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[知ることの価値と楽しさを求める人のために 連想出版がつくるWEB マガジン
新書の「時の人」にきく
04 児童虐待と暴力の連鎖
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3.重すぎる児童相談所の役割
4.懲罰的な考えの対策ではすまない
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重すぎる児童相談所の役割
■梶山
 私の講演に来て下さる現場の方々の話を聞いていると、目の前のケースに対し、どうすればいいのかよくわからないまま手探りで対応しておられるような印象を受けますね。そういう方には、玉井先生の著書『〈子どもの虐待〉を考える』が非常に役に立つ。研修のテキストとしても、とてもわかりやすいですね。
■玉井
 おかげさまで現場の方にはよく読まれているようです。各地の研修にも呼ばれるので、ここ2年ぐらいはほんとうに忙しいんですよ。保健所、保育所、学校などの職員も、虐待の対応について専門知識があるわけじゃない。待ったなしで飛び込んでくケースについて、「なぜそんなことが起こったのか」を考えるのが、何よりもの研修になるんです。
■梶山
 それから、虐待を受けた子どもたちへの対応に戸惑っている方も多い。ああいう子どもたちって、援助者に攻撃的な態度をとったり、わざとこちらを試すような行動をするでしょう? こちらは親身になって接しているのに、あの態度は何だ、と。
■玉井
 それはよくありますね。たぶん頭では理解しているんですよ。適切な愛情表現に接した経験がないから、好きな相手に攻撃的になってしまう、虐待を受けた子はそういった普通では考えられない行動をするものだ、と。でも、いくら理屈でわかっていても、やはり我慢できなくて、「こんな憎らしい子だから虐待されたのね」と思ってしまう。そう考えた時点で、悪いのは(虐待した親ではなく)子どもになってしまいます。
■梶山
 そこを乗り越える訓練も研修で補えるのでしょうか。
■玉井
 実際にケースに対応しながら身につけていく部分が大きいと思います。たとえば、日本のケースワーカーって、ソーシャルワーカーとしての学習や経験を積んだ人は、ほんの一握りなんです。異動でたまたまケースワーカーをやっているという人などは、たいへんな思いをされているはずです。
■梶山
 虐待対応の第一線で活躍する臨床家もあまり増えませんね。玉井先生のように、実績を積んだ臨床心理士はほとんどいらっしゃらない。
■玉井
 残念ながら、臨床心理士の養成の仕組みが、虐待に対応できるようなものになっていないんですよ。
■梶山
 児童精神科医がとても少ないのも問題です。先ほど先生もおっしゃったように、子ども虐待もDVも、加害者と引き離せば解決、ではありません。被害者はもちろん、(再発の防止を考えれば)加害者への精神的ケアも必要ですが、人材もノウハウも圧倒的に不足しているのが現状ですね。
■玉井
 それに、今、子ども虐待の現場では加害者ケアをやる余裕などないでしょう。児童相談所があらゆる責任を担い過ぎている。親の指導をする所と、子どものケアをする機関が同じなんて無理ですよ。ところが、児童相談所は「SOS」を出すことができない。現実的にはここが扇の要のような役割を担っているので、使命感から、職員はギブアップができないんです。
■梶山
 実際は人不足で、相談や通報に対応できないのに? アメリカなんて、通報すると、すぐさま担当者が飛んで来ますけどね。
■玉井
「相談は児童相談所へ」と呼びかけてますが、すべての相談に対応することは不可能です。でも、一般の人は通報(情報提供)と通告の違いなどわからないし、電話をすれば、児相が動いてくれるものと思っている。だから「通報したのに相談所は動いてくれないじゃないか!」ということになる。しかも、子どもが死亡する事態にでもなれば、世間から叩かれるのは目に見えている。まさに悪循環ですよ。
■梶山
「これ以上できません」と言ってしまったほうがいいと思うんですが……。
■玉井
 僕もそう思います。彼らの力量ではなくて、今のシステムに問題があるということを訴えたほうがいい。燃え尽き症候群で、第一線にいた人たちが潰されてしまうのは、もう見たくないですね。
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懲罰的な考えの対策ではすまない
■梶山
 打開策はないんでしょうか。
■玉井
 人を増やすということは、結局はカネの問題でしょう? 梶山さんが『子どもをいじめるな』で書かれていたように、日本の子ども対策には、福祉経済学的なコスト分析が欠落しているんです。冷たく聞こえるかもしれませんが、子どもを社会のリソースとみなして、この子に今いくらお金をかけたら、後にいくら返ってくるということを冷静に分析して、政策を立てる必要がありますね。
■梶山
 経済学的視点は必要ですよね。虐待を受けた子どもは問題行動を起こしやすいし、それが犯罪につながることもある。悲しいことですが「暴力の世代間連鎖」は無視できません。このまま家庭の中の暴力を放置すると、あと何年か後に確実に社会にツケがまわってくる。生産性の低下や犯罪対策費など、莫大な経済的損失を被るのは間違いありません。
■玉井
 それはそうでしょう。今の状況だって、10年、15年前の教育・福祉政策のツケが回ってきてるのかもしれませんし。社会福祉の仕組みに対する外部評価を定期的に行うべきですね。
■梶山
 家族の中の暴力は複合的な問題なので、根絶のためには、やるべきことがたくさんある。もう、たくさんあり過ぎて途方に暮れてしまうのですが、国家100年の計というか、長いスパンで物事を捉えて、対策を総合的に進めてほしいですね。
■玉井
 今の役所のやり方は対処療法。「いつまでこの状態を続けていれば、道が開けるんだろう……」って嘆きたくなりますね。仲間内で会うと、必ず「身体には気をつけて。元気でね」と言う話になる(笑)。ほんとに、あと何年続けられるか。でも、虐待の問題はなかなか人が育たないんですよ。
■梶山
 申し訳ないですが、先生にはまだまだがんばっていただかないと。それにしても、虐待やドメスティック・バイオレンスに対する世間の拒否反応は相変わらず根強いし、「さわらぬ神に祟りなし」といったスタンスも変わりませんね。話題にはなっても、ほんとうの現場を知っている人の声がなかなか届かず、非常に表層的で情緒的な情報ばかりが流れている気がします。
■玉井
 どういう言葉を使えばわかってもらえるかは、発信する側は考えていかなくちゃいけないですね。もうひとつ危惧しているのは、あと何年かして啓発活動が進み、「虐待を受けた子どもたちは、問題行動を起こして、クラスをかき乱すみたいだよ」ということまで一般の人に伝わると、学校教育の現場などで悪いスティグマが出てくるのでは、ということです。今はまだ「虐待を受けた子どもはかわいそう、虐待をする親は許せない」というレベルで止まっていますが。親から引き離して子どもを施設に入れればそれで解決──といった懲罰的な観点から、早く抜け出しておかないといけない。そこから先が重要なんですから。
■梶山
 特別な家庭で起こる異常なことではなく、どこの家庭でも起こりうることだという視点も持たなければいけませんね。
■玉井
 その通りです。「あの親はなんでこんなひどいことをしたんだろう」と考えるのではなくて、「我が家だっていろいろあったのに、どうしてうちの親子関係は虐待にならなかったのだろう」と考えてほしい。一般の育児との連続性を見てほしいんです。学校でも、ようやく虐待の兆候を見つけようという姿勢になってきたましたが、さらに積極的になってほしい。学校が虐待を見つけられなかったら、他のどの機関が見つけるんだと、個人的には思っています。
■梶山
 それぞれが自分の問題として考えることができれば、虐待の解決に一歩近づくような気がします。
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