風
 
 
 
 
 
 
[知ることの価値と楽しさを求める人のために 連想出版がつくるWEB マガジン
「新書」編集長にきく

第3回

中公新書編集部部長 松室 徹さん
BACK NUMBER
2
作為による知識より事実を重視
総タイトル1766、うち800が市場に
作為による知識より事実を重視
中公新書の独自性について、どのようにお考えですか。
松室
1962年に創刊して以来、刊行を続けてきたわけですが、40年以上も続けていると、やはり中公新書の特色というものが形づくられてきますし、著者や読者が抱くイメージもあります。それを抜本的に変えたいとは思っていません。これまでにどんな書目を刊行してきたのかを踏まえたうえで、それを大切にしながら、「太い幹の上により豊かな枝と葉を生い茂らせたい」という思いがあります。ただし、かつては読者が多かった分野でも次第に読者が少なくなってくる場合があるので、そこはある程度少なくせざるを得ない、つまり、勢いのない枝葉を間引くということです。言うまでもなく、新しい分野を開拓するということもしています。たとえば、「物語各国史」のシリーズは15点を超えましたし、2000年夏から始めた「カラー版」も、年に1~3点を継続的に刊行しています。結果として他社と似たものになることもありますが、あまり意識はしていません。
独自性ということでは、巻末に掲げてある「中公新書刊行のことば」の中の「作為によってあたえられた知識のうえに生きることがあまりに多く、ゆるぎない事実を通して思索することがあまりにすくない」というフレーズが、今も指針のひとつであることはまちがいありません。つまり、そう思わせたい知識や、一定の意向が働いている知識が世の中には多い。だから、それに惑わされないように、事実とは何かということを考えなくてはいけないということです。当たり前のようにも聞こえますが、含蓄のある言葉だと思います。
読者は、事実が何かということを知ったうえで、そこから先を自分で考えることが大切だと思います。本は素材を提供しているのであって、考える道筋をあまりリードするものであってはいけないと思います。こういう点が中公新書らしさかもしれません。
タイトルのつけ方について教えて下さい。
松室
タイトルには、オヤと思わせるもの、と、落ち着きのいいもの、という二つの傾向があります。しかし、落ち着きのいいものが基本だと思っています。はじめにも申し上げたように、読者は、何かについて知りたいときに求めるのが新書の基本だと認識しているので、そこに何があるか、端的にわかることが最も重要です。初期の書名で言うならば、『宦官』(三田村泰助著)、『科挙』(宮崎市定著)、『ユダヤ人』(村松剛著)、『江戸の刑罰』(石井良介著)、『病的性格』(懸田克躬著)など、端的で強烈ですね。また、そこに少しばかり揺らぎを与えるのもおもしろいですね。『ゾウの時間ネズミの時間』(本川達雄著)は、タイトルがいい、とよく言われますが、この本は、刊行の1ヵ月半前まで、現在のサブタイトルである「サイズの生物学」という仮タイトルで進行していました。昨年刊行した『ケータイを持ったサル』(正高信男著)も、「サル化するヒト」という、いわばより中公新書らしいともいえるタイトルと、どちらにするか、ずいぶん議論を重ねました。
なぜ正攻法のタイトルがいいかといえば、読者にとってわかりやすく、危険が少ないということに尽きます。刊行するからには長く売っていきたいし、確実なことをしたいのです。
装幀など新書の外観やつくりについて工夫されている点はありますか。
松室
中公新書のカバーの深みのある緑色は、重厚で美しい色ですが、地味な印象を受けることも確かでしょう。ですから、最近では「帯」に力を入れています。創刊時からしばらくは、全点クリーム色の帯でしたが、そのうち、分野別に帯の色を変えました。茶色が歴史、黄色が社会、朱色が文化、黄緑が自然科学、オレンジが体験などをつづるエッセイ的な本で、5色でした。これが15年くらい続きましたが、その後、上下の幅を広げるなど、試行を重ねて、2001年1月刊からは、他社の新書と同じように、月ごとに色を変えることにしました。平積みしたときに上に来る面のデザインは、かなり自由に本ごとの特徴を押し出すようにしています。そういう遊びができる場が、統一装幀である新書の場合、唯一帯なのです。ここで編集者が工夫を凝らすことは大事です。
本文の文字は、中公新書も徐々に大きくなってきています。年輩のかたにもなるべく読みやすいものを提供できれば、と考えています。
新書ができるまでの過程について教えて下さい。
松室
企画そのものが成立するまでの経過は多様です。たとえば、この人にお願いしてみたいと思って訪問し、あるプランを提示して、それをそのかたも書きたいと思ってくださり、企画がすぐにまとまり、とんとん拍子で一冊完成する、などということは、まずないですが、一番理想的な形でしょうね。先方から、こちらの意向とは違うことが提案されて、着地点を探り、やりとりしているうちに、いいものになっていく。これもかなり理想に近い形です。また、書き手からテーマが提示されることもしばしばあります。すでにお書きになったかたが次回作を提案してくださることもありますし、お書きになったかたの知人が紹介される場合もあります。ほかにもさまざまなケースがありますが、これが、企画までの段階です。
企画が成立して以降は、通常は、少しずついただいた原稿を読んで、疑問や感想を付してお返しします。たいていの場合は、このようにして草稿からだんだん完成稿に近づいていくという作業をします。やりとりは、少なくても1回、多いと3回くらいは行ないます。
基本的には個々の編集者の意識によって本の出来は決まると思っています。編集者一人一人が自分の好奇心をさまざまに持って、本を企画していく。それが新書の枠に入るものなのかどうかは、部の全員で議論します。もちろん営業の担当者も同席しますが。なるべく合意をとりながら、これまでの流れから逸脱していないかを確認し、新しく盛り込めるものは何かを慎重に議論して、大事に作っていきたいと思っています。
<< PAGE TOP
総タイトル1766、うち800が市場に
著者はどのような人でしょうか。学者、研究者が多いのでしょうか。
松室
以前から大きくは変わっていませんが、少しは幅が出ているかもしれません。基本的には研究者の本が中心です。研究者は研究対象への長い経験と蓄積があり、また、研究対象や周辺文献への距離のとり方を心得ていらっしゃる場合が多いからです。
品切れと復刊については、どのような基準があるのでしょうか。
松室
品切れにするかどうかは、売れ行きによって、販売部が決めます。「品切れ重版予定なし」という表現をしています。ただ、著者が買い上げる場合に重版を行なうこともありますし、特別にある分野が話題になったときに重版することもあります。関連する本が新刊で出た際に重版することもあります。セットでの復刊は、今までに一回しかしていません。1999年の10月に創刊1,500点突破記念ということで、10冊を復刊しました。そのほか、中公文庫に収められるものもあり、他社から再刊行されることも稀にはあります。
総タイトル数と市場に出ている本について教えて下さい。
松室
総タイトル数は、9月25日刊行のものまでで、1,766点です。市場に流通している点数は、若干増減はありますが、800点弱あります。新刊を年間50点ほど出しますが、同じくらいの書目が品切れになります。月に4点刊行が標準ですが、5点の月もあります。創刊40年の2002年秋には、6点ずつを3ヵ月続けました。節目のときに多く刊行するのは、各社とも同様ですね。初版部数は変わってきていますが、16,000部が標準です。結果的な標準でもありますが、初版16,000部を見込める新書を企画しようという目標でもあります。
これからの新書はどういう方向に進んでいくのでしょうか。
松室
新書ブームと言われていますが、市場に出ている新書それぞれは、同じ判型だというだけで、内容は非常に多岐にわたっており、どういうブームなのかははっきりしません。いずれにしても、押し流されず、信頼に足る本を長く売っていきたいと思っています。多くのかたが新書の書棚の前に立ってくださることは嬉しいことなので、期待に恥じないものを提供し続けるほかないと思います。新書全体がどういう方向に進むかは、よくわかりません。予想しようとすると、悪い方向にばかり考えが行きそうなので、考えないようにしています。
最後に、本の種類を問わず、松室さんご自身にとって印象深い本について教えて下さい。
松室
装幀がシンプルで上品な感じの本が好きです。著者で言えば、須賀敦子氏の文章は日本語による表現の理想だと思います。もしかしたら「絶対的な表現」というものがあるのではないか、という気持ちにさせられます。書物や言葉への希望を与えてくれる人でした。
2004年9月6日 中央公論新社にて
1 2
『ゾウの時間ネズミの時間』
本川達雄著
中公新書
<< PAGE TOP
Copyright(C) Association Press. All Rights Reserved.
著作権及びリンクについて