部屋から駆けてきて「じしんだよ!」と教えてくれたのは4歳の長女である。幼い子でも、慣れればここまで冷静に反応できるようになるのかと感心してしまった。
3月の地震直後は昼も夜もあの音が鳴り響き、余震の恐怖のなか思わず「もうやめてくれ!」と叫んだこともある。速報だけで地震が来ない「空振り」も何度もあった。それでも、4月に車を運転中に緊急地震速報が鳴って、車を停めた直後に車体が揺れるほどの大きな地震に遭ってからは、数秒前でも心構えができることのありがたさを実感した。あの音が迷惑などと思うことはない。
気象庁が緊急地震速報を開始したのは2006年8月。このときは地方自治体、鉄道、デパートなど不特定多数の管理者に対してだったが、07年10月からは一般市民へも情報を提供するようにした。
災害心理学の専門家、広瀬弘忠氏による新著『巨大災害の世紀を生き抜く』(集英社新書)によると、緊急地震速報を導入する際、関係機関は「地震が来る」と突然いわれた人々がパニックにおちいることを心配していたようだ。
それに対して著者は、警報というものは多少の混乱を引き起こすが、大きなリスクを避けるためにはやむを得ないコストと考えなければならないとしている。災害時でもパニックはそう簡単にはおこらないこと、それよりも、人々が速報を聞いてもなんの行動も起こさないことのほうが問題だという指摘を繰り返してきたという。
パニックよりむしろ警戒すべきなのは、現代人が陥りがちな「正常性バイアス」という心のメカニズムだという。危険に直面しているのに「まだ正常の範囲内だ」と思い込む正常性バイアスによって、危機回避が遅れ、被害が拡大した災害や事故の実例は、著者が04年に刊行した『人はなぜ逃げおくれるか』(集英社新書)で詳しく解説されている。
緊急時には不確実であっても情報を出すべき
著者は、今回のような大災害、特に原子力災害のような未知の危機に直面した場合の、情報発信の重要性についてとりあげている。政府や行政など、情報を発信する立場の人間は、その時点でわかっている情報はたとえ不正確な部分があっても発信することをやめてはいけない、と強調する。
パニックを恐れた政府がとった最悪の事例として、福島第一原子力発電所からの放射性物質拡散のシミュレーション「SPEEDI」の結果の公開を「社会全体にパニックが起こることを懸念して」遅らせたことをあげている。
放射性物質の拡散予測の精度は低くても、拡散の方角や範囲などの大まかな予測はかなり信頼に足るもので、避難の方向を選択する際に役立てることができたはずだという。危険に直面している住民に貴重な情報を提供せず、取り返しのつかない被害を与えてしまった、と厳しく批判している。
対照的な例としてあげているのは、3月22日に東京都葛飾区の金町浄水場で、放射性物質が検出された際の東京都水道局の対応だ。東京都は、「乳児の飲用としては規制値を超える放射性物質が検出された」という情報をすぐに公表した。多くの人がペットボトルの水を買い求める様子も繰り返し報道された。
著者に言わせると、この程度の混乱はパニックではないそうである。東京都がこの情報をもっと後に公表したとしたら、行政に対する不信感はずいぶん大きくなり、そのマイナスの方が大きいだろうと評価している。
それよりも、災害時であれば、買いだめが起きることはめずらしいことではないのに、わずかな混乱も「あってはならないこと」というメディアの報道姿勢は、かえって買いだめを助長するとして批判している。
レベルの高いスポークスマンの養成を
今回の原子力災害のような先のまったく読めない危機に直面した場合に、私たちは自己責任において判断し、行動しなければいけない。「正確な」情報をただ待っているだけでは、取り返しのつかないことがあるということも学んだ。
行政や政治家など情報を発信する側は、その時点で何がわかっており、何がわかっていないかを一般市民に対して、明確に伝える必要がある。誰かに責任を問われることを恐れて事実を隠そうとしてはならないという。
一方で、今までは「お上」からの指示を待つだけ、あるいは「お上は何もしてくれない」と不満を持つだけだった市民の側も、災害時は「当事者」として、自発的に必要な情報を求めていくように、意識改革が必要だという。
政府、行政、専門家は、利用できる情報はすべて市民に伝える。市民はその情報をもとに判断し、行動する。情報が変更されればそのたびにお互い理解して、修正する。このように、政府、行政、専門家と、災害についての素人である一般市民との間で、災害がもたらすリスクについてお互いにコミュニケーションをとり、リスクに対する認識を共有する「リスク・コミュニケーション」の作業が不可欠だとしている。
また、リスク・コミュニケーションの重要な役割を担う、レベルの高いスポークスマンの必要性について説いている。今後いつ起こるかわからない、危機的な状況下でスポークスマンに求められるのは、人々の信用を得ることができ、専門的な内容でも自分の言葉でわかりやすい解説ができることはもちろん、事態を動かす権限をもっていることだという。せめてこれからでも政府、行政、企業はこのような人材を育成してほしいとしている。まったく同感である。
「もはや震災と原子力災害のなかった過去に戻ることはできない」と著者はいう。新しい社会を生き抜くためには、未知のリスクへの不安や恐怖から目をそらさずに、共存していく覚悟が必要だ。4歳児を見習って、かしこく、すばやく、強くならなくては。
(湯原 葉子)
関連する新書マップテーマ
|