タイトルには、オヤと思わせるもの、と、落ち着きのいいもの、という二つの傾向があります。しかし、落ち着きのいいものが基本だと思っています。はじめにも申し上げたように、読者は、何かについて知りたいときに求めるのが新書の基本だと認識しているので、そこに何があるか、端的にわかることが最も重要です。初期の書名で言うならば、
『宦官』(三田村泰助著)、
『科挙』(宮崎市定著)、
『ユダヤ人』(村松剛著)、
『江戸の刑罰』(石井良介著)、
『病的性格』(懸田克躬著)など、端的で強烈ですね。また、そこに少しばかり揺らぎを与えるのもおもしろいですね。
『ゾウの時間ネズミの時間』(本川達雄著)は、タイトルがいい、とよく言われますが、この本は、刊行の1ヵ月半前まで、現在のサブタイトルである「サイズの生物学」という仮タイトルで進行していました。昨年刊行した
『ケータイを持ったサル』(正高信男著)も、「サル化するヒト」という、いわばより中公新書らしいともいえるタイトルと、どちらにするか、ずいぶん議論を重ねました。
なぜ正攻法のタイトルがいいかといえば、読者にとってわかりやすく、危険が少ないということに尽きます。刊行するからには長く売っていきたいし、確実なことをしたいのです。