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Report 街・国・人
第5回 アフガニスタンを忘れるな!
07/02/28

NGO「カレーズの会」アフガン事務所長 レシャード・シェルシャー

タリバン政権以降、日本で開かれた復興会議の成果をもとに、国際社会の支援をうけて着実に復興する…はずであったアフガニスタン。しかし現状は、治安はまったく安定せず自爆テロが頻発。一般市民に多くの犠牲者が出ている。また化学兵器の使用による食、住環境の悪化も大きな問題になっている。2002年からカンダハールで医療、教育支援を行っているNGO「カレーズの会」。現地で活動を続ける現地事務所長が、アフガニスタンの人々の窮状を報告する。

 アフガニスタンでは以前、旧ソ連勢力に対抗するため、アメリカ・イギリス・イスラエルの3ヵ国は、テロリストやさまざまな宗教的団体(アルカイダもその1つ)を養成してきた。とくに1979年、アフガニスタンに旧ソ連が侵攻した後は、それらの団体に武器を与え、手厚いサポートをして、反ソ・アフガン聖戦を、自分達が直接戦う代りに彼らに戦わせた。当時これらの兵士たちは聖人とか英雄と呼ばれ、もてはやされたものだ。
 それから10年が経ち、旧ソ連軍が撤退し、ソ連邦も崩壊した後はどうなったか。アメリカなど3ヵ国が育てたテロリスト集団の標的は、180度向きを変え、育ての親アメリカに向けられている。アフガンの諺(ことわざ)に“袖の中に蛇を育てるな”というのがある。日本の諺でいうと“飼い犬に手を噛まれる”と同じ意味だが、いま、まさにそういう状態になってしまったのは皮肉な現実というほかない。

ナンを買いにきただけの幼い兄妹も犠牲に

 アフガニスタンは現在、治安の悪化がすすみ、一般住民の平和な生活が危ぶまれている。治安の悪化は大きな問題として、世界中に報道されてはいるが、その実態はアフガニスタン国民にしか知りえないことも多い。

空爆で破壊されたカンダハール市内の集合住宅

 日々、アフガン全土は、NATO軍、国際治安支援部隊(ISAF)やアメリカ軍による空爆にさらされているほか、反政府組織による自爆テロも続いている。特に2006年7月からは、その激しさがさらに増している。戦場の最前線が、大きな都市や町(カンダハール、ヘルマンド、ファラー、ザーブル、ガズナイ、パクチャ、クナール、ヌリスタン、カピーサ、サマンガン、シベルガン、ヘラトなど)の近くになり、毎日のように一般住民が危険にさらされている。その犠牲者のあまりの多さに、住民から強い悲しみと非難の声があがっている。
  2006年9月、カンダハール市内でNATO、カナダ軍の車列を狙って自爆テロが発生。NATO軍とカナダ軍がその報復として銃を乱射し、たまたまそこに居合わせただけの全く関係のない一般市民が犠牲となった。このような事件は頻繁に起きている。カンダハール市西部で、カナダ軍の車列近くで15分間に2度の自爆テロが起こり、2度目の爆発後、カナダ軍の軍人2人が戦車の上で銃を乱射、住民13人が犠牲となった。また市東部では、やはりカナダ軍の車列の近くで自爆テロが起こり、カナダ軍の銃撃で住民7人が犠牲となった。そのうち2人は、通りのパン屋でナンを買おうとしていた6歳と4歳の幼い兄と妹であった。
  カンダハール市から13キロ離れたパンジュワイ地区では2006年9月3日からの約2週間、激しい空爆があり、近郊のブドウ畑やザクロ畑で何百人もの遺体が埋葬されずに晒されていた。その地区ではいまだに空爆が続いている。また断食の大祭りの2日目である10月24日には、空爆を避けてマル・アフガン(蛇山)の難民キャンプから砂漠方面に逃げた避難者が、夜中2時半からの30分間、アメリカの空爆にあい102人の犠牲者を出した。その6割以上が子供と女性であった。68人は1つの墓に埋葬され、34人は蛇山近くに埋葬された。その葬式の後、何百人もの住民が参加したデモが起こり、アメリカ軍地や県庁に向かい、警察と衝突する騒ぎとなった。
 12月3日、カンダハール市内でNATO(この時は英国)軍に自爆テロがあり、英国人3人が死亡した。これに対して英国軍は報復攻撃を行ない、市民に銃を乱射、21人に発砲し5人を即死させた。5人の中には乳呑み児とその母親がいた。

瓦礫のなかで羊を飼う少年

 村人同士のちょっとした喧嘩や争いがあると、腹いせに一方が、もう一方を「タリバンだ」と米軍などに通報してしまうことがある。自爆テロにナーバスになっているNATO軍などは、そういういい加減な情報にも即反応。確認もせずにその家へ乗りこみ、通訳もつけず、言葉が分からないまま立往生する人々を後手に縛り、銃で威嚇する、あるいは殺す。この中には女や子供も含まれる。このようなことが頻繁に起きてくると、それを目撃した人々はどう思うだろうか。アフガニスタン人でなくても強い反発を招くのは自然のなりゆきだろう。外国の軍隊はアフガンの文化や習慣とはかけ離れた、それぞれの国のやり方で強引に実力行使に及ぶ。それはちがう!そういう方法はやめてくれ!と、いくら私たちアフガニスタン人が思っても、それを反映させるシステムがない。人々の声を伝えるしくみが無いのだ。
  また、最近の3ヵ月間で地雷の犠牲者はアフガン全国で218人にのぼる。そのうち95%は一般市民で、軍人の犠牲者は5%にすぎない。いかに無関係な一般市民が犠牲になっていることか。
  国際社会は、アフガンでの女性に対する人権抑圧を非難している。とくにアメリカは、アフガン女性の人権を守りたいのだと言い続けている。それはもちろん有り難いことではあるが、彼らの口はそう言っているが、手の方は容赦なく、そして躊躇なくアフガン女性を殺しているのだ。人権も生命あってのものと思うのだが・・・。

麻薬の原料・ケシを栽培しているアフガン農民もまた被害者

ケシを栽培する農民

 アフガン社会の国際的問題としてよくあげられるものに、麻薬の原料となるケシの栽培がある。しかし、これでもうけているのはアフガン農民ではなく外国人だということをハッキリさせておきたい。ケシの実が“白い粉”に作りかえられ、闇の流通経路をたどって法外な値のつく商品になっているという事実を、実はアフガン農民はほとんど知らない。生き延びるために、現金収入を得るために、作っているだけなのだ。それを麻薬の取引人が安く買い叩く。実際に栽培している農民たちには、たいした現金は入らないのだ。しかし、「アフガンでは麻薬を作っている」と、国際社会から非難されているのは残念でならない。
  しかも、ケシを壊滅させるために、栽培している畑に外国軍が空から化学薬物を撒くのだが、畑では当然他のいろいろな果物、野菜も栽培している。結果的にケシだけでなく、アフガンの人々にとって貴重な食料である農作物も、ケシと一緒に薬物をかぶってしまう。アフガン南部では、すでにほとんどの野菜や果物が採れなくなってしまった。これは農民にとって1年間の仕事の成果をフイにすることである。また、まだ少しでも採れる地域では、それが汚染されたものであっても、売らなければ農民は生きていけない。それを食べないと市民は生きていけない。悪循環が続いている。

クリニックで診察を受ける子供

 さらに、化学兵器に汚染された空気は市内にも流れ込む。街で暮らし働く多くの人々の健康に大きな影響を与えている。私たちが運営しているクリニックでは、耳鼻科や眼科、皮膚科の患者が多くなった。アフガンからケシを無くすためには、生物化学兵器を使うのではなく、ケシで大儲けをする麻薬売買の企業やグループを摘発しなくてはならない。そうでなければ、アフガンの人々の犠牲者は増え続けてしまうだろう。
  このようなアメリカ軍や国際治安支援部隊(ISAF)の行動を目にして、一般住民の彼らへの見方は全く変わってしまった。彼らはアフガン国民のためではなく、この地域で自分たちに都合のいいように、政治や経済活動をしているだけだと。アメリカやカナダ兵の暴力は、その昔のロシア軍の侵略と同じだと見なされており、政府の警察や軍隊のなかからも、反政府側につく例が出はじめている。暴力で問題を解決しようとして、次の暴力をうみ始めたのだ。

アフガン人が欲っしているものを聞いてほしい!

 早急に必要なのは、アフガンの人々の声を聞くことだ。民衆の声が上に届いていない。国際社会は確かに支援をしてくれた。しかしそれは、各支援国が独自に考えた目的に対してお金を使ったのであって、アフガン人の希望するものとはすれ違うものが多かった。例えば電力である。国内にダムを造り発電装置を稼動して全国に電力を供給することは、復興のための最も重要な第一歩だ。私たちのクリニックでも、医療、手術機器を動かすためには電力は不可欠だが、いまだに自家発電に頼らざるをえない。電力を敷くという事業は、まだどこにも見当たらない。
  ところがその一方で、外国からの支援で、女子サッカー養成のプロジェクトの話があるという。もっと先にやるべきことがあるのではないか!まだ字も読めない女の子がたくさんいる。教科書も必要だし、教員の養成、学校の建設なども急務だ。

カンダハールで日本語教室が開室

運動靴を配られた女子生徒

  私たちのNGO「カレーズの会」は、2002年4月にアフガン復興を医療や教育面で支援するため設立し、同年6月にアフガン政府に認められ、7月から現地活動を開始した。文明的な生活の基本である教育と医療サービスが存在していない村や地方に、それらを提供することが第一の目的だ。現地クリニックで、無料治療した患者数は2006年11月末現在で、100,512人となっている。内訳は成人女性54,872人、成人男性15,105人、少女13,183人、少年17,352人。検査数は合計18,322件で、レントゲンは1,494フィルムとなっている。また、公衆衛生教育を受けた人数は17,393人に達した。教育面においては、カンダハール周辺の19ヵ所の村と7ヵ所の難民キャンプで教科書と文房具を提供し、“青空教室”ではあるが授業も提供できた。しかし現在は、治安の悪化によって地方活動ができなくなってしまった。カンダハールを中心に活動を続けているが、それすらも治安の状況によっては閉鎖せざるを得ないかもしれない。

日本から送られた通学カバンを肩にかけた少年

 日本から支援品のコンテナが2006年6月にカンダハールに到着した。ご支援下さった日本の皆さまに心より感謝申し上げる。支援品は救急車1台、医学書約300冊、飲料水を得るための1200個の光触媒チップ、日本の女子高生の手作りによる375袋の通学バック、小学校の児童たちに1200足の運動靴、ほかにも文房具、検査器材、医療器材、超音波(エコー)・コンピューターなどである。救急車、エコー、コンピューターは現地診療所で活用している。光触媒チップは現在3ヵ所の村、2ヵ所の難民キャンプと市外3ヵ所に769個を配布、説明会をした。医学書はカンダハール大学と保健局の研究センターに寄贈、通学バックと運動靴はカンダハール市内の小中学校の児童・生徒に配布、現地スタッフと患者一人一人を励まし勇気づけている。
  2006年4月には、カンダハール市内に日本語教室をオープンした。朝6時から7時半まで週2回、生徒数は今のところ14人。当会の職員以外にも参加者はおり、評価が高く、関心を呼んでいる。次第に生徒数は増えるものと期待される。


一日も早く、より多くの人々に救いの手を広げようと頑張っていますが、思うような展開とならず残念です。しかし一歩一歩、確実に前進しています。

【編集部より】

カンダハール市内のクリニックの中庭にて。一番左が著者のレシャー ド・シェルシャーさん

 NGO(非政府組織)とは、公共の福祉を目的とする非政府、非営利団体で、一般的に国際的活動をするものを呼ぶことが多い。今回、寄稿してくれたレシャード・シェルシャーさんが、アフガニスタン現地事務所長を勤める「カレーズの会」は、アフガニスタンで医療、教育分野での活動を行うNGOのひとつである。“カレーズ”とは、命の水脈、癒しの源、将来への夢を意味するアフガニスタンの豊かな地下水脈のことであり、一滴一滴が目立たないように大地を潤しているように、一人一人が縁の下の力持ちになろうということを表している。
  9・11同時多発テロ事件、タリバン政権崩壊以降のアフガニスタン復興は、多くのNGOによって下支えされた。2003年に移行政権が公表した報告では、2002年1月から2003年3月までの間にアフガン政府が供与を受けた無償資金のうち、63.4%をNGOが扱ったとされている。復興支援にはたした役割は大きかった。
  ところが2004年3月、NGOを管轄する計画相に(現在は経済省が管轄)バシャルドゥースト氏がなると、彼はドナー資金をNGOが流用しているなどとしてNGOへの批判的な考えを表明。登録されている全団体を抹消すると発表した。これはカルザイ大統領によって拒否され、彼は辞任を余儀なくされたが、利権にむらがるNGOが存在することは事実であり、また多くの支援にも関わらず、幹線道路の修理すら1000キロ程度と、目に見える形で現れていないことで、NGOへの批判的な考え方も国民のあいだに広がりつつある。
「カレーズの会」は、首都カブールに支援が集中しがちだった復興支援のなかで、当初からカンダハールを中心に地方への支援を行ってきた数少ない団体だ。NGOが信用を失ってきているなか、カンダハールのコミュニティに根付いている。それはおそらく、医療という効果がわかりやすい活動を行っていること、また現地スタッフがみなカンダハール出身者で、現地の事情に通じ、ほかのNGOにありがちな言葉が通じないなどの問題がない点が考えられる。
「カレーズの会」の理事長であるレシャード・カレッドさんの父親は、カブール大学で教鞭をとっていた歴史学者であり、カンダハールの名士であった。カンダハールでは一目置かれる存在だ。さらに理事長・カレッドさんがカルザイ大統領の学生時代の先輩である。こうした個人的つながりは、復興期のアフガンにとって非常に重要で、それがために活動しやすい面もあろう。
  日本では、講演活動、写真展開催、街頭での募金活動、支援品集めなどで、アフガニスタンでの活動を支える資金集めが主な仕事となっている。アフガニスタンでの病院や学校の経営は、すべて日本からの援助資金によっている。
「カレーズの会」への支援は、下記にご連絡ください。
  〒420−0856
  静岡県静岡市葵区駿府町1−70
  静岡県ボランティア協会内
  カレーズの会事務所
  tel 054-255-7326
「カレーズの会」については、こちらをご覧ください。
「カレーズの会」ホームページ:
 http://www.chabashira.co.jp/~evolnt/karez/index.htm

(編集部 中村佳史)
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PROFILE

レシャード・シェルシャー

1961年アフガニスタン・カンダハール市生まれ。国立ロシア大学卒業後、アフガンアカデミー(政府による高等研究機関)研究員。1993年内戦によりパキスタンに避難する。1996年来日。静岡、大鐘測量設計(株)GIS(地理情報システム)マネジャー、東京外国語大学でアフガン語(パシュット語)担当講師などを歴任。2002年4月から非政府組織(NGO)カレーズの会アフガン事務所所長。

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