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「新書」編集長にきく

第7回  平凡社新書編集長 飯野 勝己さん

1999年の創刊以来、「ベーシックでアクティブ」な本作りを続けてきた平凡社新書。編集長の飯野さんは、「重厚長大」路線をふまえつつ、全体で一冊の辞書になるようなシリーズを目指すと語る。
百科事典の平凡社、新書に参入
1999年創刊のいきさつを教えてください。
飯野
出版社としては、定期的に安定した生産と売り上げに結びつくシリーズをもちたいという希望があります。とはいえ、平凡社は、あまり文芸は手がけてきていないので、文庫にはなかなか踏み出せない。部数を限定した学術色の強いものなら作れるし、実際に「平凡社ライブラリー」を93年に創刊していますが、一般的な文庫は難しい。一方で、もともと平凡社は百科事典を軸にしてきた会社ですから、重厚長大で専門的な教養書路線を作ってきたノウハウの蓄積があります。それらを、やさしく、わかりやすく、多くの人に幅広く読んでもらえるようにするには、やはり新書ではないかということで、97年の秋頃から動き始めました。当初、4人のチームで企画の仕込みを始めて、99年5月に創刊しました。
その頃の新書の世界は、どのような状況にあったのでしょうか。
飯野
平凡社新書創刊前後から、他社もどんどん新書の世界に参入してきました。前史として94年のちくま新書、96年のPHP新書がありますが、本格的な皮切りになったのは我々の半年ほど前に創刊した文春新書です。文春を機に創刊ラッシュが始まったといえます。その後、平凡社、集英社と続いた後は、まさに創刊の嵐で、あっという間に毎月の出版点数も倍以上になっていきました。
次々と新書が創刊されましたね。
飯野
90年代の相次ぐ新書創刊ラッシュは、背景に出版不況があります。値段の高い本、なかでもいわゆる「教養書」が売れなくなってきました。もちろん、必要な「専門書」を求める読者は一定数いますから、そういうものは高定価でも小部数なら売れます。けれども、それ以外は、あまり手を出さないんですよ。そこで、本の価格帯の二極分化が起きた。高い専門書と安い一般書の間にはさまれて、いわゆる普通のハードカバーの教養書タイプ、価格でいうと2000円から3000円くらいの本が非常に厳しい状況に追い込まれました。おそらく、かつてならハードカバーの教養書になったはずのコンテンツが行き場を失って、新書に流れてきたのだと思います。低価格の本が求められたことと教養書的なコンテンツが行き場を求めていた、という二つの流れが合わさって、創刊ラッシュの要因になったと考えています。
御社のホームページに、平凡社新書は「ベーシックだけれどアクチュアル」と記載されていました。
飯野
これだけ多くの新書シリーズがある中、どこも多種多様で手を変え品を変え作っているわけですから、独自性を打ち出すのは難しい状況にあります。とはいえ、目指したいところとしては、平凡社のイメージであるよい意味での「重厚長大」路線も意識する、つまり「がっちりおさえるところはおさえる」タイプの本は一定数作るべきだと考えています。それが、「ベーシック」ということです。
ジャンルに対する考えを教えて下さい。
飯野
大きく分けると、「教養・実用・趣味」になりますが、まんべんなく力を入れていくべきだと考えています。平凡社新書の一つの特色としては、「趣味」を扱ったジャンルが目立っていることでしょうか。たとえば、『素晴らしき自転車の旅』(白鳥和也著)といった自転車ものや、『漬け物大全』(小泉武夫著)のような食べもの関係も作っています。このような企画は担当編集者も趣味人であることが要求されますね。(笑)
著者については、どうでしょうか。
飯野
編集部は、他社出身者や社内でも教養書とは異なる部署からきた人が多いので、よくも悪くも伝統から切れています。また、社が百科事典や「平凡社選書」などでお世話になってきた著者も今や高齢ですので、頻繁に書き下ろしを頼むわけにはいきません。むしろ著者の新規開拓を模索してきましたし、これからもそうです。一方で紹介もあります。よく書いている著者に依頼するのはある程度予測がつきますが、知る人ぞ知る人に関しては情報のルートがないと入ってきませんから、人のつながりは大切です。肩書きとしては、特に学者にはこだわっていません。大学教員でなくても、それ以上に勉強している人はいますから、肩書きは職務上の呼称にすぎないと考えています。やはり面白さが一番ですね。企画の面白さ、中身の良さ、信頼度を第一にしています。
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企画の決定権は編集部
編集部は、どのような構成になっていますか。
飯野
当初から編集部員は寄せ集めです。創刊準備段階でリーダーシップを取っていた人は、長く平凡社にいたベテランの編集者でしたが、あとは私を含めほとんど外様で、何社か経た編集者やフリーランスの経験のある人たちでスタートしました。「外人部隊だね」といわれたこともありますし、私以外は全員が入れ替わった現在も基本的には同じです。私としては、よい伝統は守りつつ、しがらみにとらわれない本を作ってみたいと思っていました。あえてフットワークを軽くしようという意識もあります。

編集部員は私を含めて5人です。主な担当書でいうと、たとえば、社内の雑誌畑出身の編集者は仕掛けものが得意なので、『憲法対論/転換期を生きぬく力 』(奥平康弘、宮台真司著)や、『自分の顔が許せない!』(中村うさぎ、石井政之著)といった対談も手がけています。平凡社歴10年のベテランは、『被差別部落のわが半生』(山下力著)など。法律ものが得意な女性は、法律相談番組路線の『泣き寝入りしないための民法相談室』(伊藤真、伊藤塾著)。彼女は、小谷野敦さんの『評論家入門』も企画しました。20代の編集者は、車谷長吉さんの対談集『反時代的毒虫』。今は現代史ものを中心に企画を仕込んでいます。5人の関心、好み、戦略などが一番高いテンションでもっていけるような雰囲気作りを大事にしています。編集部は人の集団ですので、アイデアを言い出しにくかったり、提案しにくかったりする雰囲気にならないように心がけています。
私自身は、編集長という立場上、情報のパイプ役になることも多いです。社の内外から「こういう著者がいる」とか、「こういうことがやりたい」といった情報がさまざまに入りますので、それを受けて交通整理することも大切だと考えています。
本になるまでの過程を教えて下さい。
飯野
編集者は同時に企画者でもありますから、各自がまずアイデアを考えるところから始まります。そこで、「知らない人だけど、ぜひその人に書いてもらいたいから頼んでみよう」ということもありますし、すでに付き合いがある人や紹介など、千差万別です。編集者は、著者、仮題、内容、章立て案等を大まかに記した企画書を、毎週行う編集会議に提案します。新書の企画決定権は編集部に一任されていますので、出すか出さないかは、原則的にその場で決まります。新書は毎月3点から4点、年間40数点必ずコンスタントに出すものですから、企画を通すのに時間やエネルギーをかけるのではなく、フットワークを重視して取り組むべきだと考えています。我々にとっては、自分たちの判断でできるという利点がありますが、そのぶん責任も生じてくるので、しっかりと作らなくてはいけません。
どのくらい先まで企画していますか。
飯野
私の経験上、各自の手持ちの企画が最低30点あれば、年間10点ずつくらいは出せる流れができます。新人には、とにかく企画をためるようにと指示しています。30点ほどためこめば、企画のストックに厚みが出ますので、あとはサイクルが回り始めます。単純計算すると、3年分くらい先まで見越して、それぞれが企画をためておくということになりますね。
入稿までにかける時間は、各社それぞれのようです。
飯野
基本的に発売3ヵ月前までの入稿をお願いしています。3月刊行の本なら、12月初旬に入稿するのが目安です。校正は2回です。初校、校正、著者校、写真や図版をレイアウトして戻し、再校、校正、そして校了という流れになっています。
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PROFILE

飯野 勝己

1963年埼玉県生まれ。
89年東北大学大学院文学研究科博士課程前期修了。時事通信社を経て、98年平凡社入社。平凡社新書の創刊準備に携わり、99年の創刊とともに新書編集部。2001年より編集長。

素晴らしき自転車の旅
『素晴らしき自転車の旅』
白鳥和也著
平凡社新書
漬け物大全/美味・珍味・怪味を食べ歩く
『漬け物大全』
小泉武夫著
平凡社新書
反時代的毒虫
『反時代的毒虫』
車谷長吉著
平凡社新書
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